第26話 ブロックゲージ 後編

 ランタンの明かりに照らされたシルビアの傷口はどす黒く変色していた。

 その変色は、鉄の定盤の上にピクリン酸をこぼして、錆を発生させた時のように広がっている。

 呼吸は夏の倉庫で選別している時のように荒くなっていた。

 素人目に見ても命の危険があるとわかる。


「アルト、毒じゃない?」


 スターレットが持っていた布で、シルビアの額に浮かんだ脂汗を拭う。

 俺は首肯すると、すぐにヒールをかけた。

 シルビアの傷口はふさがり、呼吸も落ち着いてくる。


「また助けられたわね――」


 シルビアからお礼の言葉を貰うが、口調はとても弱々しい。

 シルビアが弱々しいのは新鮮だな。

 いつも元気だった同僚が、たちの悪い客先の品質管理担当者に捕まり、何度対策書を提出してもやり直させられて、笑顔が消えたときのようだ。


「スターレット、ここでシルビアを見ていて欲しいんだ」


「アルトは?」


 スターレットが心配そうな声を出す。


「これから研究室を見てくる」


「一人じゃ危ないわよ」


「大丈夫。研究室に罠を仕掛ける奴なんていないから。自分が研究室に入るときにも命の危険があるとかいう造りにはしないさ」


 TRPGでやたらと研究施設に罠を仕掛けたがるGMがいるが、実際にはそんなに罠などないだろう。

 警備会社の警報システムの解除がやたらと面倒な工場になんて、出勤したくないのと一緒だ。

 ガーディアンが設置されているくらいかな?


「それじゃあ行ってくるよ」


 ランタンを持って地下の研究室に入っていく。

 分けて入る袖にあはれをかけよとて瓦礫の庭に人さへぞ無くだな。

 あはれをかける孤児たちはここにはいないけど。

 パクりました西行さん。


 入り口から続く階段は15段と少ない。

 あっという間に小さな部屋にたどり着いた。

 テーブルの上には実験器具、壁際には本棚があった。

 床にはチェストが置いてある。

 そのとなりに白骨化した死体があった。



「本棚に日記があるのが定番だよね」


 埃にまみれた本を端から順番に手に取り、パラパラと捲って内容を確認する。

 二冊目で日記に当たった。

 研究内容の細かい部分はわからないが、ある時偶然に少量のオリハルコンが精錬出来たと書いてある。

 そこからは量を増やすための試行錯誤が始まり、手のひらサイズまでは出来たとあった。

 神の金属ともいわれるオリハルコンが出来たのならたいしたものだな。

 日記は「明日研究結果を大々的に発表する。それまでチェストの中に大切にしまっておこう。自分の事を嘘つきだと言っていた連中の鼻をあかしてやる」で終わっていた。


「なんとなく状況がわかったぞ。発表前日に何らかの原因でここの主が死亡してしまった。研究結果が嘘だと思われていたから、逃げたかなんかだと思われたんだろうな。ここが荒らされていないのが証拠だよ。あんたは信用されていなかったんだ」


