第68話 旋盤 後編

 午後の日差しが建物の壁を温め室温が優しい暖かさとなり、昼食後の満腹感が眠気を誘う午後、今日もこの時間まで冒険者ギルドの俺のところに相談に来る冒険者は居ない。

 カフェインは眠気という魔王と戦うための聖なる武器。

 俺はそれが入っているコーヒーを口に含むと、一気に飲み込んでやった。

 でも眠い。


「たるんでいるわね」


 やはり暇で俺のところに時間つぶしにやってきたシルビアがニヤニヤと笑っている。

 眠気をかみ殺す表情が間抜けだったのだろうな。

 まあ、選別中に欠伸をするのを我慢するのを見られた時と比べれば、今回の事なんて大したことは無い。

 あの時程眠気が一気に吹っ飛んだ事はいまだかつてないな。

 他の危機は眠気が無いときにやってきたからっていうのもあるけど。


「冒険者が相談したいような困りごとがないっていうのは、世の中がうまく回っている証拠だよね」


「それが続いたら、アルトはここの冒険者ギルドでおはらい箱よ」


 シルビアの一言がきついなあ。

 警察と品質管理は暇な方が優秀なんだけど、暇すぎると人員が多すぎるって言われるので、適度に問題が発生してくれないと存在が危ぶまれるという矛盾した組織だ。

 困ったもんですね。


 そんな会話をしていたら、冒険者ギルドのドアが開いて見たことある顔が入ってきた。

 ドワーフのエッセだ。

 彼は室内をキョロキョロと見回して、俺を見つけると走ってきた。


「アルト、出来たから直ぐに来て欲しい」


 有無を言わせず俺の腕を引っ張ると、そのまま引きずっていこうとする。


「そんなに焦らなくても行くから大丈夫ですよ」


 そう言ったのだが、


「すぐにでも見て欲しいんだ!」


 と腕を放してくれない。


「わかりました。でも、腕を掴まれたままだと走るのもうまくできなくて、余計に遅くなりますよ」


 そういうとエッセはパッと放してくれた。

 俺はシルビアの方を向いて


「そんなわけで出掛けてきます」


 と言ったのだが、彼女もついてくるという。

 誰がギルド長に報告するんだと思いながらも、エッセにせかされてそのまま冒険者ギルドを出た。


 冒険者ギルドを出てすぐに、仲間たちと冒険者ギルドに帰ってきたスターレットに出くわす。


「アルト、どこに行くの?」


「デボネアのところに~」


 と走りながら答える。


「後から行くから、待っててねー」


 と、背中からスターレットの声が飛んできた。

 多分長くかかるから、彼女が来るまでは間違いなくいる事になるだろうな。

 そう考えるだけの余裕はある。

 若い体って素晴らしい。

 これが転生前のおっさんなら、走っているだけで思考なんて出来ないくらいくたびれていただろうな。


 街の大通りは全速力で走るには人通りが多くて危ない。

 が、工程名【大通りを走る】という作業標準書を使えば、他の通行人にぶつかる事無く安全に走る事が出来る。

 なんだそれはと思われるかもしれないが、衛兵や斥候が対象を追跡するときに使うスキルだ。

 レア過ぎて高レベルじゃないと所有していないけれど。


 俺にはそれがあるから問題ないし、シルビアも動物的な反射神経で他人にぶつからずに走ってくる。

 ただ、エッセはそうはいかない。

 それに種族の特徴で身長が低く、歩幅が短いので次第に俺達との距離が広がっていった。

 目的地はデボネアの工房なので、エッセに構わずに先に行く事にする。

 どうせデボネアが待っているのだろうから、先に行って出来る事をやっておけばいい。


 デボネアの工房に到着すると、勢いよく中に入った。


「出来たんですね」


「ああ」


 そこにあったのは足踏み式の旋盤だった。

 前世で会社の資料で見かけた近世の旋盤を思い出しながら、そのイメージを伝えたものが出来上がっていた。

 足でペダルを踏んでそれに繋がるクランクを動かし、その先にあるフライホイールを回転させて、その動力を皮のベルトで主軸に伝える。

 フレームはほぼ木製。

 まあ、試作機なのに鋳型を作って金属のフレームになんてのは流石に冒険が過ぎるからなあ。


