雪月下、死神はナイフ閃かせ

ラビきち

雪夜の来訪者

 死神を殺したてのひらの感触。

 降りはじめた雪を窓の外に眺めながら、ここが現実だと確かめるため、握りしめる。強く。


「大丈夫、俺は間違っていない」


 広すぎる家の中、小さく零す声に応える者はなく。


  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆


「寒い、な」


 軽めの防寒具をすり抜け、冷気が懐に忍びこむ。

 ざくざくと雪を踏む音。数多の足跡とわだち

 はしゃぐ子ども達を横目に、ため息。


「ああ、炬燵アイツが恋しい」


 呟けども、時間とは無情なもので。気をつけねば足をとられそうな道を、遅刻しない程度のスピードで、そろりそろりと早歩き。

 いっそ引き返してしまおうか、という心の声が聴こえた気がしたが。

 小さくかぶりを振り、高校への惰性の歩みを再開する。


  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆


 俺には親友と呼べる存在がいない。

 俺には恋人と呼べる存在がいない。

 だが────


「よう比良坂ひらさか、シケた面が似合う我が友人」

「……おう、クソ眼鏡。随分とキレた挨拶だな」

「それはお互い様だね」


 芝居がかった様子で首をすくめる、ニヤニヤ笑いの男。

 席が隣で、それなりに昔からの付き合いで、学校ここでの唯一の話し相手。

 こいつのことは、悪友くらいには言っていいかもしれない。


「という訳で、化学の課題見せてくれると助かるのだけどね」

「何がという訳なんだ。だからお前はクソ眼鏡なんだよ」


 悪態をつきながら、渋々見せてやる。渋々。


「サンクス。海より深いこの感謝の気持ちは、後日ペ〇シコーラの形でお返しさせてもらうよ」

「それなら、マ〇ドナルドを奢るくらいはしてほしいものだが」


 俺の意見は無視し、写し作業に入るクソ眼鏡。小さく舌打ちをする。

 ホームルーム前の教室はいつも通り騒がしい。欠伸をして、窓の外を眺める。


「比良坂、アイツあの事故から変わったよな。荒れた、というか」


 大して話したことのないクラスメイトが小声で話している。

 うるせえ、聞こえてるんだよ。


  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆


「こんばんは。私は死神です」


 分かっている、これは夢だって。

 声も、台詞も、仰々しい名乗りの割に、小さくて簡単に壊れてしまいそうな身体も。

 俺が殺した少女、そのものだ。


 そう、分かっていても。


「どうして、お前は」


 反射的に掴んだ、彼女の肩が震える。

 ────どうして、お前は×××の死を願ったんだ?

 問いは決まっているのに、言葉を発することは永久に不可能で。


 そうして、俺を置いて少女は消えていく。

 分かっている。何度も見てきた夢だ。


  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆


「おう、やっと起きたか」


 クソ眼鏡の声だ。

 重いまぶたを開け、周囲を見渡す。

 真白い空間。鼻孔をくすぐる薬品の匂い。少し考えをめぐらせ、ここが保健室であると思い出す。


「お前さんのサボりも板についてきたな」

「まあな、こんな寒いのに体育なぞやってられるか。睡眠時間のが大事だ」


 ジャージ姿のクソ眼鏡がくつくつと笑う。

 かと思えば、綻んでいた表情を引き締めて。


「苦しそうな寝顔だったぞ、お前さん」


 奴に似合わぬ真剣な口調に、乾いた笑いで応じる。


「……比良坂、変な気は起こすなよ」

「なんだよクソ眼鏡、お前らしくもない」


 あえて、おどけてみせる。

 分かっている。誰もが俺のことを「不幸な事故で両親を失った可哀想なやつ」として見ていることを。

 たしかに、俺はあの日から変わっちまったのかもな。

 身寄りを失った、雪の日に。

 死神が舞い降りた日に。


  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆


「死神、だって……?」


 当時、少女の言葉を額面通りに受けとることはできなかった。

 なにせ、黒いローブも大鎌すらも持たずに、白い長袖のワンピースを着た死神なんて、聞いたことがなかったから。


 去年の雪の降り始めの頃。両親は旅行に出かけ、俺は休日を持て余していた。チャイムの音とともにあらわれた、夜色に似合わぬ真白の訪問者と適当に会話をするのもまた一興と、それくらいにしか考えていなかった。


