第8話 葬儀屋最高幹部、ルドヴィーク


「それで? その、ザトペック氏とやらは一体どこだ。姿が見えんが」


 アレシュの一歩後ろで、腕を組んだミランが言う。

 彼の隣にはハナがたたずみ、その背後には例の舞台装置風の扉があった。

 三人はハナの作った狭間の書庫を通り抜け、入り組んだ館の構造を無視して玄関広間から直接つながるサルーンへとやってきたのだ。


 ミランが言う通り、ここにはまったくひとけがなかった。ぽかんと広い吹き抜けの空間に細い天窓から幾筋もの光が差しこみ、埃かぶった家具を照らしている。どことなく廃墟じみた光景だ。

 ところがアレシュはミランに『黙ってろ』と視線を送り、サルーンの隅へ向き直る。一歩前に出てなめらかな所作で両手を広げ、彼は薄い唇を開いた。


「ようこそ我が館へいらしてくださいました、ザトペックさん。お久しぶりです」


 ぎりぎり無礼にならない範囲で甘くした声が響き渡った、数秒後。


「ごきげんよう、ヴェツェラさん。……相変わらずお美しい。わたしのことは、ぜひ、ルドヴィーク、とお呼びください。お父上もそのようにされておいででした」


 深い声と共に、真っ白な横顔がサルーンの隅の薄闇に浮かびあがる。

 鷲鼻の上に黒眼鏡を載せた白い髪の初老の紳士が、円柱の後ろからきっかり半分だけ姿を見せたのだ。

 ミランが大げさに息を呑み、大いに顔を引きつらせた。


「おい、まさか……。死体よりも気配が薄いとは、どういうことだ……?」


 囁くミランに答える者は誰もいない。

 彼の驚きはもっともで、ルドヴィークとやらはあまりにも静かすぎた。動きが最低限なのはもちろん、呼吸の気配すら感じ取れない。喋っているときですら、唇の動きがわからない。存在自体が悪夢じみた男だ。

 アレシュだけはそんなルドヴィークの登場にも慣れていたから、動じないふりで微笑むことが出来る。


「ありがたいお言葉ですが、そういうわけにもいかないでしょう。僕は確かに父の財産を受け継ぎましたが、僕と父とは別人です。『葬儀屋』を統べるあなたには最上級の敬意を払うべきだ。この街の誰もがそうするように」


 丁寧に言いながらルドヴィークの前まで歩み寄り、とびきりの甘い笑みを顔に載せて一礼する。

 自分では何ひとつ生み出さないアレシュだからこそ、態度は堂々としていなくてはならない。下手に自信のないところを見せたら、あっという間につけこまれてしまう。それがこの街であり、この相手。

 葬儀屋の最高幹部、ルドヴィーク・ザトペックだ。

 ルドヴィークはアレシュの一挙手一投足を見守ったのち、にんまりと笑みの形に顔をゆがめた。反射的に鳥肌が立ちかけたのを感じ、アレシュはとっさに拳を作って自分の手のひらに爪を立てる。


(……あいかわらずだな、このひとは)


 いつの間にやら喉が渇き、首筋にわずかに汗が浮いたのを感じた。ここで崩れてなるものか、と瞳に力をこめて見つめ返すと、ルドヴィークの顔にはまださっきの笑みが張りついたままだった。

 それにしても、なんと不吉な笑みなのだろう。

 笑っているのにちっとも笑っているように見えない。それどころか、薄皮一枚の下にうぞうぞと無数の化け物が蠢いているかのような、そういったものがよじれ、もつれ、こんがらがり、やっとどうにか人間の姿をとっているかのような、そんな気配をまとった男。それが、彼だ。

 彼がにらんだだけでひとが死んだとか狂ったとか、そんな噂もまんざら嘘ではないのではないか。そんなふうに思わせる笑顔であった。


「……ハナ、外套を」


 アレシュがハナに合図を送ると、彼女は平然とルドヴィークに駆け寄って帽子と外套を受け取った。さらに杖も受け取ろうとするが、ルドヴィークは白手袋をしたてのひらで彼女を押しとどめる。


