第3章 聖者は死体を踊らせる

第9話 消えた死体

「我々の死体管理は常に完璧、というわけではありません。この街の死体には色々な事情があることが多いですし、空いた身体を乗っ取ろうとしている輩も少なくないからです」


 クロイツベルグ、と名乗った葬儀屋の若手は、感情の色のない声で喋りながら細い道を歩いて行く。


 ここは彼らが管理する墓地のひとつだ。緑の木々が鬱そうと生い茂る敷地にはみっしりと石の墓標が生えている。限りある敷地では、この街で出る死者のすべてに満足な敬意を払うことはできないということだろう。

 古く崩れたものの横に真新しい墓標が折り重なるようにして立てられ、墓標と墓標の間に割りこんで薄い墓標が差しこまれているさまは、なかなかに壮絶だった。


 ここは百塔街の旧市街東。

『喪の街区』、こと、葬儀屋たちの住居であり仕事場である。

 どっしりとした古い城壁に囲まれた街区の三分の一はこの墓地に占められ、あとの三分の二には百塔街の中ではもっとも古い、中世風の無骨な街の面影を残した寺院や住居が建ち並ぶ。

 ミランは葬儀屋の男の後ろ姿をにらみ、ぼそりとつぶやいた。


「ならば、わざわざ貴様らが取り仕切る意味がない――」


「死者に関わることに完璧はないさ。この街では特にね。……君たちがやって駄目なら、他の誰がやったって駄目。そう思ってるよ、僕は」


 すかさずミランの声をさえぎり、アレシュは前を行く葬儀屋へ声をかけた。

 ミランとアレシュは、前をクロイツベルグに、後ろをルドヴィークに挟まれて墓地の小道を歩いている。

 アレシュにとってはミランはいないほうが楽なのだが、教会で一緒だったのもあって『是非ともご一緒に』ということになってしまったのだ。


(葬儀屋相手に未だにそんな物言いしてるってことは、そろそろさすがに死ぬかもな、こいつは)


 内心うんざりしているアレシュに、クロイツベルグが硬質な横顔を見せて目礼しする。後ろからはルドヴィークの柔らかな声が響いた。


「ご理解いただけて光栄ですよ、アレシュ。わたしの部下たちは本当によくやってくれています。でなくてわたしが普段、こうしてアマリエとのんびり暮らしていられるでしょうか?」


 それはもちろんそうだろう。

 とはいえアレシュとしては、父とのつきあいが深いルドヴィークがばりばりの現役だったほうが安心だったのだけれど。

 四人の会話が途絶えると、ねじれた道の先に古い石積みの塔が見えてきた。

 クロイツベルグは懐から鍵束を取り出し、重い鉄扉の鍵を開く。


「ご存じだと思いますが、我々が集めた死体はこの『死者の家』で余計な悪霊が入りこまないように封印され、用途によって加工されます。もちろん、死者への敬意を払いながらです」


 数百年前の田舎城を思わせる塔内部は、壁のくぼみに収められた蝋燭だけで照らされていた。

 薄暗い玄関広間では数人の喪服姿の男たちがたむしろしてたが、ルドヴィークたちの姿を見ると直立不動で敬意を示す。

 ミランだけは不審そうな、不満そうな態度を崩さず、周囲を見渡して文句をつけた。


「喪の街区の中に入るのは死んだ後だけだと思っていたが、人生には実に意外な展開が待ち受けているものだな。建築物を建て替えないのは信条なのか? 資金は潤沢にあるだろうに」


「ミラン」


 今度こそ彼を黙らせようと、アレシュは険しい面持ちで彼の名を呼ぶ。

 場の空気が悪くなる前に、またもルドヴィークが笑うような声で口を挟んだ。


「確かに、ここへ来て日が浅い方にはわかりづらいやもしれませんな。この建物は、そもそも追っ手を防ぐための城塞なのです。我々の祖先は迫害を逃れた流浪の民としてこの街にたどり着き、追っ手と戦いながら生きていくため、この街でもっとも忌むべきとされた職業に就いたのです。つまりは、『葬儀屋』に」


「ほー。では、先祖の迫害の歴史やら、追っ手に勝利した誇りを忘れぬために同じ建物を使い続けている、というわけか?」


 ミランの気のない返事に、ルドヴィークは気味の悪い笑顔になる。


「ふふ、そう思うでしょう? しかし違います、我々にそのような高尚な心などありません。我々がこの古い城塞を使うのは、これが一番丈夫だからですよ。追っ手との戦いの歴史で呪術的に強化されきったこの場所は、今や高級品と化した死体を守るのに最適なのです。そうだね?」


