第22話 なくしたものは取り戻せる


「そのとおりだよ、ルドヴィーク。じゃあ、打ち合わせ通りに――」


 始めよう。


 アレシュがそう口にする一瞬前に、辺りに一発の銃声が響き渡った。


「正気に戻れ! ここで諦めては、ラウレンティス様への申し訳がたたん。行け、蓋を開け!」


 続いて響いた士官の声に、はじかれるように数人の教会兵が顔を上げる。

 同時に濃い血の臭いが辺りに漂い、アレシュは状況を把握して緩やかに瞬いた。


「……自分の足を撃って、血の臭いで僕の香水の効果から逃れたのか。根性のある奴がいたもんだな」


「感心している場合か、アレシュ! 早く奴らを捕らえなければ!」


 ミランが叫ぶ間にも、派手な水音が上がる。

 上官の血の臭いで我に返ったひとりの教会兵が、ためらいなく浄水槽に身を躍らせたのだ。


「おおっ、さすが狂信者!」


「あらあら。ひょっとして、あのばかみたいに重い祭壇を手動で開けようっていうの? 頑張るわねー」


 なぜかちょっと嬉しそうにミランが言い、カルラはきょとんとして祭壇に向かって泳いでいく教会兵を見やる。

 ルドヴィークは薄笑いを浮かべたまま、一歩前へ出た。


「いかなる苦行も、エーアール派の信者なら望むべきところなのでしょう。これは後追いが出ますな。ちょっと失礼」


 紳士的に言った次の瞬間、ルドヴィークはさっき銃を撃った士官の前に居た。

 ほとんど瞬間移動でもしたかのように、人々の視線の間をかいくぐって駆け抜けたのだ。いつの間にか目の前に立った不吉な老人に、士官は愕然と目を瞠る。


「……っ!!」


 士官が何か言う前に、彼はルドヴィークの刃に切り下ろされて絶命した。

 鮮血を撒いて士官が通路にくずおれるのを見届けてから、アレシュは彼に声を投げる。


「ルドヴィーク、君の体は呪いを受けてはないな? 祭壇のほうは頼んだ!」


「――了解しました。我が友の願いとあらば」


 ルドヴィークは帽子の縁に軽く手を当てて返すと、外套を翼のようにばっ、と広げて空中回廊の欄干へと飛び上がる。そのまま軽やかに疾駆したかと思うと、ためらいなく浄水槽へと飛び降りた。

 異様な距離を跳んだ彼は、水の割れ目、祭壇の傍らに過たず着地する。

 直後、水の壁からざばりと教会兵が姿を現した。

 さっき水に飛びこんだ教会兵だ。彼は乾いた床に転がり落ちると、どうにか立ち上がろうとする。


「お疲れ様でした、死んでください」


 ルドヴィークが言い、軽やかに剣を突き出す。

 教会兵は目を瞠り、手にしていた銃剣でぎりぎり受けた。

 硬質な音と火花が散る。

 それを見た教会兵たちが、次々と水に飛びこむ。

 また、空中回廊のアレシュたちのほうへも押し寄せてきた。


「よぉし!! アレシュ、ここは俺に任せ……!」


「ここはお姉さんに任せてもらうわね~」


 のんびりと前に出たカルラに、アレシュとミランはそろって瞬く。


「カルラさん。あなたはもう少し下がっていたほうがいいのでは!?」


「そうだよ、カルラ。君には、なんなら祭壇のほうを頼みたい。どうにかあれを閉じられないか?」


 ふたりの声を背に聞いて、カルラは振り返らずに小首を傾げた。


「あの向こうは神界よ? 祭壇が開いてるうちに寄っていったら魔界がらみのものはみんな大打撃を受けるわ。うちの使い魔とかハナちゃんは命が危ない。呪われた心臓で生きてるミランも死ぬ。私が自分にかけてる呪術も解けるから、年齢が元に戻って灰になるわ。

