第25話 卵焼き



 宿題を終わらせた二人がソファーで寛いでいる。


「ねぇ、裕太…………。」

「何だ…………?」


 優香が裕太に声をかけた。ゆっくりと彼の方を向きながら声をかけた理由を言う。


「お腹空いてきた…………。」

「…………。」


 もうお昼時だったので優香はお腹が空いていたらしい。それを聞いた裕太は何か考え事をし始めたらしく、無反応のままだ。


「よし…………!」


 勢いよく立ち上がる。裕太は何かを決意したようだ。優香の目をじっと見つめながら口を開いた。


「一緒に作ろう…………。」


 裕太が突然立ち上がったことに驚いたまま固まっていた優香が再起動して、聞き返した。


「何を…………?」


 冷や汗を掻いている裕太はいつかは絶対に解決しなければならない難題へと向かっていこうとしているのだ。すぐ先には絶望しか待っていない。だが、いつまでも避け続けることなんてできない。折れそうになった心を奮い立たせて、絞り出すように優香の問いに答えた。


「ご飯…………。」

「…………。」


 裕太と優香が解決しなければならない難題。それは優香の料理を食べられるものにすると言うものだ。今現在彼女の料理の作る力は皆無と言ってもいい。いや、むしろ、マイナスとなっていると言った方がいいのかもしれない。だって彼女は何をしても毒を作ってしまう天才なのだから…………。







 キッチンに居る裕太の目にはエプロンを着た優香の後ろ姿が映っている。裕太はこれから料理を作る優香の監視役として今この場に居る。彼女に全て任せてしまったら何ができてしまうのか心配で仕方がなかったらしい。


「さて、これから優香にはスクランブルエッグを作ってもらうんだが…………。」

「?」


 じっと見つめられている理由が分からず、首を傾げている優香。彼女は一度だけではあるものの、スクランブルエッグを作った経験があるため作り方はきちんと覚えている。作り方に関しては心配する必要は全くない。


 でも、心配しなくてもいいのは作り方だけ。本当に心配するべきところは全く別の点だ。


「食べれるものを作ってくれると嬉しいです…………。」


 これは裕太の心からの願い。彼は一度お仕置きとして優香の作ったスクランブルエッグを食べさせられたが、それは到底人間が食べれるような代物ではなかった。つまり劇毒だったのだ。それによって彼は一日ほど生死の境をさまよったらしい。実際、それを食べた翌日の学校は体調不良で休んでしまった。


 何とか死地から抜け出してこれたからこそ今彼は元気に生きている。その経験によって彼は優香の作る毒に対してある程度の耐性を得てしまったことは彼自身ですら知らないことである。


「私は食べれるよ?」


 冷や汗を流しながら、優香は答えた。自分で作ったものなのだから当然かもしれないが、優香は自分の料理を食べることはできる。ただ、匂いや味はしないらしい。彼女にとっては無味無臭の食べ物なのだ。何故、優香だけが無味無臭だと感じる理由は本人にもわからないようだ。


 参考までに言うと裕太は彼女の料理をこの世のものとは思えないほどの不味さだったと語った。


、食べれるものだ…………。」


 みんなと言う言葉をやたらと強調する。


「…………。」


 裕太の要望に対して、口を噤んでしまった優香。彼女も最初から裕太の言いたいことは分かっていた。だが、全く持って自信がないのだ。皆が普通に食べられるものを作れる自信が…………。だから、彼女は裕太の視線から逃れるように顔をそらしながら…………。


「期待しないでください…………。」


 か細い声でそう呟くほかなかった。









 卵を割りかき混ぜる優香。割った直後の卵はまだ変色していない。だが、優香が切るように混ぜだした途端色が変わった。緑、黄緑、黄、紫、青…………と色々な色に変わっていく。その光景を見た裕太は顔が引きつっている。