 ルドヴィークの最後の言葉は部下のクロイツベルグに向けられたものだった。

 クロイツベルグは地下への階段の途中でこちらを振り向き、会釈して言葉を引き継ぐ。


「はい。喪の街区の守りは呪術的に完璧です。……そのはずでした」


 意味ありげに台詞が途切れ、クロイツベルグは階段を下りきって立ち止まった。

 死者の家の地下はかなり幅広の通路になっており、左右にいくつもの鉄扉が見てとれる。


「見ていただくのが早いと思います。我々はここに、あの日聖ミクラーシュ教会で出た死体を安置していました。昨晩我々が異常を発見したときのままにしてあります」


 クロイツベルグは言い、鉄扉のひとつを開け放った。

 少しの間を置いてしたたるような甘い腐臭が香り、アレシュは目を細める。


「血の匂い――まだ、生々しい」


「死体があるなら、血の匂いなど当たり前だろう。大体――」


 ミランはなおも傍若無人に続けようとしたが、扉の向こうに明かりが灯ったのを見て半ば口を開けたまま沈黙した。アレシュもまた、扉の向こうをじっと見つめている。

 中へ入って明かりをつけてまわっていたクロイツベルグが、緩やかに振り向く。


「……血の匂いなど、当たり前……か」


 アレシュはかすかに囁き、獣脂を燃やす火で照らされた室内へと歩み入った。

 そこは古い城の食堂のような場所だ。

 円蓋状に掘り抜かれた空間は、空気穴があるだけの密室。荒削りの床には、死体を安置するための長卓がずらりと二列になって並んでいる。百体は余裕で並べられるであろうその卓は、今はすっかり空っぽだった。

 アレシュは靴音を響かせながら突き当たりの石壁に歩み寄ると、ポケットから金属の煙草入れを取り出す。目の前のものをじっくり見つめたまま煙草をくわえ、アレシュは赤い瞳をわずかに輝かせて言う。


「これが、当たり前?」


「それはわたしたちのほうが訊きたい。これだけを残して、死体はすべて消えました」


 冷徹なクロイツベルグの声と硬質な足音が近づいてきて、横からオイルライターの火が差し出される。

 アレシュはクロイツベルグの差し出した火を煙草に移し、壁をじっくりと見分した。むき出しの石壁のでこぼこの上には、一面絵が描かれている。

 絵柄は巨大な門の下にうずくまる竜である。

 使われている色は赤と黒の二色のみ。

 だからこそ印象的で、目に焼きごてでもあてられたかのように図柄が染みいってくる。


 ――綺麗だ。まるで、赤い空の光を受けた影絵のよう。


 心臓が不吉に浮かれた拍子で鳴り始めるのを感じ、アレシュは身を乗り出した。

 すう、と息を吸いこむと、野性の薔薇みたいな生々しい血の匂いがアレシュの肺へと入りこんでくる。甘い煙草の香りと入り交じって脳髄を痺れさせる匂いに我が身を任せつつ、アレシュは龍の絵を観察する。

 間近で見る竜の絵は、灯りを跳ね返しててらてらと光っていた。まだ絵の具が乾いていないのだ。竜の口元からは、とろりと赤い絵の具が零れて滴っている。

 絵の下には、古い言葉で『わたしは蘇り、竜を殺す』という真っ赤な文字が見えた。


「黒は灰。赤いところは、本物の血。――見つけたのはいつ?」


 うっとりとしたアレシュの問いに、葬儀屋は錆びた声で答える。


「昨晩です。まだ血が変色していないところも、明らかに異常です。呪術的な力が関わっているとしか思えません」


「調べてないのか?」


「調べましたよ。わたしたちの力の及ぶ範囲では」


 葬儀屋の力の及ぶ範囲となれば、なじみの呪術師や魔女は呼んだ後だろう。

 それで犯人がわからないとなると、ことは少々やっかいだ。

 血の香りに浸っているアレシュの代わりに、ミランが暗い声を出した。


「つまり貴様らは、何者かがここへ侵入して死体を奪い、貴様らの目を盗んでここまでの絵を描き上げた、と言いたいわけか。そのようなことが可能な者は、いくら百塔街とはいえ限られるのでは?」


「ええ。もしくは死体にあらかじめ細工がしてあったかのどちらかです。そしてその容疑者のひとりが、あなた。アレシュ・フォン・ヴェツェラなのです」

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