「これは、持っています」


 やけに柔らかな声で言い、ルドヴィークはやっと柱の陰から完全に出てきた。

 あらわになった彼の腕に抱かれているものを見て、アレシュの顔はやっと自然にほころぶ。


「――アマリエ嬢。今日も最高に美しい」


 アレシュが心の底から囁くと、ルドヴィークは小さく声を立てて笑った。

 彼が抱いているのは、長い美しい黒髪を持ち、遠い東方の衣装を着た人形だ。幼児ほどの大きさがあり、硝子玉の目を虚空に向けて沈黙している。



「ありがとうございます。あなたに褒められてアマリエも喜んでいる。だが恋はいけませんよ、アマリエ。彼は悪い男だ。それこそ星の数ほど恋人がいるのです」


 人形の髪を撫でながら言ってアレシュを見つめ、ルドヴィークはほんの一瞬だけ、瞳を陶然と潤ませる。

 このような人物でさえ、アレシュの美貌には感じ入るところがあるらしい。

 アレシュはお返し、とばかりに妖艶に微笑んで、ルドヴィークをサルーン中央の異国風のソファへと導いた。


「悪い男とは心外ですね。女性たちに弄ばれているのは僕のほう。僕が持つのは崇拝の心のみです。あなたの娘さんにだって、手を出そうなんてふらちなことは考えません。ただその姿を拝見し、ひざまずき、讃える言葉を口にするのが、僕のしあわせなんですから」


「相変わらずうまいことをおっしゃる。ならば、あなたの愛は詩人の愛ということですね。花を手折らずに愛でる芸術家の愛。実に素晴らしい」


 アマリエと杖を抱えたままルドヴィークがソファに収まると、ハナがお茶の盆を持って戻ってくる。ハナが客とアレシュとの間の卓を乱暴にはたくと、分厚く積もった埃がもうもうと舞い上がった。

 アレシュは埃からさりげなく目をそらし、あくまで華やかに笑って言う。


「常に美を讃える詩人でいられるのなら、どんなに素敵なことでしょう。けれどここは百塔街だ。歌うだけでは生きていけない。ザトペックさん……」


「ルドヴィーク、です」


「――わかりました、ルドヴィーク。では、僕のこともアレシュ、でいいよ。……それで、今日はなんの用かな。最近は少しご無沙汰だったけど、また父さんの香水が要る? 綺麗な人形作りには、うちの香水が欠かせないだろう。ふたりきりの商談をお望みなら、ミランには今すぐ裏口から帰ってもらう」


 くだけた口調に切り替えて、アレシュは肝心の問いを投げた。

 ルドヴィークが牛耳る『葬儀屋』の仕事は多忙を極める。なんの用もなく、ルドヴィークがここへお茶に来るとは思えなかった。


(このひとは父さんの客でもあるが、恩人でもある。何か要求があるなら、もったいぶりながらも譲歩しなくちゃ駄目だろうな)


 アレシュが慎重になるのには、葬儀屋が強力な組織であること、ルドヴィークが不気味な魔人であること以外にも理由がある。

 この百塔街には王がいない。法もない。

 とはいえ自然発生的な決まりはあるのだ。

 そのひとつに、ここにやってきた呪術師はなんらかの同業者組合に属すること、というものがある。


『呪術師』と一言で言っても、その種類はミランのような『符術師』を始めとして、『魔女』や『魔剣士』など、様々に細分化されている。この街に移住してきた呪術師たちは自然と同じような技を持つ者同士で固まり、術を磨き、互いに助け合うようになり、同業者組合が生まれた。

 これらの組合は度を超した混乱を避け、また、街自体にかかった呪いをこれ以上進行させないための呪術を、常に必要なぶんだけ提供するために非常によく機能した。結果として、これらに所属することは呪術師たちの義務となったのである。

 アレシュの父は本来ならば『魔法具作り』の同業者組合に属するべきだったが、彼は組合への技術提供をこばんで一匹狼の道を選んだ。これは魔香水が生む利益をひとりで総取りしようという行為であり、本来ならば『魔法具作り』の組合からも、他の組合からも刺客が放たれるところだ。

 それを避けるため、アレシュの父はよりによってルドヴィーク束ねる『葬儀屋』と組んだのである。


「いえいえ、ミラン君にはそのままで。わたしは最近生き人形は作らないのです。このアマリエに会ってから、人形は最初から人形であってこそ美しいと気づいてしまいましてね。もちろん、生きた人間を材料にした人形は街の外でも需要が絶えませんし、あれの材料には、あなたのお父様の香水で芸術的な夢をみせ続けるのが一番綺麗に仕上がるのですが……最近は仕事は若い者に任せて、アマリエと日々蜜月を楽しんでいるのですよ」


 もの柔らかに言って笑うルドヴィークの顔がしあわせそうであればあるほど、その裏にうごめく闇が深く見える。

 ミランがサルーンの入り口あたりでたたずんだままでよかったな、とアレシュは思った。おそらく彼は、ひどく不愉快な顔をしているに違いない。

 アレシュとしても生き生きした女性を人形同然に変えて売り払うルドヴィークの趣味は好きではないが、彼の美意識のはっきりしたところは嫌いではない。

 そもそも彼らの後ろ盾なしでは、魔法の才能の欠片もないアレシュなど、最悪誰かに館も財産も巻き上げられたあげく街の外に放り出され、七門教に狩られて死んでいた可能性さえある。

 多少の譲歩をするのは当たり前、なのだが。


(しかし、目的が香水でないとなると――どうしてこのひとはここに来たんだ?)


