エレベーター・イン・ザ・ダーク

すでおに

エレベーター・イン・ザ・ダーク

 デリバリーのアルバイトをしていた時の事です。


 タワーマンションに配達することがありました。地上数十階建ての高層マンション『タワマン』は勝ち組のステータスとして羨望を集める一方、供給過剰が危惧されたり台風の被害を受けたりと良くも悪くも話題に事欠かない。現代を象徴する建築物と言えるかもしれません。


 タワマンへの配達自体はままあったのですが、中に他とは一線を画す『ザ・タワマン』と呼べるものがありました。都心にそびえる超高層マンション。具体名は書けませんが、ネット検索すると関連ワードで「芸能人」と出てくるので、実際何人か住んでいるのでしょう。


 玄関を入ると、ロビーで3人の女性コンシェルジュが迎えてくれます。配達の人間にもにこやかな対応で、該当の部屋に電話を掛けて到着を伝えてくれます。英語が堪能な方もいたので、相応の賃金を得ていると思われますが、それが3人も常駐している。人件費もかかっています。


 来客名簿に名前や電話番号を記入し、カードキーを受け取って部屋へ向かうのですが、ロビーを過ぎると、壁だと思っていた自動ドアがオープン。全館空調完備で、共用部分まで夏涼しく冬暖かい。全面絨毯敷きの廊下に窓はなく、心地よいボリュームのクラシック音楽が流れています。清掃も行き届いていて、庶民には手の届かないザ・タワマンがそこにありました。


 ある夜のことです。


 普段は昼間に配達していたのですが、一度夜に行ったんです。10時前ぐらいでした。初めての夜は、ロビーの雰囲気も異なりました。人の往来が乏しい、だけでなく、いつもは3人いるコンシェルジュが一人だけ。しかも男性で50歳前後でしょうか、オールバックにスーツ姿、やや強面で、それもいつもと違う緊張感をもたらしていました。


 配達と告げると、そのコンシェルジュはいつものように部屋に電話をかけました。電話が終わると、目を見据えて問いました。


「裏のエレベーターを使ったことはありますか?」


 裏のエレベーター?


 太陽の下では耳にしないであろう、背徳の滲む語感。何度も訪れているのに初めての質問で、いくらか咀嚼が必要でしたが、そんなものを使ったことはなく、そう答えました。


「ドアを入った右側に黒い扉があるので、その中にあるエレベーターを使ってください」


 言われた通り、自動ドアを通るとたしかに右の壁沿いに黒い扉がありました。何度もそこを通過していましたが、存在に気づきませんでした。

 黒い扉を開くと、冷たい風が顔にかかりました。全館空調完備のはずが、ここだけ陸の孤島のように暖房が無効で、外気以上に冷え込んでいる。そこは『ザ・タワマン』からはかけ離れたコンクリート抜き出しの、施工中のトンネルのようにがらんとしていて、枯れ葉まで落ちている始末。木枯らしにコートの襟を立てる気分で歩を進め、奥にあるエレベーターに乗り込み、行先階のボタンを押すと上昇を始めました。


 "裏のエレベーター"はどこへ通じているのか。


 もしかしたら、秘密の会合が開かれているのではないか。危険に足を踏み入れてしまうかもしれない。見通しが定まらないままエレベーターは目的階に到着しました。

 エレベーターホールを出ると、他の階と変わらない空調の効いた絨毯敷のフロアが広がっています。配達先の部屋に着き、固唾を飲んでインターホンを押しました。


 現れたのはパジャマ姿の女性でした。


 えっ?っと一瞬拍子抜けしましたが、すぐにはっと気づきました。


 ここは芸能人専用フロアなんだ。だから一般のエレベーターでは来られないんだ。


 商品を渡ししなにその女性の顔を目に焼き付け部屋を後にしました。


 しかしその女性に見覚えはありませんでした。誰だろう?自分が知らないだけで有名人なのか。人気声優とか。もしかして漫画家だろうか。そういえばどことなくそんな匂いがした。それとも有名人の娘とか?


 答えの出ないまま乗り込んだ帰りの、裏のエレベーターで、配送業者の人と乗り合わせました・・・。


 ようやく答えがでました。裏のエレベーターは、高層マンションに設置が義務付けられた、単なる非常用でした。


 それまでは住民用のエレベーターを使用していましたが、男性コンシェルジュは、業者の人間には非常用のエレベーターを使わせる方針だったようです。住民を邪魔しないだけでなく、高層ゆえ上位階へは途中で一度乗り換えが必要だったのですが、非常用は直通運転。

 冷静に考えれば、仮に特殊なフロアがあったとして、寒々としたエレベーターを使わせるはずはないですよね。位置的にちょうどフロントの真裏なので「裏のエレベーター」と表現していただけでした。


 タワマンに委縮しての自滅でした。


 後日談ですが、数か月ぶりにそこへ配達した際、昼だったのでエレベーターは指定されなかったのですが、独断で裏のエレベーターを使いました。黒い扉を通るまでは良かったのですが、目的階でカードキーをかざしてもドアが開かない。慌てて1階に戻っても内側からは開けられず、見事に閉じ込められてしまいました。

 注文客に電話を掛けて事情を説明し、結局女性コンシェルジュによって救出されました。理由は定かではありませんが使用を取りやめたそうです。

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