メデューサの最後の恋
@JustBeh59
メデューサの最後の恋
昔メデューサという美しい女性がいた。彼女の髪はまるでアポロの祝福を受けたかのように太陽の光と共に輝き、瞳は神々の持つどの宝石よりもきらめきを持っているようだった。その瞳の美しさに人だけでなく多くの神々が魅了され、嫉妬されるほどであった。彼女の美しさは外見だけではなかった。誰をもすぐに信じてしまい、疑うこともなく誰もが深いところでは善人であると信じていた。見知らぬ相手がどのような過去を持とうと、飢えている者には自信の食料を削ってでも分け与え、病を患った者は必死に看病をした。その彼女を人々は神よりも神らしいと讃え、メデューサの噂はすぐに広がった。
美しいものは全て自分のものにしたがる海神ポセイドンはメデューサという女の噂を耳にしてすぐさま彼女の村に彼女を見物に足を運んだ。彼は彼女の瞳を見た瞬間にメデューサを自分のものにすると決めたのであった。メデューサの心にはまだ嘘という言葉はなかったが故にポセイドンの甘い言葉を全て鵜呑みにして、彼女は二人が恋に落ちたのだと無条件に受け入れた。気まぐれに会いにくる彼をずっと待ち、共に過ごせる一時のために生きた。その純粋なポセイドンの新たな愛人に女神アテナは腹を立てたのだ。
ポセイドンと出会って一年が過ぎた頃、村人らが神が来たとまた騒いでいたのでメデューサはポセイドンといつも落ち合う浜辺のそばの大樹に笑顔で駆けつけた。しかし大樹のそばにポセイドンはいなかった。そこに立っていたのは怒りを隠しきれていないアテナであった。
アテナはメデューサが来たことに気づき、彼女の方を見上げると一瞬見惚れた顔を見せたが、すぐに先ほどの地面を見つめていた時の表情に戻り鼻で笑った後に言った。
「あなたが噂のメデューサね」そう言われた後、メデューサは初めて恐怖を覚えた。
「その目が悪いのよ、誰もその目を見れなくしてくれてやるわ」
そして彼女はメデューサに一歩近く
「ついでにその髪もあなたのように醜いものに、そして永遠に苦しみなさい」
そう言い放ったアテナはそっとメデューサの頬に手を添えた後そのまま立ち去った。
何が起きたのかわからぬまま無言でアテナが立ち去るのを見ていた。その直後、メデューサは自分の体の異変に気づいたのだ。自分の眼球が今までの何倍も重く感じたと同時に、髪の毛が浮き上がり動き出したのに気づいた。自分は病を患ったのだと思い、急いで村まで走り医者を探したのだ。慌ただしいノックの音に急いで扉を開けた医者はメデューサの姿に驚いた顔をしたまま固まってしまった。彼女は止まっている医者の肩を握ったが彼の体は非常に重かった。医者の体は石へと変わってしまったのであった。メデューサは悲鳴を上げ、彼女の声に反応して次々と村人が駆け寄って来たが、誰もが彼女と目を合わせてしまった瞬間石になっていった。
「化け物だ!」と叫び逃げる村人と武器を持ってメデューサを切りつけようとする村人。メデューサは訳もわからず大樹の元へ逃げていく、そこにポセイドンがいて助けてくれることを望みながら。しかしそこに彼がいるわけでもなく、そのすぐ近くにある洞窟の中へと逃げ込んだ。息を整え、誰も洞窟の中まで彼女を追ってこなかったことを確認した後、洞窟の奥に月の光が降り注ぐ先の小さな水溜りを彼女は恐る恐る覗き込む。彼女は自分の姿を見て悲鳴を上げた。自分の頭に何匹もの蛇が絡みついていたのだ。その悲鳴を追うように怒った村人らが次々へと洞窟の中に入ってきては彼女と目を合わせてしまい石像になっていった。
この新しいメデューサの噂はかつての彼女の美を称えるものよりも早く広がり、次々へと新たな若き勇者らがこの化け物の首を狙いに彼女の住む洞窟へと入り込むようになった。そして洞窟に石像が増えるにつれて、彼女の純粋な人を信じる心は消え去った。ポセイドンが救いに来てくれるという願いも消え、餓死することもできずにメデューサは洞窟の中で長い年月を過ごした。
数えきれないほどの年月が経った頃、彼女は水溜りに映る自分の姿を見ながら何を思い出すわけでもなくまた泣いていた。まるで彼女自身が石に変わったかのように心身ともに重たさを感じ、知らぬ男らの石像に囲まれながらもメデューサは孤独であった。彼女はなるべく石像を見ないようにしていた。何故なら石像が浮かべる恐怖の表情を見るたびに自分がどれほどの醜い化け物になってしまったかのみせしめと感じることと、化け物になる前のことすら思い出してしまうからだ。それでも水溜りに映る自分の姿は何度も眺めてしまう。見ているうちに元に戻るのではないかとあり得ぬことだと分かりきっていても彼女は願ってしまう。
