第3話 無償のものほど気味が悪い


「……で、結果はこれか」


 ほんの数分の気絶から覚めた後。

 ミランはげっそりと隈を作って、棺桶形の銀の祭壇の前にたたずんでいた。周囲にさっきの闇の気配はない。異様な獣めいた気配もない。もと通り、光の満ちた華美な教会に戻っている。

 ただし、だだっ広い身廊に立っている人間はミランとアレシュのふたりだけだ。


「一、二、三、四……その他、死体がたくさん、と。よりによってエーアール派相手に、ずいぶん派手にやったものだな。エーアール派と言えば異教徒とみれば殺し、破門と決まれば殺し、無神論者はもちろん殺し、他会派とみればどうにかして喧嘩を売る奴らだぞ。どう処理する気だ、これを」


 疲れ顔で言うミランが指さす先は惨状であった。

 ばらばらに砕けた木製の信徒席の残骸がうずたかく積み上げられ、中で泳げそうなほど大量の血液の池がいくつもでき、信徒と教会兵たちのほぼ原型をとどめていない死体がまんべんなくぶちまけられている。

 陽光降り注ぐ凄惨な風景のど真ん中で、アレシュはのんびり新しい煙草に火をつけた。


「別に僕の意志じゃない。呼び出した魔界の紳士が腹ぺこだっただけさ。後始末は下僕がどうにかするだろ」


「下僕というのは、つまり――」


 なんとなく不安げな声を出すミランに、アレシュは鮮やかに笑いかける。


「お前だ。僕に掃除と片付けの才能はない!」


「阿呆か……!! そんなことを堂々と宣言するな、人聞きが悪い!」


「この状況で人聞きを気にするのは斬新だな。まあ遠慮することはないよ、ミラン。死体は君が全部片づけて、発生した儲けだけ僕に渡してくれれば全然構わないから。出しゃばりすぎだとかなんだとかいうほど狭い心は持ってない」


「死体処理をして金がとぶならともかく、どうして儲かるという発想になる!?」


「そこを儲かるように、ない脳みそをしぼって考えるのがお前の役目だろ。やることがあってよかったね。ご主人様のためにやることのない下僕なんてゴミ以下だしね」


「さらりとひとをゴミ呼ばわりするな、この、人格破綻者!!」


 力の限り怒鳴ってから一度呼吸を整え、ミランは血の池をひとつ飛び越える。


「……いいか、アレシュ。俺はな、暴れるのはいいが、自分の身が危なくなるようなことはよせ、と言っているのだ。教会の人間なんぞへなちょこだと言っても、これだけ殺せば奴らの仲間も黙ってはおるまい。それと、香水の効果にわざと俺を巻きこんだな? あれは一体どういうつもりだ?」


 喋りながら歩いてくるミランに怒りの気配がないのを知り、アレシュは少しだけ普通の青年みたいに苦笑いした。


「自分だって暴走して皆殺しする寸前だったくせに、よく言うよ。お前を巻きこんだのはただの事故。弱い奴にでしゃばられると面倒だから、ついでに気絶してもらってただけだ」


「それは事故とは言わん! むちゃくちゃはっきりと故意ではないか! いいか? 俺は報復があっても立ち向かえるが、貴様は香水なしではただの多少丈夫な男にすぎん。何かあったときには、俺に守られるしかないのだ。とっとと自覚しろ」


 ミランがあまりに堂々と言い放ったので、アレシュは思わず自分の煙草の煙でむせかえる。


「いや……えっと、誰が、誰を、守るって?」


「俺が、貴様を、以外に聞こえたか? おい……ひょっとして鼓膜に損傷を受けたのでは!? だから言わないことではないのだ、ちょっと見せてみろ!」


「違う! よせ、寄るな、気持ち悪い! 一体誰が僕を守ってくれなんて頼んだ!? 大体、僕の香水はお前の札よりよっぽど役に立つ!! 僕が闇の幻影に紛れて現れたのを見なかったのか? 魔界のお客さんを呼びこんだのは?」


「見た。どちらも貴様の、というより、貴様の父親の香水の力だ」


「だったら……」


 だったら、わかるだろう、僕はお前に守られるような人間じゃない。

 そう言おうとしたアレシュより先に、ミランはきっぱり言い放った。


「香水の力であって貴様の力ではないのだから、やはり貴様は俺に守られるべきだ。たった一回の失敗でも、ひとは死ぬ。俺は貴様に死なれたくない」


(――やっぱりこいつ、苦手だ)


 アレシュは美しい顔を陰鬱にゆがめ、新たな煙草をくわえた。

 法のないこの街で信用できるのは、きちんとした対価をともなう取引だけだ。その点、この街で一番怪しいのはミランのような男かもしれなかった。

 無償の愛。

 そんなものがあってたまるか。

 

