第27話 さりとて、変わりゆくものは


 ミランに、軽くはたかれた。


 そう気づいた途端、頭が疑問でいっぱいになった。

『一体なんなんだ』と顔中にでかでか書いてアレシュが黙っていると、ミランはいつになく真剣に、怒りすら感じさせる瞳で告げる。


「俺の行動を、貴様が勝手に決めるな。俺は、俺のやりたいことしかやらん」


「ああ。……すまない」


 アレシュは少々呆気にとられたまま、とにかくうなずく。

 幼いくらい素直な返答に、ミランは小さくうなって腕を組み、微妙に視線をそらした。


「素直に謝られても気味が悪いな。まあ、我ながら五年前はよく思い切ったなとは思うが」


「……そうだよな? さすがにそうは思ったよな? お前はあの――今回のアマリエみたいになった……サーシャを。見たんだろ?」


 サーシャの名を口に出すと、まだ勝手に体が、声が、情けなく震える。

 恥ずかしくはあるが、隠すのも今さらだろう。アレシュがあきらめてまつげを伏せていると、急にハナが声を大きくした。


「私っ!! 今すぐこれから台所へこもって、お料理してこようと思います。集中しますのでしばらく出てきませんし、何も聞きません。何か食べたいものがあれば、ご主人様のご要望に限っては聞かないでもありませんが?」


「お前が料理するのか? 珍しいな。料理屋から買ってくるのじゃなくて?」


 滅多にない申し出にびっくりして聞き返すと、ハナはむっとした顔でにらんでくる。


「私の料理じゃお嫌ですか」


 噛みつくような口調だが、よどんだ瞳に敵意はないようだ。

 少々腑に落ちないものを抱えながら、アレシュは小さく首を横に振った。


「そんなわけないだろう。じゃあ、消化に良さそうなものを頼む。肉か魚を煮たものに、芋のパンケーキをつけて」


 百塔街周辺の郷土料理を頼むと、ハナはどこか満足げに顔を上げる。


「わかりました。後は男同士、せいぜいいちゃいちゃしていてください。では!」


 颯爽と立ち去った彼女の背を見送り、アレシュとミランはなんとなく気まずく目をあわせた。


「……いちゃいちゃだそうだ」


「うむ。彼女なりの配慮というか、気遣いなのだろう。ハナさんはいつだってわかりやすいひとだからな。……ちなみに彼女の料理の腕は?」


「なんというか――『面白い』」


「了解した。これ以上は聞くまい」


 殉教者じみた顔になったミランに、アレシュは少し考えこんでから言う。


「それよりお前、ハナを追いかけたほうがいいんじゃないか?」


「は? どうして」


 返ってきたのは本心からの疑問いっぱいの声音だ。

 アレシュはきょとんとして、少し頭をもたげて訊ねる。


「え。だって。ハナは変な誤解をしてるけど、下僕はハナのことが好きなんだろう? ここは追いかけていって、あんな阿呆より君のことが好きなんだ、一緒に居たいとかなんとか言うところだぞ。僕ならそうする」


「ほお」


 ミランは顔をしかめてアレシュを見つめてから、なぜか大きく肩を落とした。


「……常々思ってはいたが、ハナさんは貴様よりは大分大人だな」


 どことなく投げやりに言い、ミランは身を翻す。そのままハナを追っていくのかと思えば、彼はアレシュから一番離れたソファへ身を埋めた。

 かち、こち、かち。

 柱時計の音が奇妙に大きく響く。

 アレシュはしばらくソファの背にもたれてじっとしていたが、すぐに落ち着かなくなった。ミランがそばに居てこんな気分になるのは初めてだ。彼は自分にまとわりついてくるのが普通で、どれだけ足蹴にしてもめげない男だった。