「…………。」


 変わっていく色に対して恐怖を覚えているのだ。


「裕太、どうしたの? 体調が悪いなら、休んでいてもいいよ?」


 裕太が冷や汗をだらだらと流していることに気が付いた優香はいったん手を止めて心配そうに訊ねた。


「だ、大丈夫だ…………。」


 優香が料理していることこそが原因だとは言えず、誤魔化した。


「それならいいんだけど…………。」


 いまだ心配そうにしながらも、作業を続けていく。卵に牛乳を加えてまた混ぜる。これを入れることによって、卵がふわふわになるらしいのだ。


(行程事態はおかしくないんだがな…………。)


 裕太の心の声の通り料理の行程事態には何らおかしな点はない。だが、色が変わると言う明らかにおかしな現象が起きているのだ。そのことに気が付いているはずなのに何ら反応がない優香。彼女にとってはこれが普通なのだ。裕太は一応、優香に訊ねておくことにした。 


「なぁ、優香…………。その卵、さっきまで黄色じゃなかったよな…………?」


 その言葉を聞いた優香の肩がびくりと震える。


「な、何言ってるのかな!? ずっと黄色のままだよ!」


 目を泳がせながら、早口で裕太の言葉を否定する。誰の目にも彼女が動揺しているように映るだろう。


「優香って、嘘つくとき目が泳ぐよな…………?」

「そ、そんなことないよ!」


 裕太の指摘を否定した優香を裕太は視線を一切動かすことなく見つめ続ける。


「本当か?」

「本当だよ!?」


 挙動不審になっている優香は手元が狂い始めている。何度も箸を手から滑らせてしまう。


「まぁ、いっか…………。」


 今はこれ以上の追求をやめることにした裕太。


「とりあえず、最後までやってからだな…………。」

「う、うん…………。」


 動揺が抜けきっていないが、追及から逃れられたことに少しだけホッとしている様子の優香はあらかじめで出して置いたフライパンを火にかけ、油を敷く。


 卵を落として『ジュッ』と音が鳴ったことを確認する。それから火を弱火にして、卵を入れる。じっくり焼いていくことで焼き過ぎることを防げるのだ。


(やっぱり…………。)


 優香が卵を箸で混ぜる度、変色している。自分の目に狂いはなかったのだと確信する。


「できたよ…………。」


 完成したスクランブルエッグをお皿に盛りつけて、裕太の目の前まで持ってきた優香。色は普通。でも、一番の問題は食べても大丈夫かどうかだ。


「優香は食べてみたのか?」


 優香は首を振った。味見はまだしていないようだ。優香の料理が食べれるかどうかは彼女が食べてみて味がするかどうかによってしか判断できない。これでもし彼女が味がしなかったと言えば裕太は食べるのを拒否していたかもしれない。


 一度は食べて無事であったのだから、また食べたところで前回のようになることはないと心のどこかで分かっている。それでも、わざわざ食べる気にはならないようだ。


「俺がスプーンを持っていくから、座って待っていてくれ。」


 元気がなさげな優香はこくりと頷いた。上手くできた自信がないのだ。自分が混ぜる度に変色していく卵を見ていればそう思うのも当然と言えるだろう。


「味がしなかったら、ちゃんと口から出せよ?」

「何で…………?」


 何故裕太がそんなことを言うのか、分からず聞き返す優香。


「いくら優香は食べても大丈夫だと言っても、体に悪いかもしれないからな…………。」

「うん、分かった…………。」


 裕太が優香の身体を心配していってくれたことが分かった優香は素直に聞き入れた。


「「いただきます…………。」」


 二人同時に手を合わせる。最初に手を付けたのは裕太だ。震える手でスプーンを取り、スクランブルエッグをすくう。そして口に入れた。それに続くように裕太も口に運ぶ。


 裕太はもぐもぐと食べていと目をぱちくりとさせながら首を傾げた。


「ん? 食べれるには食べれるけど…………。」


 じっと皿の上にまだ残っているスクランブルエッグに目を向けて呟いた。


「味がしない…………。」

「私も…………。」


 優香も彼の言葉に同意する。


「と言うことは…………。」

「失敗かぁ…………。」


 裕太の呟きに繋げて、結果を呟く。肩を落とす優香。失敗する可能性が成功する可能性よりもはるかに高いことは分かってはいた。だが、ショックなのには変わりない。



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