「死んだときは死んだときだし、お前には関係のないことだろう。僕は自分の死も他人の死もどうでもいいんだ。僕に必要なのは『美』だよ。僕の目に美しく映るよう、すべてが運んでいればそれでいい」


「その結果が、この惨状か?」


 ミランがどことなく苦く言うのを聞いて、アレシュは視線を宙へと投げた。

 視界に飛びこんでくるどぎつい色と破壊の跡は、こうして見ると周囲の過剰装飾と不思議に調和している。悪趣味な壁画上の戦いがそのまま床へと広がっている異様な美。しかし、そもそも美とはそんなものではないだろうか。

 彼はくるりとミランを振り向き、邪気なく笑った。


「僕にとっては、これもまた美しく映るのさ。僕は美しいものしか見たくないし、楽しいことしかしたくない。退屈するくらいなら面白く死んでいきたいね。ミラン、君はどう? 君はやたらと僕にくっついてくるけれど、僕が『生きるのに飽きた、地獄に行く』って言ったら着いてこられる?」


 ミランはアレシュの言葉を聞くと、険しい顔になって自分の口元をおさえる。

 さすがにそろそろ怒るだろうか、とアレシュが少しわくわくして待っていると、ミランはぱたりと手を落とし、妙に淡々と言った。


「……一緒に死んでも、行く先の地獄がひとつとは限らん」


「なんだそれ」


 呆気にとられたアレシュの問いに、ミランはため息混じりに顔をそらして歩き出す。


「そのままの意味だ。……面倒なことになる前に、とっとと帰るぞ」


「お前は本当にわけがわからない。それと、早くちゃんと外套を着ろ。冷気がしみ出して僕が寒い。お前のせいで僕が寒くなるなんて理不尽すぎる」


 いらいらとして言うと、ミランからは少し穏やかになった声が飛んできた。


「……あいかわらず、ひとを心配するのが下手だな」


「は、あ……!? 下僕の耳はどんな異次元に繋がってるんだ? という言い方が高度すぎて伝わらない可能性をかんがみて平たく言うと、『正気か、お前?』お前の呪いは災害並みなんだから自覚しろ! あと、言っておくけど、この後絶対僕の屋敷には来るなよ。ちゃんと、自分のねぐらに帰れ」


「なぜだ? 貴様の屋敷は俺のねぐらだが」


 いかにも怪訝そうに訊かれ、アレシュは思わず声を荒げた。


「違う!! 僕の屋敷は、お前の家じゃない!! ――もういい、ちょっと黙ってろ。……お嬢さん、ご無事ですか」


 ミランに構い始めるときりがない。

 アレシュは彼との会話を無理やり断ち切り、倒れた神使像の陰をのぞきこんだ。そこには、床にぺたんと座りこんでいる女の姿がある。

 彼女はミランとアレシュの他に、唯一この場で呼吸をしている人物――そう、さっきアレシュがヴェールをはいだ魔界の女だ。薬が残っているのだろう、瞳はまだ虚ろだが、体に傷はないようだ。魔界の紳士は、同郷の女性に対してはそれなりの礼儀を払ったらしい。


「よかった。無事だね。もう怖いことはなんにもないよ、美しいひと」


 アレシュはそっと笑って身をかがめ、力ない彼女の体をいかにも大事そうに両腕で抱きあげる。

 気づいたミランが身廊の真ん中で振り返り、盛大に顔をしかめて声をかけた。


「俺を締めだしておいて、女は家に連れ帰るのか? 貴様はほんっとうに女に関してはクズでゴミで豆の殻だな! 今日もどうせ、カルラあたりと取りこんでいたのだろう」


「バカだな、ミランは。カルラにはとっくにふられてる。今日の恋人は、いつものカフェに来てた若い魔女だよ。カフェ中の全員の魂をすすっちゃった元気な美人さん。だけど、この魔界のお嬢さんも実に素晴らしいな……角の絶妙な縞模様と巻き具合、どことなく清純を感じるね」


「思わん! 角が生えている時点で野性的すぎる! 俺はもっとこう、色白で、小さくて、角も可愛いのが……」


「結局お前も角が好きなんじゃないか。知ってたけど」


 ろくでもない話をしながら血なまぐさい教会を横切って、二人は扉まであと少しというところまでたどりついた。そこでどちらからともなく立ち止まり、しばしの間沈黙する。


「……いるな」


 先に言ったのはミランだ。

 アレシュは腕の中の美女を抱き直して答える。


「いるね。しかも大量に。どうする?」


「まあ、世界一格好いい貴様の兄貴分としては、こうするしかあるまいな」


 ミランは言い、出し抜けに扉を蹴り開けた。

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