 そう床に転がっている死体に話しかけた。

 勿論返事はない。


「まったく、なんでそれが今になって騒がれるんだよ」


 お陰で孤児院は放火されるし、シルビアは死にそうになるし。


「あんたがキチンと研究成果をつまびらかにしておけば、こんなことにはならなかったんだぞ」


 愚痴を言いながら、チェストを丹念に調べた。

 罠が仕掛けられている様子はない。


「さて、本当にオリハルコンが入っているのかな?」


 チェストを開けてみると、そこには小さな手のひら程度の大きさの銀色の金属があった。

 他には何もない。


「銀?」


 銀とは少し違うように見える。


「こんな時のための【蛍光X線分析】」


 蛍光X線分析スキルで金属の成分を確認してみると、とてもよく知っているものだった。


「アルミが99.5%かよ」


 念のため硬度測定もした。


「A1100に近いな」


 こちらのアルミもとても柔らかい。


「オリハルコンってこんなに柔らかいのか?」


 疑問に思ったので、オリハルコンのブロックゲージを作って硬さを確認してみた。

 全然硬さが違う。


「比重は近いのかもしれないな。鉄よりも軽い金属が出来たから、それをオリハルコンって思ったのかな?」


 まあ、電気も無しにアルミを精錬した実績はすごいと思う。

 大量生産を可能にしていれば、今頃世界にアルミ製品が広まっていただろうな。

 アルミの塊を手にとって、じっくりと観察する。

 この量では何に使えるという訳でもないが、錬金術師の研究成果に敬意を払う。


「アルミはいいけど、オリハルコンはどう考えてもマズイよな……」


 何も考えずに作り出した、オリハルコンのブロックゲージは収納魔法でしまいこむ。

 そこでふと思い付いたことがあった。


「金のブロックゲージを作り出したら、孤児院の再建費用になるかな」


 材質が純金のブロックゲージを作り出して、アルミと一緒にチェストに入れた。

 ついでに本棚を収納魔法で回収しておく。

 こいつは研究機関である『賢者の学院』にでも売り付けようか。

 回収するべきものは全て回収出来たので、最後に白骨に向かって手を合わせて冥福を祈った。


 地上に戻ると衛兵がやってきて、俺とシルビアが倒した賊を連行していくところだった。

 ピンゲージで叩いたくらいじゃ死なないと思っていたが、シルビアも急所は外していたようだ。


「アルト!」


 俺に気がついたスターレットが走ってくる。


「ただいま」


「無事でよかった」


「衛兵はどうしたの?」


「シルビアが呼んできてくれたの。転がしたままっていうのも怖いし」


 確かにまた襲いかかってくる可能性もあるからね。


「で、オリハルコンはあったの?」


 シルビアもやってきた。

 やはり気になるのはそこか。


「オリハルコンは無かったよ」


 心の中で、俺が作ったのはあるけどねと付け加える。


「じゃあ何があったのよ?」


「日記と研究書籍に金塊とアルミの塊だね」


「金塊!?」


 スターレットとシルビアが色めき立つ。


「孤児院の再建くらいは出来るだろうね」


「そうよね!」


「そうね……」


 スターレットは興奮した口吻だが、シルビアは不満そうな口吻である。

 元々俺が自分で造り出した金塊なので、全部孤児院に渡しても後悔はない。

 シルビアはそうじゃないし、命の危険もあったから少し可哀想かな。

 あとで埋め合わせはしてあげないとかな。


「そろそろ日の出だね」


 見上げると空が白み始めてきた。

 徹夜だというのに、体はそんなにもダルくない。

 若い体はいいな。

 これなら仕事で何日徹夜しても大丈夫だ。

 前世でもこれくらいの体力が欲しかったな。

 不具合対策で寝ずに仕事をしても大丈夫だったろう。

 労基的に大丈夫じゃないけど。


「冒険者ギルドにもどろうか」


「うん」


 スターレットは元気よく頷いた。

 シルビアはどんよりとして、俺達の後からついてくる。

 よっぽどオリハルコンに期待を寄せていたのね。


 冒険者ギルドに戻ってからは、ギャランが出勤してくるのを待った。

 そして、ギャランが来たので、いよいよ交渉だな。

 冒険者が増えてくるので、孤児たちは一旦外にでてもらう。

 スターレットが子供たちの面倒を見ており、俺とシルビアとパブリカで買取交渉をすることになった。


「本の類いはこっちで賢者の学院と交渉する。そのときにこのアルミニウムとかいう金属も買い取って貰うよ」


 流石のギャランもアルミには値段をつけられなかった。

