第66話 異世界に産業革命を
黒衣の男とダークエルフを王都の神殿勢力から引き剥がすため、俺はグレイスに変装してステラの街から出る事になった。
俺がステラにいない間は、スターレットとアスカとシルビアがグレイスの護衛につく。
ジーニアも俺と一緒にステラの外に出るから、グレイスは本当に一人になってしまう。
でも、これくらいしないと相手をだませないだろうからな。
どこに王都の神殿長のスパイが潜り込んでいるかわからないし。
なので、神殿騎士団にもグレイスが偽物だという事は伝えていない。
ステラの近くにある旧世代の神殿を確認するという無理やりな理由を作って、外出することにしてあるのだ。
一応ジーニアだけは事情を知っている。
そして当日。
神殿に護衛をしてくれる三人と一緒に行くと、グレイスの個室に通された。
ここにはグレイスとジーニア、それと俺達四人がいる。
「グレイス、こちらが俺のいない間に護衛してくれる三人だ」
そう言ってスターレット、アスカ、シルビアを紹介した。
初対面ではないが、名前を名乗るのは初めてだよな。
挨拶が終わると、グレイスが俺の鼻の先に人差し指を突きつける。
「突然街の外の神殿の見学なんて理由をつくったから、神殿騎士団が大慌てだったわよ。これでなんの成果もなかったなんてことは無いわよね」
グレイスが指を突き付けたままで、こちらを睨んでくる。
苦笑いしか出てこないな。
「この神殿に裏切り者がいるのなら、相手に連絡がいくと思うんだよね。誰も裏切って無かったら空振りになるけど、それならそれでここは本当に安全っていう事になるかな」
「何の解決にもならないわね」
グレイスはふんっと鼻を鳴らした。
それを見たアスカが俺に耳打ちをする。
「なんか聖女っぽくないんだけど」
「そうだろうね」
肩をすくめるしかなかった。
グレイスは猫を被るのを止めていたのだが、アスカや他のメンバーはこれを見るのは初めてだからなあ。
ギャップにびっくりするかもしれないな。
「じゃあ、ちょっと変装してくるね」
そう言って部屋の隅でグレイスに借りた衣装に着替える。
作業標準書に従って変装のスキルを使うと、部屋にいたメンバーからどよめきが上がる。
「本物みたいね」
シルビアが頬を引っ張る。
「痛いんですけど……」
引っ張られたくらいでは顔の皮は剥がれない。
どういう理屈かわからないけど、ファンタジーだしまあいいか。
横に本人が来て並んでみたが、みんなはどちらが本物か見分けがつかないという。
身長まで同じになったようだ。
これって変装じゃなくて、変身なんじゃないかな?
ひとまずその事は置いといて、これから黒衣の男との交渉だな。
手を振って部屋を出る。
「じゃあ、行ってくるよ」
「アルト、気を付けてね」
心配そうにこちらを見るスターレットに後ろ髪を引かれる思いがしたが、生きて帰ってくるつもりではある。
無理に戦闘に持ち込む必要もないのだから。
それに、戦闘になれば神殿騎士団やジーニアを守り切れる自信もない。
彼らには囮になってもらうのだが、使い捨てるつもりもない。
外に出ると既に神殿騎士団がスタンバっており、ジーニアとともに馬車に乗ってステラの門を目指す。
通門では特に問題も起こらずに、直ぐに街の外に出る事が出来た。
ここから旧世代につくられた神殿の遺跡を目指す。
馬車で二時間くらいの距離なのだが、一時間進んだところで動きがあった。
馬車が止まるのがわかり、窓から外を覗く。
周囲は森になっており、そこを抜けるように街道がはしっている。
待ち伏せしやすいにもほどがあるな。
「倒木が道をふさいでおります」
こちらに気づいた若い騎士がそう教えてくれた。
これは十中八九待ち伏せだろうな。
馬車から出て周囲を警戒すると、相手が姿を現した。
「聖女様、お下がりください!」
騎士の一人にそう言われたが、それを拒否して黒衣の男を睨みつける。
それにしても、こうも情報が筒抜けとなると、これで神殿の中に情報を敵に流している奴がいると確信した。
やれやれという気持ちになったが、とりあえず今は目の前の黒衣の男との対峙だ。
「待っていましたよ。ダークエルフの彼女が見当たりませんが、どうせ近くに潜んでいるのでしょう」
待ち伏せされたこちらが言うにはふさわしくない台詞かもしれないが、俺は黒衣の男にそう言ってやった。
相手は一瞬驚いた表情を見せたが、直ぐに冷静さを取り戻す。
「余程自信があると見えるが、お前たちでは私に勝てぬとわからんか」
いきなり攻撃を仕掛けてくるようなことはなかったので、このまま話し合いに持っていけそうな気がしてきた。
変装を解いて自分の顔に戻ると、相手は驚いてくれた。
神殿騎士団にも動揺が広がる。
なにせ護衛対象がここにはいなかったのだから。
それなのに、ここには神殿騎士団が全員揃っている。
「グレイスは安全な場所に居ますからね」
と彼らに伝えたが、安心してもらえたかはわからない。
「化けていたか」
黒衣の男は面白くなさそうにそう言い捨てたが、俺はそれを無視して話を進める。
「そもそもなんで聖女を狙うんですか?」
「個人的には聖女の命で作る賢者の石が欲しい。が、ダークエルフたちは王都の神殿からの依頼があったから狙うようだがな」
