第4話 愛こそすべて

 勢いよく開いた扉の向こうには、石造建築の街が影絵のように黒々と連なって見えた。家々にかかる空が赤いのは、夕暮れ時のせいではない。

 百塔街の空は、強大な呪いのせいでいつでも赤く染まっているのだ。


 そんな風景を背に、出口をふさいで立つ男たちの数は十人と少し。

 誰もが裾の長い漆黒の紳士装束と白い手袋、さらには喪章をつけている。身長も年齢もばらばらだが、冷えた無表情と目つきの悪さは印ででも押したかのようにそっくりだ。


「やあ、葬儀屋か。ちょうどよかった。引き取ってほしい死体があったんだ。美の神のめぐりあわせかな?」


 アレシュが微笑んで言うと、黒服連中のひとりが錆びた声を出す。


「神の居場所は知りませんが、あなたの後をついていけば死体が手に入る。――ザトペック氏の助言に従ったまでです」


「なるほど? ルドヴィーク・ザトペックか。彼、元気?」


「それは、あなたのほうがお詳しいかと思っていました」


 葬儀屋の態度は慇懃だが、どことなく剣呑でとりつく島がない。

 ミランはさっきから静かに警戒の気配を漂わせているが、アレシュはあくまで軽やかに言った。


「それもそうかな。彼とは古い知り合いだ。最近ご無沙汰しているけど、そろそろご機嫌伺いしてみるよ。――仕事の邪魔したね」


「いえ。ではまた」


 軽く一礼すると、葬儀屋の一団はどっと教会内に入ってくる。

 アレシュとミランは彼らが通るのを待ってから、そそくさと扉の外へと出て行った。石畳の街路に停まった何台もの真っ黒な葬儀用の馬車を横目で眺め、ミランは歩きながら寒そうに両手をこすりあわせた。


「……これで、少なくとも死体の処理を頼む手間ははぶけたな。しかし、さっき喋っていた奴がルドヴィークの代わりに葬儀屋を仕切ってる若手か? 嫌な目だ」


「人殺しの目をしてたけど、なかなか美形だったよ。ま、あれくらいじゃなきゃ、この街で死体を扱うのは無理だ。呪術師も魔女も魔界の住人も、みんな死体が大好きだからね。彼らが出てきたからには、僕らにも多少分け前が来るかもしれないな」


「俺も死体の売買自体が悪いとは思わん。あれは必要だ。だが……」


 ミランはつぶやき、ふと足を止める。

 ぐるりと辺りを見渡して、彼は深く長いため息を吐いた。


「……しかし、我ながらずいぶん、この街に慣れてしまったものだな」


 アレシュは女を抱いて数歩先に行っていたが、ミランの言葉に薄ら笑って振り返った。


「慣れたんじゃない。真実を見る目が開いたんだよ。美しいだろう? この街は」


 誘惑じみた口調で言うアレシュの周りには、いつもの百塔街の風景が広がっている。


 業火に焼かれ続けているかのような赤い空を切り取る、旧市街の尖った屋根の群れ。さまざまな色に塗られ、ときにだまし絵の彫刻で飾られた建築物。曲がりくねった石畳の道を行くのは最新ファッションを身につけた紳士淑女、かと思いきや、その横を数百年は昔の修道僧や魔法使いを思わせる怪しげな衣をまとった男女がすれ違う。向こうからやってくるのは角を隠しもしない魔界の住人だ。街の外にいればそれだけで大事件になるような者たちが、ここでは平然と闊歩する。

 彼らの頭上に突き出す看板の内容もなかなかだ。


『あなたの人生、必ず好転させます。大小かまわず、呪い引き受け』

『呪い封じの道具なら当店へ。死ぬのはまだ早い!!』

『嫌いなひと、あなたの人生を邪魔するひとはいませんか? ご相談ください』

『この苦しみは新しい。殺すだけでは足りないあなたへ』


 その他もろもろ、どぎつい看板の連なる路地はどこまでも続き、やがて徐々に上り坂になったかと思うと、どんどん坂の傾斜がきつくなっていく。その坂を視線で追うと、慣れない人間は大抵平衡感覚を失ってめまいを覚えるだろう。

 なぜなら、坂は容赦なく傾いたあげくに地面と直角をなす壁となり、しまいには山ほどの石造建築を載せたまま、くるん、とひっくり返ってしまうのだ。

 鳥の視点で眺めてみれば、三角形の街の一番とがった一片が、削いだ木の皮みたいに大地ごとめくれあがっているのが見えることだろう。


「美しいというより、悪趣味な絵画にしか見えん奇景だな。これを呪いが作り出したというのだから、ひとの心の闇はすさまじい」


 ミランのどことなく疲れたような言いように、アレシュは笑う。

 色々とわからない男ではあるけれど、こいつが純情なのは多分本当のことだろう。

 ミランはとにかく純情すぎて、そのせいで全然わかっていない。人間の美しさは闇のすさまじさから生まれるし、この街の美は、この異常さそのものだ。

 アレシュは腕の中の女の角に軽く口づけ、坂の先を見つめながら言う。


「それが美しいんだよ、ミラン。放っておいたら木々も生えない。大気はよどみ、水はきちんと処理しないと飲めやしない。それどころじゃない、僕らがそれぞれの方法で力を貸し続けなきゃ街全体が傾き続けてひっくり返る。僕らは街に力を貸し、街は僕ら、呪われた者や呪術師を保護してくれる。ここは呪術と呪術の最前線だ。そんなぎりぎりの場所だからこそ、ここには真の美がある」


