5.「道」の人生論的理解(1)
世界の実相は「道」であり、世界は「道」の〈はたらき〉に満たされています。
ですから、「道」に沿った生き方をするほうが無理なく生きられる、というのが『老子』の基本思想です。
たとえば、「道」の〈はたらき〉と同じ方向へ進めばうまくいき、逆らう方向へ行くとよくないことが起きる、ということになります。
しばしば『老子』の思想を象徴する言葉として、「無為自然」という概念が持ち出されていますが、この「無為自然」というのは、べつに‘なにもしない’ということではなく、「道」の〈はたらき〉に沿う、ということを意味しています。
「道」の〈はたらき〉に逆らうこと、作為、それが否定されているのですね。
具体的に言うと、たとえば前回お話したように、争わない、ということが「道」に沿った生き方の一つです。
水のように、衝突を避けて、争わない。
そういうしなやかさをもって生きることが「道」に沿った生き方であり、望ましい生き方だ、ということです。
他には、足るを知る、ということ。欲望の虜にならないことが推奨されています。
前回、「道」の往復運動、
1⇒2
2⇒1
について記しましたが、
たとえば「2」を、「豊かであること/貧しいこと」の二項対立的価値世界だとするなら、カネほしい、カネほしい、もっとカネほしい、というのは、いつまでもいつまでも、この「2」の世界にしがみついている有り様を示します。
おカネがあることが豊かさでしょうか?
おカネがなくても豊かでいられることはあり得ます。
俗世間的な「豊かさ/貧しさ」の彼岸にあるところ、「1」の世界、そこへ回帰することが、いわば「足るを知る」ことですね。
「2」にしがみつけばしがみつくほど、どんなに(物質的には)豊かになろうと、逆に、(欲望の虜になったせいで)貧しくなってしまうものです。
この「足るを知る」という徳目は、たとえば「仕事をやりとげたなら、さっさと身を引いて引退する」[P37]という処世訓としても語られます。
実際、いつまでも「仕事」にしがみついていると、果ては「老害」なんて呼ばれてしまい、逆に評価を落としちゃったりしますよね。
【「道」をわがものとして守っている人は、何ごとについてもいっぱいまで満ちることは望まない】[P57]
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