おっと、いきなり王都の神殿からの依頼だとばらしてくれたぞ。
それよりも賢者の石っていうのが気になる。
色々と喋ってくれそうなので、このまま会話を続けてみよう。
「なんでダークエルフと行動を共にしているんですか?」
「この世界に飛ばされた時に助けてくれたのが彼らだからだ。恩を返すのは当然だろう」
そうか、転生か転移かしらないが、ダークエルフの里にでも飛ばされたのか。
俺もそうなっていた可能性があると考えると、同情してしまうな。
「つまり、個人的な欲求もあるけど、恩を返す為にこちらを狙っているという事ですね」
「そういうことだ。そして、賢者の石が手に入ればこの世界に産業革命を起こすことだってできる」
「産業革命?」
「なんだ、知らんのか?」
相手は俺が産業革命を知らないと勘違いして、少し拍子抜けした感じがした。
「いや、知っているけどあまりにも唐突にそんな単語が出てきたのでね。産業革命を起こすのに賢者の石が必要な意味がわからないんだけど」
「石油に代わるエネルギーとして、賢者の石があることを知った。この世界で石油や石炭を探すくらいなら、賢者の石を作ったほうが手っ取り早いからな」
賢者の石が手っ取り早いというのもどうかと思うが、確かに石炭や石油の話を聞かないな。
蒸気機関を作るにしても、その燃料をどうするのかっていう話か。
そもそも物理法則が元居た世界とは違うから、蒸気機関が正常に動作するのかはわからないんだけどね。
「で、産業革命を起こしてどうするつもりなんですか?」
「神から与えられたジョブ以外でも生活できる社会を作る」
「それは魅力!」
思わず同意してしまった。
だって、自分も品質管理なんていうジョブで、行き倒れしていたくらいだしね。
「でも、そんなことが可能なの?」
「だれがやっても同じように出来る仕組みを作り上げる。そうすればジョブに左右されない社会が実現できるんだ」
非常に魅力的だな。
それがグレイスの尊い犠牲の上に成り立つのだけが残念だが。
しかし、グレイスの命以外にも問題がある。
「この世界の農業生産は効率が悪い。産業革命をおこしたところで、労働人口が増えなければどうにもならないと思うけど。農業従事者を都市労働者に転換しようものなら、直ぐにでも飢餓が襲ってくるんじゃないかな」
地球の歴史でも農業革命が起こったことにより、農業従事者が失業して都市に流れ込んだことで、そこに労働力が生まれたのだ。
これをやらないと農業生産が落ちてしまい、飢餓が発生するのは避けられない。
それに、購買力も上がらないと大量生産の意味がない。
幸いな事に貨幣経済は農村にまで浸透しているから、通貨の心配はいらないのだが問題は山積みである。
「緑の革命を起こせばいいだけだ」
緑の革命っていうのは、地球の農業生産を向上させた運動だな。
化学肥料と短稈品種によって穀物の収穫高を飛躍的に向上させ、食糧難を解決した農業革命のことだ。
それがこの世界でも可能かどうかはわからない。
不可能とも言えないが、可能とも言えないのだ。
それに、もっと根本的な問題がある。
「誰にでも同じことができる仕事なら、ロボットを使った無人化されたラインになるだけじゃないかな。ファンタジー世界なので、ロボットではなくてゴーレムかもしれないけど」
誰がやっても同じものが出来ることを目指した結果、ボタンを押せば良品しか出てこない設備が完成し、それならボタンを押すのもロボットでいいじゃないかとなったのが前世の工場だ。
人によるばらつきが無くなったのだが、ラインから人も居なくなった。
それでも自動車業界はまだ労働者が多い方で、半導体工場なんかは地元に工場を誘致しても、期待したほど雇用は生まれない。
ジョブに影響されない仕事を作るつもりが、人がいらないのであれば本末転倒だよなあ。
「個人によるばらつきを抑えるマン・マシンのラインを構築するのに、この世界で得たスキルが使えるのだよ。貴様だってそうだろ?」
黒衣の男はそう言って笑った。
マン・マシンというのは、一台の機械に作業者が一人つくということだ。
当然無人化されたラインではない。
「残念なことに、俺の作業標準書スキルは、効果範囲が術者のみなんですよね」
「なんだと!!」
事実を述べたら黒衣の男は驚いた。
どうやら、俺の作業標準書スキルは誰に対しても効果があると思っていたようだ。
作業者のばらつきを抑えるのにゲージR&Rというスキルがあるのだけれど、それで同じ作業が出来るのかは未知数だ。
「そんなわけで、地道な作業教育をするしかないんですよね」
「それではまた不良の対策書を書くのに忙殺される日々ではないか」
「対策書なんて要求してくるところはないけど、確かに不良の対策はやらなければならないだろうね。完璧なラインなんて無いし、あったとしても運用するのは人だからね」
「そうか、結局は人か。しかし、それでも固定されたジョブに抗うことこそが、私がこの世界に召喚させられた意味なのだろうよ」
黒衣の男の言葉に違和感をおぼえる。
神がこの世界に俺たちを召喚したのが、ジョブが固定されている事に抗うためであるなら、そもそもジョブの固定を止めればいいだけではないだろうか?