 自分はミランがどうでもよくて、ミランはミランで勝手に兄貴と自称してこの家に寄生して、それが永遠に続くような気がしていたのに。


「――ミラン。僕は今、ここ数年間で一番、お前のことがわからない。お前は、どうしてここにいるんだ?」


 アレシュがぽつりと聞いても、しばらく返事はこなかった。

 かち、こち、かち、こち。

 柱時計の音に、天窓のほうでばさばさっ、と鳥の飛ぶ音が響く。

 やがて、至極面倒くさそうにミランが言った。


「……そんなことを説明しなくては駄目なのか。面倒くさい男だな」


 少しばかり首を伸ばして、ミランのほうを見る。

 ミランはアレシュに横顔を見せたまま、ゆっくりと足を組み替えて口を開いた。


「俺は、人殺しだ。今さらの話だが、ここから始めないと始まらんからな。

 俺はガキのころに呪いを受け、自分の家族も、友人も、隣人も、誰も彼も、村ごと全部氷漬けにして殺してしまった。これはまあ、悲惨だが、事故のようなものだ。俺はただ、自分の運命を嘆き悲しんでいればよかった」


 いつもの笑いの影を消し去て、ミランはそっとまつげを伏せる。


「……問題はそのあとだ。俺の力では呪われた自分の心臓を滅ぼせない。つまり、俺は自分では死ねない。そんな俺はどうすべきだ? どう思う、アレシュ」


「……わからない。死ねないんなら、しょうがないんじゃないか? ひとまず、生きるしか」


 アレシュの答えに、ミランは薄く笑った。


「優しい答えだな。優しくて、どっちつかずだ。俺は『しょうがない』とは思わん。自分で死ねないのなら、俺は荒野をひとりで歩き続けるべきだった。誰にも見つからないように隠れ住み続けるべきだった。そうして永遠の孤独に甘んじれば、誰も殺さずに生きることは出来たのだ。


 だが、俺はそれをしなかった。

 呪いを克服するとかなんとか言い訳をしては他人に近づき、そいつを殺した」


「それは……」


「『しょうがない』か? ……そう。実は俺も、当時はそう思っていた。しょうがないんだ。生きるためだ。本当は嫌だけれど、しょうがないんだ。

 ……そうやって自分に言い訳し続けていると、なんだかあやふやな気分になってくる。自分が、信じられなくなるのだ。こんなにもひとが死ぬのに、俺はどうして生きているのか。どうして狂いもせず、逃げもしないのか。俺は一体何者なのか。

 ひょっとして、俺は、


 淡々と語られた話が胸に迫ってきて、アレシュは言葉に詰まってしまう。

 こんな葛藤がミランの中にあるとは、正直アレシュは想像すらしていなかった。

 ミランの横顔は精悍で美しく、瞳はどこかを睨みつけている。その視線の先にあるものがやっとわかった気がして、アレシュは緩やかに先を促した。


「……それで?」


「それで、どうにか護符作りを身につけたはいいが心はすさみきった状態で、この街にたどり着いたのだ。それが五年前。ここなら悪人だらけ、誰を殺しても後悔することはないと思ってやってきたが、百塔街の悪党は俺のような小物とは格が違った。俺はインチキ札を売りつけた呪術師に喧嘩を売られ、早々と凍気を解放するはめになりかけていた。……そこへ出てきて、相手をさらりといなしたのがやけに綺麗なガキ。お前だ」


 ミランは言い、ちらとこちらに視線をよこす。

 その瞳がいつもより鋭いのを感じ、アレシュは少しぞくっとした。


「なるほどね。そんな出会いだったら、普通は惚れるとこだけど。お前はそうじゃなかったから……きっと、僕の美しさ、格好良さがうらやましくて、いらついただろうね?」


「自分で言うか、それを! ……しかしまあ、正しい。俺はお前に猛烈に嫉妬した。こんな、容姿に恵まれたあげく金もあり、ひとに愛され、才能もありそうな人間は死ねばいいと思った。だが――そのあとにお前は、俺にあれを見せた。自分のただひとりの友人だと言って、よりによって、あれを」


 苦く言ったミランの語尾がかすかに震える。

 あれ。

 すなわち、サーシャの変わり果てた姿のことだろう。

 どんな凄惨な光景を思いだしているのか、ミランからじわりと殺気じみたものがにじみ出す。それでも彼は、抑えた声で静かに言う。


「――俺は、あのときのお前の顔を覚えている。必死で、少し狂気じみていて、真摯で――つまりは、『何かを本気で愛している顔』だった。それで、わかった。……お前が、俺よりさらに不幸な奴だとな」