 この中であのそばに寄れるのはアレシュ、あなたとルドヴィークだけ。ってことで、ルドヴィークが無事に蓋を閉じたら、使い魔呼んで全部壊しちゃいましょ。それと……」


 カルラがそこまで言ったとき、ふたりの教会兵が奇声をあげて彼女に迫る。

 カルラは軽やかな体捌きで攻撃を避けると、ひとりの襟首をつかみ、その顔面を自分の美しい膝に容赦なくたたきつけた。

 次に、つかんだままのそいつの頭を鈍器にして、ふたりめの顔面を殴りつける。


「う……あ……!」


 鼻血を振りまいて通路に転がるふたりの教会兵を尻目に、カルラはちらと振り返って片眼をつむる。


「私、アレシュよりは強いと思うんだ。殴りあいに関しては」


 茶目っ気たっぷりな彼女の言いように、ミランは青くなって黙りこみ、アレシュは真顔になって言う。


「君とだけは喧嘩しちゃいけないって、今はっきりわかったよ、カルラ」


「してもいいのよ。アレシュ、あなたの顔はつぶさないわ、絶対に」


「『修復できないほどにはつぶさない』の間違いだろ?」


「うん。当たり前じゃない?」


 あっけらかんとした返事にアレシュとミランは黙って顔を見合わせ、ハナはその後ろで不機嫌そうに鼻を鳴らした。


 そんな間にも、貯水槽の底では次々と現れる教会兵とルドヴィークが大立ち回りを演じている。

 いつの間にやら屍累々となったモザイクタイルの上で、まだどうにか立っていた教会兵のひとりが、ルドヴィークに向き合って調子外れの声で叫んだ。


「貴様……! 貴様らなんかに、神の意志は邪魔させない!」


「我々も、そんな大それたものを邪魔する気はありません、ご安心を」


「ほざけ!」


 怒声と共に教会兵が走る。

 ルドヴィークは無造作に剣先を下ろし、ひらと教会兵を避けた。

 教会兵はそのまま数歩走った後、不意にばったりとくずおれる。

 ルドヴィークが軽く剣をふると、タイルの上に前衛絵画よろしくばしゃりと敵の血しぶきが散った。


「よい庭を保つには草むしりが必要、ということです。……さて、大体片付きましたかな。それではそろそろ、神の門には閉じていただきましょう」


 ルドヴィークは平然と言って振り返り、銀の祭壇の蓋へ手をかける。


 そして、不意にびくりと震えた。


「……ルドヴィーク?」


 見たこともない彼の動揺に、アレシュの視線が持っていかれた。

 直後、ルドヴィークはいきなり剣を振り捨て、自分の外套の心臓の位置をつかむ。


「アマリエ……! アマリエ?」


 彼が呼ぶのは愛しい人形の名だ。

 アマリエがどうした。彼はどんな戦いのときにも、アマリエをけして離さない。まさか、大立ち回りの間にアマリエが壊れた、もとい、負傷でもしたのか?

 アレシュが彼の名を呼ぼうと欄干から身を乗り出したとき、祭壇の隙間からひときわ強い光が零れた。


 同時に、ルドヴィークから甲高い悲鳴があがる。


(そうか、そういうことか!)


 アレシュの脳裏にひとつの考えがひらめく。

 その瞬間、アレシュは空中回廊を走り、欄干を乗り越えてルドヴィークのもとへ飛び降りた。急激に貯水槽の底が近づきいてきたかと思うと、衝撃が身体を突き抜ける。

 うまいこと堪えられずに、無様に床に転がった。


「これだから、肉体労働は嫌いなんだ……!」


 悪態を吐きながら床に手をつくと、そこは血でぬめっていた。

 だが幸い、五体満足で戦える教会兵は今のところひとりもいない。アレシュは何度か滑りながらモザイクタイルの床を踏みしめ、ルドヴィークの腕をつかんで声をかけた。


「ルドヴィーク! アマリエに何かあったのか。あの子は……ひょっとして、だったのか?」


「…………」


 ルドヴィークは答えない。

 ただ、黒眼鏡の奥で限界まで瞠った目をアレシュのほうへと向ける。

 彼の外套の隙間で、筋張った手が震えているのがわかった。

 彼の手の中を見つめて、アレシュもまた目を見開く。


「これは――」


 今、ルドヴィークの手の中にあるのは、アマリエの三分の一ほどだった。

 人形は、顔も、体も、衣装ごと縦に裂け、三分の二を失っている。

 斬られたわけではない。

 人形の断面は腐食したかのようにぼろぼろで、まばゆい金色に光っている。

 粘土細工の人形は砂金に変わりつつあるのだ。こぼれた砂金は風に乗り、残らず祭壇の隙間へと吸いこまれていく。


 簡単な話だった。アマリエはあらかじめ強く呪われていた。

 もしくは、人形のふりをした魔界の生き物だったのかもしれない。

 ルドヴィークですらそれを知らなかったせいで、彼は神界の力が満ちたここへ下りてきてしまった。


「ルドヴィーク、少しでも祭壇から離れろ!!」


 とっさにアレシュは叫んだ。


「ばかを言うな。わたしに命令だと? この、わたしに? は、はは、あはははは、ははははは……わたしに! 命令を!!」


 ルドヴィークはすっかり正気を失っている。

 高さの安定しない叫びは不気味そのものだが、いまさらそんなことでひるんでいる暇はない。こうしている間にも、アマリエはどんどんと祭壇に吸いこまれて行く。

 