 最近の自分の言動をざっと振り返ってみるも、葬儀屋に文句をつけられるようなことをした覚えはない。考えこむアレシュをじっと見つめて、ルドヴィークが再び口を開いた。


「アレシュ。正直を申しますと、わたしはあなたがとても好きだ。あなたは美しいですよ。男のわたしでもお会いするたびに陶然とする。わたしはこういう趣味ですから、一度と言わず、あなたを人形にしたいと思ったこともあります。しかしあなたを人形にしたら、その美貌でわたしのアマリエを褒め称えてくれるあなたがいなくなってしまう。だからあなたはそのままがいいのです。そのままでこそ、わたしの快楽なのです。この街の住人ですら、本気でアマリエを愛するわたしを理解するものは少ないですからな」


「光栄だよ、ルドヴィーク。だけど、僕はもう充分守ってもらっていて――」


 そこまで言ったところで、アレシュは不意に黙りこんだ。

 目の前で、不吉なものがぎらりと光った。

 刃だ。

 今まで影も形もなかった鋭い刃が、アレシュの眼前につきつけられている。


「っ、おい、アレシュ!」


 ミランの声がした。

 がちゃん、と陶器が壊れる音もする。

 きっとハナが、お茶のおかわりか何かを床に放り出したのだろう。

 それ、高い茶器じゃないだろうな――と頭のどこかで考えながら、アレシュは刃を見つめていた。目から恐怖が入りこんでくるようで、肌がぴりぴりするのがわかる。こんな恐怖を感じるのは久しぶりだ。

 向かいの長椅子の上には、さっきと同じ姿勢のままのルドヴィークが微笑んでいた。ただし、その手にはいつの間にか抜き身の長剣がある。

 そして、彼の傍らには取っ手のなくなった杖が転がっていた。


(仕込み杖か。初めて見たな)


 体が凍えるような恐怖を感じていても、アレシュの観察力と判断力はまだ働いている。どうやらルドヴィークは、会話の中でまったく目にもとまらない速さで仕込み杖を抜き、アレシュの眼前につきつけたらしい。

 この速さではアレシュに香水を使う暇なんかもちろんないし、ミランも手は出せない。ハナの力なら、とも思うが、ご婦人に助けてもらうのは論外だ。そこまで醜いまねをしてまで生き残る必要もない。

 サーシャもいないしね、と思うと、すうっと恐怖の波が引いていった。

 代わりにわき上がるのは、どことなく暗く甘い、幸福感に似た心地。

 ――命を賭けた遊びが始まることへの、幼い期待。

 アレシュは緩やかに目を細めて笑い、静かな声を出す。


「僕は何か、あなたの権利を侵害するようなことをしたのかな?」


「したかもしれないのです。残念ながら」


 ルドヴィークは本当に残念そうだったが、その顔には回収しそこねた笑みが張りついたままだ。彼は刃をアレシュに突きつけたまま、かくりと首を傾げて言う。


「さて、このようなときですが、うちの若い者を呼んでもよろしいですか? 先ほど申し上げましたように、わたしはすでに半隠居の身ですので。仕事の話は若い者に任せているのです」


「ご自由にどうぞ。ハナ、扉を開けてさしあげてくれ」


 ためらいなしのアレシュの言葉に、ハナはわずかな沈黙を置いてから玄関広間へと駆けていく。

 入れ替わりに、玄関のほうから複数の足音が近づいてきた。

 アレシュが横目で眺めてみると、ちょうど黒服に喪章をつけた葬儀屋たちが廊下を抜けて現れたところだ。彼らはばらばらとサルーンの隅で立ち止まり、二十代後半くらいのひとりの男だけがまっすぐこちらへやってくる。

 ルドヴィークが仕込み杖を下ろすのを待って、彼は静かに一礼した。


「一緒に来ていただきます、ヴェツェラさん」


「やあ。教会にいたね、君」


 アレシュが親しげに笑って見せると、葬儀屋の男はかすかに目を細める。

 死者を見慣れすぎた目をした葬儀屋は、アレシュの視線を振り切るように軽く目の前で手を振り、淡々と返した。


「ええ。あそこで死体を回収させていただきました」


「……不良品だった?」


 この相手が出てくるということは、多分あの死体に問題があったのだろう。

 そして、その問題にアレシュが関わっていると疑われているからこその、この状況だ。

 そんなアレシュの予想を肯定するように、男は軽くうなずいて告げた。


「そうなりますね。生き返ったんです、死体が」

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