 ぽつり、と告げられた言葉はあまりにも正直なものだった。

 正直すぎるせいで怒る気にもなれず、アレシュはゆっくりと訊く。


「なるほど。君は僕に同情したのか」


「ああ。正確には、同情『できた』のだ」


 ミランは慎重に言い直し、不意に険しい顔をゆるめて笑った。


「あまりに哀れなものを見たせいで、ちゃんと同情という感情が動いた。ああ、俺にもまだ同情心なんてものがある。俺はまだ人間だ。そう思ったときは、震え上がるほどに嬉しかったな。お前にとったら、実に勝手な喜びだろうが」


「ああ。勝手だね」


 うなずいて答えるものの、アレシュも悪い気はしなかった。

 自分の愛と絶望がミランを救ったのだとしたら、別にそれは悪いことじゃない気がした。むしろ、多少報われるような気すらした。

 愛こそすべて。

 この街の人間があの歌を愛するのは、そういうことなんだろうか。

 カルラは幼い恋人をとっかえひっかえ、ルドヴィークは人形を愛で、アレシュにくっついてくる女も男も跡を絶たない。こんな場所でも、誰もが誰かを愛そうともがき、勝手だと思いながら誰かに同情する。

 そうやっていないと、人間は人間らしく生きられないのかもしれない。


 心が動く。それが、生きるということ。


 ミランは軽く息を吐くと、急に声を元の調子に戻して言った。


「うむ。そういうことで、俺はお前に同情し続け、人間でい続けるためにお前の兄貴になることを決めたわけだ! ひとまずはお前が本当のサーシャを思い出すまで、守ってやるつもりだった。ひょっとして一生思い出さない気かと覚悟しかけた日もあったが、目覚めは案外早かったな! ちなみに元サーシャを片づけたのは、俺とカルラ姉さんの共同作業だからな」


 まくしたてるミランを眺めて、アレシュはなんだか不思議な気分になっていた。今まではとんちんかんなことをまくしたてる謎の男だと思いこんでいたが、とんちんかんだったのは自分のほうだった。

 こいつは何ひとつ、嘘なんか吐いていなかったのだ。


「ミラン、僕は急にお前に抱きつきたくなったんだが、どう思う?」


「は?」


 すっとんきょうなミランの返事が、なんだか楽しい。

 小さく声を立てて笑い、アレシュは色っぽく目を細めて繰り返した。


「僕の兄貴なんだろ? だったら甘えさせてくれてもいいじゃないか。よく考えたらサーシャはそういうのは嫌いだったし、僕、男に甘えた経験がほとんどないんだ」


「そうだったのか!? そんな全世界全方位に甘えていそうな顔をして!?」


「失礼なこと言うなあ。僕だって相手は選んでるよ。それで、今、お前を男の初体験に選んだってことだ」


「はははははは破廉恥な!! やめろ、よせ、言い方が最高に気持ち悪い! 俺にそういうことをしてほしいなら、せめて今すぐ妹になってこい!」


「そっちの発想のほうが破廉恥だと思うけど。まあいいや。女装でいいの? 胸の大きさは?」


「いやいやいやいや、そこで聞くな、受け入れるな! 今ちょっとだけ真剣に考えてしまっただろうが。そもそも俺は胸より足派だし、お前の足はそんじょそこらの女よりよほど綺麗だと知っている……知っている……そうだ、綺麗なんだ……くそ、頭痛がしてきた」


 勝手に混乱して頭を抱えるミランに、アレシュはついに耐えきれなくなって爆笑を放つ。


「っ、は、ははは……痛……、あははは、痛い、痛いよミラン、傷が痛いけど笑いが止まらない、どうしよう!」


「ぐっと堪えて黙っておとなしくしていろ! カルラの手が空けば、そんな怪我などあっという間にどうにかなる!」


「そりゃそうだけど、カルラは忙しいんだろ? せっかくだから自分が背中をさすってやろうとか、そういう気にはならない?」


「さっきの流れさえなければ背中がすり切れるほどさすってやったところだが、今はならない。まったくならない。諦めて笑いを収めろ、つまらん香水の蒸留方法でも考えろ!」


 さも嫌そうなミランの声と、縮まらない距離が気持ちよかった。

 いくら隙を見せても、適当なところで立ち止まってくれるのが彼のいいところだ。礼儀正しすぎて、まっすぐで、こんな街でも頑固に自分の倫理観を守り続ける。

 やっぱりばかだなあとは思うけれど、今はそのことにほっとする。

 アレシュは柔らかに笑って彼を見つめ、ぞんざいに言った。


「……そうだな。お前はやっぱり、そこにいてくれ」


「だから、そういうことをいちいち口に出すな、気持ち悪い! どうせ俺は他に行くところがないのだ。お前は本当にろくでもないが体が丈夫で氷らないし、屋敷は無駄に広い。しばらくは世話になる」