 アレシュは赤い瞳をきらめかせて怒鳴った。


「ああ、命令だ!! 僕はただの人間だ。親の遺産を食い潰すしか能も無い。だが、ただの人間だからこそ、神気を浴びても死にはしない! この僕があなたのアマリエを取り戻して、祭壇を閉じてやる。だから、どいていろ!」


 彼の声は不思議な迫力を持って響き、辺りの大気がかすかに震える。

 ルドヴィークはわずかに震え、のろのろと顔を上げた。

 気味の悪い瞳と、アレシュの赤い瞳がかち合う。

 いつもはただ妖艶なだけのアレシュの瞳。その奥にぽっちりと灯った赤い光を見たルドヴィークは、どこか操られるようにふらふらと祭壇から離れた。


「それでいい。僕の火事場の馬鹿力に期待してくれ」


 アレシュは微笑んで言い、光を零し続ける祭壇の隙間へ己の腕を突っこんだ。


「アレシュ! 何やってるの! それは駄目よ、やめて、アレシュ!」


 カルラの悲鳴みたいな声が聞こえる。

 みっともない、それが千歳にもなる魔女の声か。

 アレシュはほんの少しだけ笑ってしまう。彼女はいつだって大げさで、悲観的だ。


「大丈夫!! 僕、こういうことには慣れてるからね!」


 叫び返してから、アレシュは少しだけ不思議に思った。


 こういうことって、なんだ?

 僕は、何に慣れてるんだろう?


 なんだかよくわからない。ただ、妙な確信だけがある。

 この、瞳を焼く白い神の光。その中に消えていったもの。


 


 どこでやったんだっけ、こんなこと。

 うまく思い出せないけど、とにかく慣れている。

 一度失ったものは取り戻せるんだ。信じてさえ居ればもどってくる。

 大丈夫だ。とにかく今は集中しよう。こういうときは、相手の姿形をはっきりと思い出すのが大事なんだ。

 えーっと、アマリエはどんな姿だったっけ。

 粘土細工とは思えない、綺麗な子だったよな。

 陶器も同然に磨き上げられた白い肌。髪の毛はまっすぐで、さらさらで、いつだって丁寧に整えられていた。指は少女らしくふっくらで、桜貝みたいな爪が生えていたっけ。

 

 アレシュは、祭壇からこぼれる白い光の中に、アマリエの姿を思い描く。


 ――と、その輪郭は徐々に実体を持ち始めた。


 アレシュの記憶をよすがに、ぱらぱらと『何か』が寄り集まってくる感覚。

 祭壇の中で生暖かさだけを感じていたアレシュの指に、段々と堅い感触が戻ってくる。これはアマリエの感覚だ。そうだ、アマリエ。


(帰ってきて、アマリエ。ルドヴィークの大事な、アマリエ)


 最後に強く呼ぶと、祭壇の蓋の隙間から零れていた光がわずかに薄らいだ。

 今だ、とばかりにアレシュは力をこめ、掴んだものを祭壇から引っこ抜く。

 

「……ほら、できた。ルドヴィーク、アマリエだよ」


 引っこ抜かれたものは、確かに見覚えのある少女人形だ。吸いこまれる前と、髪の毛一本だって違っては居ないだろう。

 アレシュはほっと安堵して笑い、人形を抱いて振り返る。

 ルドヴィークはこちらを見ていた。


「アレシュ。……あなたは……」


 なんでだろう。彼はいつもより人間的な顔で、アレシュを見ている。

 アマリエではなく、アレシュを。


「ルドヴィーク? どうしたんだ? 

 こんなときだ、僕じゃなくてアマリエを見ろよ。おかえりって言って抱いてやってくれ。……ああ、ひょっとして、僕がアマリエを抱いているのが気に食わない? ごめん、こんなときだから無作法をした。もう返すよ。さあ、手を出して」


 せっせと話しかけても、ルドヴィークは歩みよって来ないし、アマリエに手を伸ばすこともしない。

 ただ、アレシュを見ている。

 驚いたような、哀れむような、懐かしむような……そうだ、これは、親しい人間の死体を見るような目だ。


「ルドヴィーク……? あなた、変な目をしているよ」


 途方に暮れたアレシュが囁いたとき、頭上で美しい音が響いた。

 全身が緊張し、意識が上へ向く。

 円蓋形の屋根があるだけの、頭上。

 そこから、ひらひらと花びらが落ちてきた。

 辺りがかぐわしい花の香りで満たされる。香水ではなく、生の花の。


(さっきまでこんな匂いは少しもなかった。まるで、何もない空間から花が生まれたような……)


 そんなの、ただ奇跡だ。

 とっさに誰かの顔を思い出し、アレシュが身を翻そうとした、が、間に合わない。

 すとん、と、目の前にひとりの男が着地した。

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