 見た感じ、小学生ほどの背丈のかわいらしい娘である。同時に、なかなか個性的な子でもあるようだ。


「ふぅん、それで死神さんがウチにどんなご用事で?」


 事の重大性に気付かず、何ともなしに放った言葉。

 笑顔を心がけた俺に対して、少女は真紅の瞳の、その奥の光を揺らし。


 お亡くなりになったあなたのご両親の魂を、回収しにきました────


  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆


 冬の日は短く、とっぷりと暮れ闇がまつわる寒夜。

 ガス灯の明かりを頼りに、短い歩幅で歩く。

 やはり寒い。大した防寒具を着ずに家を出た今朝の自分が憎い。


 ──変な気は起こすなよ。


 ふと、彼奴クソ眼鏡の言葉がリフレインする。

 この時間帯の道路は車の通行量が多い。暗闇に映えるランプをぼんやりと眺めて────


「この俺が死ぬわけないだろ」


 俺には生きる理由ができたんだ。


 自動販売機でホットコーヒーを買い、近くの公園に入る。

 照明の少ない公園内に、静寂が闊歩している。

 手ごろなベンチに腰掛け、白い息を吐く。


 これまで何度も死のうかと思った。そして、実行しようとしたそんなとき、死神が再び現れた。


  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆


 もう、全て終わりにしたかった。

 三人で暮らしていたときの家とは、別物のようで。

 もう笑い声は聞こえない。俺の独り言に応える声はない。記憶の底の両親の声は、目を覚ます度に薄れていった。

 まるで雪の中。無音が、俺の精神を蝕み続ける。

 

 だが、それも終わる。

 左胸に当てたナイフの切っ先を押しこむだけで、全てが。

 それだけなのに、を掴む両手が動かない。


 もう、ここまで来たら戻れないんだ。動け。動け、動け!

 

 衣服の繊維が断ち切られる。

 パリッ、と小さい音を放ちながら表皮が裂ける。


「だめッ!」


 誰もいないはずの家に少女の声が響く。

 意表をつかれて一瞬動きを止めた隙に、存外に強い力で凶器を奪われる。


「俺は、死ぬことも許されないのか……?」


 勢いのままに掴みかかる。


「これ以上苦しむくらいなら、せめて死なせてくれよ!!」


 まくし立てる俺に、少女が与えたのは。

 耳触りのいい慈悲の言葉でも、醒めた死神の言葉でもなく。


 一発のビンタであった。


 衝撃に脳がかき回される。


「あなたが死ぬなんて、ぜっっっったいに許さないですよ」


 小さな肩が震えている。

 その様子に気勢をそがれ黙り込む俺に、少女はなおも続ける。


「私があなたにどうこう言う権利はありません。ですが」


 一旦言葉を切るや、まっすぐ俺の瞳を覗きこみ。


「頼まれましたから。あなたのお母さんとお父さんに」


 紅い眼を潤ませ、俺よりも泣きそうになりながら。それなのに、その言葉は力強く響いた。


「私たちの代わりに、あなたを近くで見ていてって。何かあったら、私たちの息子を守ってあげてって」


「あなたは誰よりも愛されているのだから」


 思えばあの日、この真白の少女は何故この家に魂を回収しにきたのだろうか。

 その答えはきっと────


  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆


 冷たいものがひとつ、鼻先に当たる。

 見上げれば、真っ黒な空からちらほらと降りそそぐ白。

 今夜も雪が降る。

 

 疼く腕が、否が応でも想起させる。

 死神を絞め殺した感触を。


  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆


 あれから、少女は業務の合間に俺に会いに来た。

 死神は、魂の回収のほかに生まれ変わりも司っているようで。「死神とは、天使の別の一面なのです」とは本人の弁。

 俺がここまで立ち直れたのも、あいつのおかげと言っていい。彼女がいるときにだけ、俺は孤独を忘れられた。


 しかし、その日々は突然終わりを告げる。


 死神の少女と、人間の男の死によって。


  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆


 雪はますます強さを増し。

 暗闇の向こうから、一つの人影が近づいてくる。


はじめまして・・・・・・。お隣、失礼してもよろしくて?」


 そう問うた声の主は、俺の首肯を待たずベンチの右側に座した。

 煌々と輝く紅の双眸。そして、夜の黒から切り取られたかのような白い長袖のワンピース。

 口調や雰囲気こそまるで違ってはいるものの、一年前とほとんど変わらない姿に失笑する。


「誘い文句はお気に召したか?」

「ええ、とても気に入りましたわ」


 夢の中で幾度となく、問いかけようとした問い。

 どうして、お前は死神としての自分の死を願ったんだ?

 しかし、今はポケットの中にしまっておくとする。代わりに、右手を差し出す。


「俺は死神の比良坂だ。これからよろしくな」

「死神に名乗る名前はないけれど、よろしくね」


 小さな手が、上から重ねられる。


 死神の助力を必要とする、元死神の人間の少女。

 少女との縁をなおも欲する、元人間の死神の男。

 奇妙でいびつな関係が、今宵結ばれた。


  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆


 この一年間、夜のたびに調査をした。両親を失ったあの事件・・について。

 死神の力さえも受け継ぎ。

 全ては、復讐のためだけに。

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雪月下、死神はナイフ閃かせ ラビきち @NoiresnoW

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