第2章 階段と扉の多い館
第5話 エーアール派会議、もしくは奇跡の百貨店
「……喰われた、というのは本当か」
「そのような報告になっております。少なくとも、バーデン司祭の生命反応は完璧に百塔街から消えました。教会兵九十一名も一緒です」
助祭の報告に、エーアール派の議場は重苦しい雰囲気に包まれる。
かたん、かたん、とかすかな音を立てて、円形の部屋の真ん中で天球儀が回っている。金属の輪をいくつも重ねて作られたそれにははるか昔の文字が刻まれており、振り子のおもりで半永久的に回り続ける。大昔に魔法使いが使ったという魔法機械の再現だ。
昔の魔法使いは明かりですら魔法機械に頼ったという話だが、今、円形の議場を照らしているのは壁を支える円柱についた四つのガス灯だった。
ガスが燃える青白い光が、壁や天井の漆喰細工と、天球儀を真ん中に埋めた円卓についた四人の司教の顔に陰影をつける。
「二十三度目の聖ミクラーシュ教会の奪回は、最悪の形で失敗、ということだ」
「そもそも、この派遣自体が無茶であった。百塔街は呪術師どもの巣なのだ」
「とはいえ、だからこそ我々が諦めるわけにはいかん。あの街が成り立つのは、客が外からやってきて金を落とすせいだ。他の七門教派閥が地道な解呪を怠り続けた結果、解呪の方法を求めて百塔街をおとずれる者が後をたたん。ここで我々エーアール派までがあの街を許せば、それは七門教が呪術師に負けたことを意味するぞ」
白に金の刺繍をした法衣をまとった三人の老人たちは、今まで何百回と繰り返した文句をそのままなぞって沈黙した。
この球形世界にある陸地のほとんど半分を占める大陸全土で信仰されている七門教は、七人兄弟の神々それぞれをあがめる七つの会派によって構成されている。
あがめる神が違えば教義も違う七会派の間では、兄弟喧嘩とも言える宗教戦争の歴史も長かった。そんな中で、エーアール派はもっとも原理主義的であり、信徒に清廉潔白であることを要求する『お堅い』宗派だ。
ゆえに神の意志にもっとも近いともされ、七門教中央教会が認めた奇跡のほとんどはエーアール派の聖職者が起こしたものである。
当然呪術師狩りにも熱心だが、複雑怪奇な教会の階級を天辺近くまで上ってきた老人たちにとって、百塔街はひたすらに関わりたくない、面倒な存在なのも確かなことだ。
「――百塔街のために、代わりの司祭を選ばねばなるまい」
ついにひとりの老司教が重苦しく言うと、他のふたりが苦い顔で答える。
「今回『喰われた』バーデン司祭は、わたしの担当する西の第三教区から赴任した手練れであった。次は他の地域の教区から選ぶべきだろう」
「その選出方法は理にかなっておらんな。西で駄目なら東か? 危険な教区に派遣される者こそ、より信心深い者であるべきではないのか」
「ならば立候補でも募るか。誓ってもいい、確実にらちがあかんぞ」
「――それ、わたしでは、駄目ですか?」
ぽつり、と音楽的な声が言い、三人の司教は黙りこむ。
老人たちは何度か自分の耳を疑った後、愕然として四人目の司教に視線をやった。
視線の先に姿勢正しく座っているのは、長い金髪を肩に垂らした青年だ。他の司教たちとは明らかに年齢が違う。せいぜい二十代半ばといったところだろうか。肩幅の広いかっちりした印象の体に、少しそぐわないほど女性的な優しい美貌が乗っかっている。
それなのに、白い法衣に施された刺繍は他の司教たちよりはるかに多く、細工も細かい。
彼は穏やかな水色の瞳で司教たちを見渡すと、控えめに告げた。
「神は言われました。『善きことを為すときに、何をも畏れてはならない』と。我々が畏れるべきは神そのひとだけではありませんか?」
「ラウレンティス様……それは、もちろんなのですが」
苦い戸惑いの顔で言葉を切った司教に、ラウレンティス――正確にはクレメンテ・デ・ラウレンティス主席司教は品のよい容貌を曇らせる。
「言いよどんでは駄目です。『わたしたちは神の使徒であり、神のまとう旋律であり、光です。互いに分かたれているのは見た目だけ。魂はいつでも同一なのです』……聖典の語る言葉を忘れないでください、わたしの弟たち」
引用を使って小難しい言い方をしているが、つまりは『隠し事をするな』ということだ。