「しかし、よくできましたね」


「アルトの描いたスケッチがそれなりに詳しかったからのう」


 デボネアがまんざらでもない表情をしたところで、エッセがやっと到着した。


「おいていくなんて酷いです!」


「せかしたのはエッセでしょ」


 シルビアにそう言われてエッセは言葉に詰まってしまった。

 確かにエッセにせかされたんだよね。

 先に到着して確認を開始していたのを褒めてもらいたいくらいだ。

 シルビアが言ってくれたので、俺からは何も言わないけど。


「さて、エッセも帰ってきた事だし、加工してみるかのう」


「じゃあこれ使ってみて」


 デボネアに手渡したのはSS400と呼ばれる鉄で出来たピンゲージだ。

 本来はピーリングやセンタレスと呼ばれる丸棒を削るのだが、生憎とそんなものを売っている商社がこの世界に存在しないので、真円が出ているピンゲージを代わりに使う事にする。

 勿論、SS400のピンゲージなんてあるはずもないのだが、どういう訳かこの世界で得たスキルでは、ピンゲージの材質でSS400が設定できた。

 まあ、緊急で選別するのに手元にあったSS400で簡易のピンゲージを作るなんてことは何度かあったけどね。

 何で材質をSS400にしたかといえば、それはこいつが柔らかいからだ。

 鉄なのに柔らかいというと不思議に思うかもしれないが、金属加工を生業としている人の間ではSS400所謂”ナマ”は柔らかいとされているのだ。

 それよりも硬い材質として炭素の含有量が多いS45CやS55Cなどがある。

 それでもこの世界の鋼よりは炭素含有量が少ないので、柔らかい部類となるのだが。

 で、刃物も初めてつくったので、硬い材質を削るのはどうかと思った訳である。


「これで固定はよいかの」


「少し動かして外れないか確認しようか」


 旋盤に材料を固定し終えたデボネアが俺に言われて、エッセに合図をすると彼は旋盤の前に立った。

 そしてペダルを踏み回転をさせる。

 回転が始まっても材料が外れないのを確認して、刃物を横から当てる事になった。

 何故こうするのかといえば、油圧チャックなどないのでしっかりと固定してあることを確認する必要があるからだ。

 前世では旋盤の油圧チャックが加工中に圧が抜けてしまい、回転した鋼が吹っ飛んできたことがあった。

 確認が大切な事をわからせてくれる事例ですね。


「これなら大丈夫かな?」


 外れない事はわかった。

 それに、振れも見たがまあ十分だろう。

 現代の精密な工作機械には負けるが、それなりに芯が出ている。

 一般的な家具や武具を作るには問題がないだろう。


 俺の確認が終わったところで、エッセが回転するピンゲージに横から刃物を当てた。

 粘り気のあるSS400はキリコが繋がって出てきた。

 キリコが出たという事は、きちんと削る事が出来たという事だな。

 削ったピンゲージは元のゲージよりは真円度が悪くなっているが、それでも0.008とこの世界の技術力からしたらかなりの高精度となっている。

 正直何に使うかはわからないが、精度が出ているのは良いことだ。

 うん、問題ないな。


「旋盤の出来は問題ないね。あとはエッセの努力次第かな。刃物とか油も重要な加工要素だけど、それについてはアドバイスできないから、自分で条件を見つけて欲しい。材料は言ってくれれば幾らでも出すからね」


 と言ったところでスターレットがやってきた。


「これが旋盤ね。クルクル回ってて面白い」


 と言って手を伸ばしたので、俺は慌ててその手を掴んだ。


「危ないよ」


 そう、旋盤は巻き込まれ事故がかなり起きている。

 女性の工員が長い髪を巻き込まれて大惨事になったことだってあるのだ。

 いい機会なので、全員に旋盤の危険性を教える。

 他にもバイトをグラインダー研いでいて、指を無くしたなんてのもあるからな。


 こうしてこの世界にも旋盤が登場した。

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