「――アレシュ。貴様はとっとと、本気で愛する相手を作れ」


 いきなりそれた話に、アレシュはじんわりと表情を曇らせてミランを見やった。


「お前、僕の話、聞いてたか? どうして愛の話になるんだ、わからない奴だな。それに、僕は今までつきあった女性すべてを愛してる。他になんの才能もないんだ、当然だろ」


 心底嫌そうに言うと、ミランはなぜか、怖いほど真剣な顔で答える。


「わからない奴なのはお前だ。正義のない、誇りも信条も役に立たない場所で場所で正気を保つには、せめて愛するしかない。遊びでは駄目だ。ちゃんと目を開けろ、アレシュ。いいか、これから大事なことを言うからな。笑うな。真面目に聞け。


 ……人生、愛こそすべてだ」



■□■



「むかーし、むかし。そう、それは、魔法使いが政治に関わっていたくらい昔の話だよ」


 ここは百塔街からは蒸気列車で七日ほどかかる半島の宗教小国、ゼクスト公国。

 青い空の下、美しい聖堂前の円形広場で、道化の衣装を着た男が糸のついた人形を両手で操っている。彼の周りには多くの子供が集まり、噴水の端っこや、石畳に直接座って食い入るように人形を見つめていた。

 かつての宗教詩人であり、今も下級聖職者である道化は歌うように続ける。


「百塔街を作った王様は、とっても偉いひとだった! どのくらい偉いかっていうと、その偉さを見せつけるために塔を百も建てられるくらい偉かったんだ。そんな彼を支えていたのは、もちろんひとりの魔法使い。色んなことを知っていて、すごく強いひとだった。王様と魔法使いはとっても仲良し。だけど、仲良しっていつかは喧嘩をするんだよねえ。わかるだろ?」


 王様の人形と、杖を持った魔法使いの人形は、がみがみと怒鳴り合う所作を見せる。

 子供たちが小さな声で同意し、嘆くのを聞いてから、道化は続けた。


「やがて、王様と魔法使いはひとりの女性をめぐって大げんか。王はそれまで恋人のように遇していた魔法使いを、もう要らないよ! って百塔街から追い出しちゃった。魔法使いはもちろん激怒。彼は命がけで王を呪った。王よ、彼の王国よ、呪われよ! とね」


 彼が語るのは、どこの国にも属さない巨大な無法地帯である『百塔街』の物語だ。近隣諸国、ひょっとしたら世界中の人間が、七門教の教義よりも先に知る話。


 かつて、魔法が世界を動かすもっとも大きな力だった時代。

 希代の大魔法使いの呪いは、現在百塔街と呼ばれる地を奇っ怪な場所に変えてしまった。邪悪なものどもがあふれるとされる魔界へ繋がる地点が無数に生まれ、街の形はあちこちで不条理に曲がり、常識も形も違う魔界の人々が流れこみ、人間を殺して回り始めたのである。


「なら、その国は滅びるはずじゃないの? どうしてまだあるの?」


「いい質問だ」


 子供の問いに、道化は王様の人形を操ってこたえる。


「確かにわしの国は滅びる寸前じゃった。しかし、わしはそれを逆手にとったのじゃ。『わしはここを呪われた王国と定める。呪われた者よ、呪われた器物を持つものよ、この国に集まるがよい! わしは呪いを悪と見なさず、呪術師や魔女を裁かぬ』とな。みんながわしを狂ったと思ったし、街はますますゆがむと思われた。ところが、不思議なことに――いや、当然のことか。我が国へ集まった悪党どもは、国にかかったすさまじい呪いを鎮めて名をなそうとし始めた。おかげで、我が国のゆがみはぴたりと止まったのじゃよ!」


「へえええ、すっごい!!」


「すっごいけど、変だよ。どっちにしろ悪党しかいないんでしょう? そんな国、えらい人がとっとと攻めほろぼしちゃえばいいのに」


 不満そうな少年に、道化はそっと片眼を閉じて笑った。


「そう思うよね。そのために、日々エーアール派の司祭様たちが頑張っているんだよ」


 子供たちは話を聞き終えると、不思議そうに、あるいはちょっと怖そうに、わあわあと自分の意見を口にし始めた。彼ら、彼女らは知らないが、ちょうどそのとき、広場正面の聖堂の最奥にある議場では、実際に『司祭様たちが頑張って』会議を行っていたのだ。


 議題はもちろん、『派遣した司祭を魔界の住人に食い殺させた百塔街にどのような罰を与えるかについて』である。

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