 むっつりと返し、ミランはソファから腰を浮かす。


「――さて。では、俺は食事ができるまでの間、カルラとルドヴィークのところを回ってくるかな。『アレシュが無事に起きた』と知らせてやらねばならん」


「外はもう安全なんだな? つまり、その、エーアール派が出張る前くらいに危険なんだな、という意味だけど」


 アレシュが念のため問うと、ミランは小さく肩をすくめる。


「教会兵は影も形もないと言っただろう。クレメンテが生きていれば死者も生き返ったかもしれんが、今回は葬儀屋から死体が脱走したという話は聞かん」


「そうか」


 浅くうなずいたアレシュの脳裏に、赤黒い竜の絵がちらりとひらめく。

 あのまがまがしい竜が予言した混乱は収束した。きっとこのあとはいつも通りの日々が帰ってくる。

 いつもどおりの、日々。

 その言葉がなんだかしっくりこなくて、アレシュはしばし黙りこんだ。

 そんな彼を横目に、ミランはサルーンから玄関広間へ向かう扉のところで叫ぶ。


「そうだ、アレシュ! 俺がいない間に、ハナさんにも礼を言っておけ! 彼女の思いを受け取れないなら受け取れないでいいが、彼女も立派な『使徒』だった。俺たちの、仲間なのだからな」


「仲間、か」


 アレシュが繰り返しているうちに、ミランは外へと消えていく。

 深淵の使徒という関わりは、果たしてこれからも続いていくのだろうか。

 それは誰にもわからないけれど、確かに、ハナには一言労りの言葉をかけるべきだろう。なにせ彼女は、アレシュのことが好きなのだ。


(そういえば、ハナとふたりでじっくり話したことってないのかもしれない。いつの間にか居るのに気づいて、メイドをやるっていうから、いいよって言って。そのままだったな)


 それでは幽霊のサーシャと同じような扱いではないか。いや、もっとひどいかもしれない、と思ってアレシュはかすかに苦笑した。

 自分は本当に、今まであまりにものを見ずに過ごしてきたらしい。


「……ひとに説教できるような立場じゃなかったってことだ」


 景気づけにつぶやき、アレシュは傷をかばってどうにか立ち上がった。

 この場所でひとりになると、ついつい視線がサーシャを探して薄闇をさまよってしまう。しかし、その視界の端に赤い髪が映ることはなかった。

 当然だろう。あんなことになった彼が、魂のかけらでもここに残っているなんて考えるほうがどうかしている。


(きっとあの幽霊も、僕の心が生んだ幻だ)


 本当のサーシャはもう居ないんだと自分に言い聞かせると、さっきわずかに温まった心が面白いくらい凍えるのがわかった。

 罪で心臓が重くなり、目の前はすっと暗くなる。

 それでも、その場にくずおれてしまうような脱力感はなかった。

 どうやら罪というものは、見据えてさえいれば、先へ進むことだけはできるものらしい。罪をまったく持たない人間はどうなのだろう、と考えかけて、アレシュはすぐにやめた。

 そんな奴がいるとしたら、それはきっとクレメンテのような男だ。

 彼は彼でしあわせなのかもしれないが、アレシュはけして、彼にはなれない。

 それにクレメンテも、もう神の国へと帰ったはずだ。


「僕は、生きているひとを大事にしてこなきゃね」


 自分に言い訳するように言い、アレシュはおそるおそる地下へと向かった。


□■□


 その後、地下の台所へ顔を出したアレシュが見つけたのは、健気に料理をするハナの姿――ではなかった。

 台所は荒れていた。

 ひとけはなく、調理用具も食材も、何もかもがはらいのけられて床に転がり、がらんとした作業台の上には伝言の文字だけが残されている。


『魔界の少女と共に、逆さ聖堂で待つ。ひとりで来い』


 ――と、ただそれだけ。

 伝言は、灰と血で書かれていた。

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