 おそらくは、この世でここにしかないだろうから、そういう意味ではオリハルコンに匹敵するよな。


「それならついでに孤児院の土地の買取も聞いてくれると助かるよ。研究室の調査ともなると、その間孤児院の再建が出来ないからね」


「わかったよ。でも、賢者の学院がそんなに高値をつけなかったらどうするんだよ?」


 ギャランが金がないだろと言いたそうにしている。


「研究室には金塊もあったからね。それを使えばステラの街に孤児院を建てるくらい問題ないさ」


 この事はパブリカには話してある。

 建設が終わるまでは、孤児たちは宿で暮らすことになるので、それなりにお金がかかるのだが、それでも十分なくらいには金を作り出してある。

 それなら一生遊んで暮らせるくらいの、金のブロックゲージを出せばいいのにと言われるとそうなんだけど。

 そんなにホイホイ金を生み出していたら、ハイパーインフレ起きちゃうよ。


 そんなわけで冒険者ギルドが賢者の学院と交渉をしてくれたので、後日孤児院が受け取ったのは、土地を含めてそれなりの金額となった。

 アルミの精錬について書いてあった本は、かなりの金額がついたのだという。

 他国にでも持ち込まれたら一大事だろうしね。


「ありがとうございました」


 パブリカは何度も頭を下げてお礼を言ってくれる。

 悪い気はしないが恥ずかしいな。

 彼女はこの後、スターレットと一緒に子供たちを連れて、孤児院の焼け跡に行くそうだ。

 焼け残った物の確認をするのだという。


 残ったのは俺とシルビアだ。


「シルビア……」


「何?朝食なら付き合うわよ」


「朝食もそうなんだけど、今からデボネアのところに行こう」


「何でよ?」


「今回のお礼がしたくてね」


「何でよ。助けられたのはあたしの方じゃない」


「シルビアが地下の研究室の事を教えてくれなかったら、今頃パブリカや子供たちは死んでいたと思うよ。今回はとても感謝しているから。この恩は一生をかけて返していくよ」


 そこでシルビアは少し照れて、黙ってしまった。

 沈黙は刹那であったかもしれないが、俺には劫にも感じられるほど長く感じられた。

 それくらい、相手に黙られると恥ずかしい。

 ちょっと大袈裟過ぎた。


「そうよね」


 シルビアがやっと口を開いてくれたので、やっと羞恥を心の赤箱に隔離出来た。

 そして、冒険者が冒険者ギルドに向かってくる流れに逆らい、二人でデボネアの工房へと向かう。


「おはようございます」


「おはよう」


 店の扉を開けて中にはいって挨拶をすると、奥にある工房の方からデボネアの返事が返ってきた。


「はやいのう」


 工房からデボネアがのっそりと出てきた。


「シルビアにミスリル銀でショートソードを作って貰いたいんだけど」


「「えっ!?」」


 デボネアとシルビアは俺の言った言葉に驚く。


「アルト、ミスリル銀なんて在庫しているわけないでしょ!」


「そうじゃぞ。ドワーフの里にある専用高炉で材料を作って貰うのに半年は待たんとな」


 二人は材料が無いのから無理だと言う。


「これでいいかな?」


 俺はブロックゲージ作成スキルで、ミスリル銀の塊を作り出して、店のカウンターに置いた。

 インゴットよりも遥かに純度が高い代物である。

 デボネアはそれを手に取ると、息を荒くしながら品定めをはじめた。


「こいつぁ本物じゃないか。しかも、純度も申し分ないわい」


「これで出来るよね?」


「勿論じゃよ。早速シルビアのサイズを確認させてもらおうかの。アルトの気が変わって、余所の工房にこれを持ち込まれたらドワーフの名折れ」


「代金は引き取り時に持ってくるよ」


「夕方迄にはやっとくわい」


「早いよ」


 あまりにせっかちなデボネア。

 他の仕事はいいのだろうか?


「こいつを最優先でやるからのう。後は徹夜してでも明日までに終わらせるわい。十把一絡げの仕事なんて後回しじゃ!」


 それを聞いて苦笑した。

 新規の開発案件来ると、日常業務なんて後回しにしていた前世を思い出したからだ。

 やはり仕事はやりがいか。


 尚、シルビアもその日1日ご機嫌だったのは言うまでもない。




※作者の独り言

あれの話に似てしまいましたが、変なパロディを入れずによくやれたなと自画自賛。



用語解説

・蛍光X線分析

 コンタミや製品の成分を分析するのに使う。ネット通販でも購入できる。


・赤箱

 不良品を隔離する赤い箱。廃棄する前に工程内不良の解析をするため、ゴミ箱とは違う。

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