三人の司教たちは、それぞれ居心地悪そうに身じろぐ。
クレメンテは九十九巻ある七門教教典の正典をすべて暗記しているほか、各地に散らばる外典までもを自在に操る生きる図書館でもある。他の会派との会議で宗教論争をすれば負け知らず。味方であれば心強いが、彼と論争をしたい者などいなかった。
「しかし、危険です、長老」
ついに押し殺した声で本音を言った司教のひとりに、クレメンテは少し驚いたように瞬いた。そして、広い肩を縮めながらおどおどと言う。
「……頼りないですか、わたし。あの街の悪しき呪術師どもに呑まれそうですかね?」
「いえ、それは正直なところ考えにくい。しかし、あなたは次期教主となられる身ですからな。もしものことがありましたら――」
戸惑いがちに司教が言うと、不意にクレメンテの表情が曇った。
同時に部屋のガス灯がふらりと弱まり、壁を埋めている聖人たちの彫像が持つ武器がかたかたと音を立てる。震えは部屋の空気全体に広がり、司教たちの肌にむずがゆさを生んだ。
三人の司教はぎょっとして辺りを見渡すが、明かりや彫像の震えは止まらない。
唐突にわき起こった怪異の中、クレメンテはわずかに声を震わせて言った。
「次期教主というのは、なんですか? 教主たる者を選ぶのは神ご自身であらせられる。あなた方ではない。それに、死とは神の国へ帰るための通過儀礼にすぎません。わたしはこの身体などいつ滅びてもかまわない。それが、まだあなたたちに通じていなかったなんて」
絞り出すようにつぶやくと、クレメンテは目を伏せて、ぽとり、と一粒の涙を零す。少年のような純粋な涙は、大理石の床に落ちると、しりん、となぜか硬質な音を立てた。
司教たちは彼の様子にさっと青ざめ、我先にと口を開く。
「申し訳ございません、ラウレンティス様。あなたを心配するがあまり、我々は道を誤りかけていたようです!」
「そのとおりです。我らはけして神を愛する心を忘れたわけではありませんぞ!」
「望むものは、ゼクスト・ヴェルト神の治める永遠の王国のみ!」
口々に告げる彼らに、クレメンテは涙の残る顔を上げて何度か瞬く。
「ならば、わたしが百塔街の司祭になってもよいですか?」
「もちろんです! どうかあの呪われた街に、ゼクスト・ヴェルト神の秘蹟を授けてください。それが可能だとしたら、あなた以外にはいらっしゃらないでしょう!」
こればかりは本気で言い切り、西教区の司教はクレメンテをおそるおそる見やった。クレメンテは長い髪を肩に滑らせながら立ち上がると、白い指でそっと自分の涙を抑える。
同時に明かりが揺らぐのをやめ、武器が鳴る音もぴたりと静まった。
「――それでは、喜んで微力を尽くしましょう。わたしは非力ですが、信仰は強い。この肉体と魂、そのすべてを信仰のため捧げることを誓います。ゼクスト・ヴェルト神よ、永遠なれ」
最後に祈りと共に長い指で複雑な文様を宙に描くと、クレメンテは鮮やかに身を翻す。髪の上にきらきらと光が躍るのがまぶしくて、三人の司教はひたすらに頭を下げた。
美しすぎるクレメンテの姿はすぐに薔薇の蔓模様で覆われた扉の向こうに消え、室内はさっきまでより少しだけ薄暗い印象になる。
三人の司教は実にあいまいな表情で姿勢を正したかと思うと、それぞれにぐったりと椅子へくずおれた。しばらくは何を言うこともなく天井や卓上を見つめていた三人だが、ついにひとりが疲れ果てた声を出す。
「……一体、あの街はどうなるのだろうな」
「知らん。考えたくもない。――おい、さっきの涙は?」
ひとりの司教が訊くと、もうひとりがクレメンテが座っていたあたりの床から何かを拾い上げる。明かりにかざした涙形の透明な石を見やり、彼は投げやりに告げた。
「金剛石か。……涙の貴石化。一般的に言えば百年に一度起こるか起こらないかの奇跡だが、奇跡の登録申請をするか?」
「いちいちやっていたら、こちらの寿命が尽きる。封印の間に放りこんでおいてくれ」
ひとりが疲れ顔で言うと、議場内の疲労感はますます濃くなった。
三人は面倒くさそうに視線をからめ、大きくため息を吐く。
「八十六歳にもなって、元気なお方だ」
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