第10話 新たな仲間
クロイツベルグの声に、アレシュは強引に現実に引きずり戻された。
美を感じた余韻で少し潤んだ赤い眼をクロイツベルグへ向けると、相手は不快げに視線をそらす。アレシュの美貌に魅入られない類の人間がよくやる所作だ。
彼の美しさにつかまらないよう、本能的にアレシュを『好ましくないもの』と判断して排除しようとする。
幼いころはそんな他人の態度に傷ついたころもあったが、今となってはそうでもない。いちいちうっとりする奴らよりはだいぶんマシだ、とアレシュは思う。
アレシュは細くしまった腰に手をあて、ルドヴィークのほうへ視線をやった。
「ルドヴィーク、あなたもそう思ってるのか」
声に応え、薄闇から灯りの下へ歩み出たルドヴィークが言う。
「――アレシュ。あなたのお父様の香水のすべての効能を、我々は知っているはずでした。けれど、わたしは紳士です。彼の調香室にはけして立ち入らないと誓った。ですから、万が一にもお父様が我々を裏切り、新たな香水を作っていたとしたら――それをご存じの可能性がある方は、あなただけです。どうです? ……あなたのお父様の香水は、死体を歩かせることもできるのでは?」
「あり得ない。そういった幻覚を見せることは可能だが、実際に死体を消したり蘇らせたりすることは不可能だ。もし可能なら、僕は真っ先に死んだ友人を蘇らせてる」
アレシュは少し顔をしかめて言い、横からミランが勢いこんで続ける。
「アレシュの言うとおりだ! この男はとことん魔法が下手だというのに、未だに死んだ男を蘇らせようと魔法書を読み、たまにろくでもない魔法実験を繰り返しているのだぞ? なのに蜥蜴の尻尾一本ですら復活させるに至っていない。俺はそういう魔法下手には、是非護符を持ってもらいたい。たとえば俺のお手製のものだと月々の料金は――」
「この男、殺していいでしょうかね?」
やんわりと訊いてきたルドヴィークにうなずきたい心をどうにかなだめて、アレシュは苦笑した。
「許してやってくれ。彼はばかなだけで、多分、悪意はないんだ。悪意なしでも悪を為すことはできるけど、彼はこれで善人だし、僕は誓ってあなた方に不利益をもたらそうとはしていない。教会に乱入したのは魔界の美人を救うため、それだけさ。――ここはどうにか、ご理解いただけないかな」
自分の顔にもっとも神秘的な影がつくであろう角度を見計らい、アレシュは首を傾ける。
たまにうっとうしくなることもある自分の美貌だが、今は説得に使えるものはなんでも使ったほうがいい。ルドヴィークはアレシュの美貌を評価しているのだから、なおさらだ。
アレシュは真っ赤な目をわずかに細め、魔界の誘惑者になったつもりで葬儀屋の老人を見据える。
――おいで。僕の心のそばへ。
声を出さずに囁くと、ルドヴィークの顔からするりと笑みが消えた。
普通のお嬢さんならその場で卒倒するであろう状況だが、さすがはルドヴィークというべきだろうか。それでも彼なりに必死の葛藤があったのだろう。
一瞬だけ人間らしい表情をよぎらせたのち、ルドヴィークはゆるりと唇をゆがませた。
腕に抱いた少女人形のほうへと視線を引きずり下ろすと、彼は囁く。
「あなたはわたしとアマリエの友です。……よろしいですか? アレシュ。本来ならばあなたは、このような疑いをかけられた時点でお父様の香水の情報をすべて引き出され、殺されていてもおかしくない。実際葬儀屋の中ではそういった意見が大きかった。ですが、わたしはあなたに自己弁護の機会を与えてもらえるよう、皆に頼んでおきました」
「ずいぶん勝手に話が進むものではないか。それで恩を着せたつもりか?」
ミランが敵意丸出しの声で言う。
彼はこれが葬儀屋にとって最大限の譲歩だろうことを理解していないのだ。
アレシュは軽く肩をすくめて告げる。
「弁護できるというのなら全力でやってみるよ。僕は自分には甘いんだ。まだもう少し、この世界で女性を口説いて回りたいような気もするし」
「ご理解いただけて嬉しく思います、アレシュ。我々も古い組織なもので、融通が利かないのですよ。ぜひ、あなた自身でこんなことをして死体を奪った犯人を見つけていただきたい。無事に犯人さえ見つかれば、あなたは自由です。むしろ我々が全力でお礼をしなくてはなりません」
(葬儀屋の、全力のお礼か)
金にも女にも困った覚えがないのでぴんとこないが、なんだかすごいことになりそうなのは予想がつく。失敗しても命を取られるだけだし、この条件を呑まねばここで即死が決定する。
アレシュはしばらく考えこんだ後、迷う意味がないことに気づいて浅くうなずいた。
「なんだか探偵ごっこみたいで面白そうだ。――いいだろう。それで、犯人捜しはどういう形式でやろうか? ひょっとして、あなたたちと懇意な呪術師に協力してもらったりはできるのかな?」
「それはできません。我々の商売上の秘密に関わってしまいかねませんので」
すぐに答えたのはクロイツベルグのほうだ。
大体予想できていた答えに、アレシュはもう一度うなずいて告げる。
「だろうね。君たちにとっては、自分たちがどの呪術師を使っているかも重大な秘密なのだろうし、僕も余計なことは知りたくない。――じゃあ、ここはひとつ、僕の友人たちに助力を頼んでもいいかな。僕は若輩だ、使える力といったら父さんの香水と、父さんの残してくれた人脈だけなんだよ」
ルドヴィークとクロイツベルグ、どちらにともなくアレシュが訊くと、彼らは一瞬視線を交えた。ルドヴィークの鉄壁の笑顔から何を読み取ったのか、クロイツベルグはすぐにアレシュに向き直って言う。
「この事件を吹聴しないと誓えるお仲間なら、かまいません。人脈も力ですから」
下手な人間を誘ったら自分の命取り、ということだ。
葬儀屋での事件を吹聴しない人間。
有能な人間。
そして、アレシュのために命をかけてくれる人間。
選定の基準はこんなところだろうか。
となれば、まず誘うべき相手はここにいる。
考えこむアレシュの横で、ミランが派手でヘンテコなポーズをとって叫ぶ。
「よぉし、アレシュ! 次にお前がなんというかはわかっているぞ。『兄貴、僕のために命をかけてくれ』だな!? いいだろう!! このミラン、貴様のためになら命をかける! なぜなら……」
「ミラン、お前は下僕なんだから無条件でついてこい」
勢いこむミランのほうへは視線もやらずに言い、アレシュはルドヴィークを見つめた。
そして姫君に対するよう、優美に一礼して言う。
「ルドヴィーク。是非とも友人として、美を愛する者として、僕の力になってはくれないか?」
「……は?」
これはさすがに意外な申し出だったのだろう。
素っ頓狂な声を出したのはミランだが、クロイツベルグも緩やかに一度だけ瞬いた。これは驚いているな、と思ってルドヴィークを見ると、こちらは相変わらずは虫類じみた無表情だ。
それでもじっと待っていると、やがてルドヴィークはくすくすと声を立てて笑い、何度も何度もうなずく。
「なるほど、なるほど。葬儀屋との駆け引きのために、葬儀屋をとりまとめるわたしをご所望ですか。これはこれは、単純すぎていっそ意外なお申し出ですが――あなたに『友人』とおっしゃられると、断れませんな。アマリエも賛成のようだ。ねえ、アマリエ。そうだね? 共に参りましょう、アレシュ。ただの、友人としてね」
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