人の可能性を示せなんて事を求めているとは思えないのだが。
しかしまあ、今はグレイスから手を引いてもらうことが優先だな。
「召喚された意味はわかりました。でも、それを実現するために聖女の命はいりませんよね?」
「いいや、エネルギー源として必要なのだよ。先程も言ったろう」
「他のエネルギー源だっていいじゃないか」
「世話になったダークエルフと目的も一致しているのに、どうして他のエネルギー源を探さねばならんのだ。この話は終わりだ。どうやっても歩み寄れん」
「残念だよ。だけど今ここで争うつもりもない」
「それはこちらとて同じこと。折角異世界で出会えた品質管理の人間だ。できることなら産業革命に協力してもらいたい」
「な?」
黒衣の男の口からでた品質管理という言葉に驚かされた。
「図星か。前の戦いで私のスキルを見抜いたのと、そちらの使っていたスキルからの想像だったが、どうやらその通りだったようだな。おおかた、貴様もこの世界に飛ばされてきたくちだろう?」
カマをかけられたのか。
「この世界で生まれ育ったと前に話しましたが、それは本当ですよ。ジョブが品質管理なのはその通りですけど。そして、貴方のジョブはズバリ、生産技術でしょう?」
今度はこちらが指摘してやった。
黒衣の男は俺の言葉に黙って頷いた。
「やはりそうでしたか。お互いこの時代にそぐわないジョブですね」
「時代など、手に入れたスキルでどうにでも出来るがな。なんならJIS規格に代わるものだって自分で作れば、よりものづくりがやりやすくなる」
「こちらは決められた規格を守らせられればそれでいいんですけどね」
「より規格内に収まりやすく出来るならそれにこしたことはないだろう?例えば鉄パイプの規格を考えてもみろ。あんなに緩い規格で素材が出来ていたら、後工程は困るだろうが」
黒衣の男が言うことはよくわかる。
鉄パイプの外径寸法や、シーム部のビード高さが公差の上下限でばらつくと、曲げ加工は不可能になるのだ。
何故ならば、外径と内径に合わせた金型を使うからだ。
外径がレンジで0.3ミリもバラつけば、挟んで押さえる金型は機能しないし、内部に挿入するマンドレルもビード高さが0.5ミリの範囲でばらつくと、ぶつかってしまい使えないのだ。
その結果、JIS規格よりも厳しい条件のパイプを高い金で買うことになる。
ほんの一例ではあるが、JIS規格が機能していない事もあるのだ。
でも、こういうのがあるから新規で参入すると痛い目に遭うんだよね。
――しかし
「その例えが痛いほどわかるので、同業者の様な気がしてならないのですが」
「案外、同じ会社だったかもしれんぞ」
「笑えませんね」
元同僚と異世界で殺し合いとか笑えないな。
あまりにも酷くて何度か殺意が湧いた相手もいたけどね。
「少し話し過ぎたようだな。邪魔さえしなければ貴様の命を取ることはしない。しかし、邪魔をするのなら容赦はしない。生産技術はQCD全てを司る。品質管理如きが勝てるとは思わない事だな」
黒衣の男はそう言うと、出てきた方向へと戻っていった。
神殿騎士団がそれを追おうとしたので静止する。
「戦っても勝てないですよ」
「しかし……」
不満そうな騎士たちに囲まれた俺は、ジーニアに合図をした。
「バッチリ記録出来ましたよ」
そう言って彼女が手に持って見せたのは記録の水晶と呼ばれるマジックアイテムだ。
その名の通り音と風景を記録してくれるのだが、黒衣の男が先程までベラベラと喋ってくれた、王都の神殿がダークエルフに依頼をしたところもバッチリ記録出来ている。
ジーニアが水晶に魔力を流すと、先程の会話が再生される。
「これがどこまで交渉材料として使えるかだけどねえ」
国王に届ければ、王都の神殿も少しは大人しくなるかな?
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