この悲劇が当たり前なことになっていたある時、メデューサは誰かがまた洞窟の中へ入ってくる足音を聞いた。その瞬間彼女の自己憐憫は怒りへと変わった。またどこかの勇者と名乗る若者が彼女の首を狙いに入って来たのだと。そいつの若い勇敢な声がメデューサを呼ぶ。彼女は彼も石に変えてやると決心した時勇敢な声は続けて言葉を放った。
「メデューサ、ここにいるのだろ!私の名はペルセウスだ。お前をこの洞窟から救いにきた!」
メデューサは即座に混乱した。このような言葉を耳にすることなどあり得ないと思っていた。彼女は自分の心に微かな希望が灯り始めたことに気がつき、急いでそれを消すかのように自分に言い聞かせた。
「これはきっと罠よ。そんなことありえるわけがない。騙そうとしているだけ」
しかしメデューサはこの言葉の「罠」にまんまとハマってしまった。いつもなら猶予など与えずすぐに石像に変えていたが、ペルセウスと名乗る若者を石に変えることを躊躇してしまった。嘘でも嬉しかったのだろう。彼女はとっさに岩の後ろに隠れしゃがみこんだ。そして足音は徐々に近づいてきた。そしてペルセウスと名乗る声がメデューサを更なる混乱へと導く。
「こんな所に何年も一人でいたのだと伝説を聞いた。あまりに酷すぎる、どんな者であろうとそれはあんまりだ」
彼は彼女に近づきながら洞窟を見渡していた。水溜りの上にある微かな穴から入り込む夕日の光以外からは一切光が入って来ないこの洞窟は静かである。光が差し込む小さな穴から不意に落ちてくる水滴の音以外にはメデューサの荒い呼吸の音しかなかった。その音の方に向かうペルセウスに向おうとした時、メデューサはふと過去の自分を思い出した。化け物にされる前の自分を、誰もが平等であり助け合わなければならないと信じていた頃の自分。そして誰も見ることのできない彼女の目は涙で溢れそうになっていた時彼女はペルセウスという男を遠ざけるように言った。
「近寄らないで!あなたが何を企んでいるのかは知らないけど騙されはしない。それ以上近づけば私の目を見て石に変わるだけよ!」
メデューサは涙をこらえながら必死に叫んだ。近寄るものに忠告をすることは久々であった。彼女はもうしゃがみこんで下を見ることしかできずにいた。彼女の混乱が頭の上に住む蛇にも伝わり四方八方に暴れ出した時、彼女の真横に何かが置かれる音がした。メデューサは蛇らと共に同時に音の方へ振り向くとそこには果物でいっぱいのかごがおいてあり、その横に立っていた男はこちらを向かずに横並びにしゃがみこみながら言った。
「目を見なければいいのだな・・」
メデューサは癖で彼の目を見てしまいそうになった。だがこの時彼女は彼を石に変えるために見るのではなく、昔のように人とのコミュニケーションとしてであったことに彼女自身驚いていた。目が合わなければ相手は石に変わらないことを知っていながらも、動きかけた視線を戻しながらふとした瞬間あってしまったらとオドオドしていた。
「私が怖くないの?私はいつでもあなたを石に変えられるのよ。今なら見逃してあげるわ、帰りなさい」
彼女の声の震えはまだ止まらなかった、かつて多くの勇者を恐怖に陥らせたものの声とは思えないほどに。ペルセウスはそっと鼻で笑い優しく堅固な声で答えた。
「あー、少し怖いさ。初対面の人と話すのはあまり得意でなくて」
メデューサもこれを聞き、思わず笑ってしまった。それほど笑ったわけでもないのに、笑うことが久々すぎて腹が痛くなった。ホッとしていた。彼がそのまま帰ってしまわなかったことに。そんな自分を不快に思った時に彼は果物の入った籠をそっと彼女の方に押し寄せ彼女に問いかけた。いつから彼女が洞窟にいるのか、何故出て来ないのか。どうやら伝説では彼女がかつて人間であったことすらあやふやになっていたようだ。
最初は話すのを拒んでいた彼女も話したくなかったわけではない。会話の仕方を忘れてしまっていたのだ。頭の中では何度も何度も自分の悲劇を流していたが、これを別の人に言葉として表すのは困難に感じる。言葉がわからないわけではない、自分の選んだ言葉を人に聞かせるのが怖かったのだ。しかし彼の不屈の心には敵わなかった。彼女は全て話した。ポセイドンとの関係を、アテナに呪われたことを、そして何より家族や友人、知っていたもの全てに追放されてしまったことを。
ペルセウスは彼女が話している間は何も言わなかった。メデューサは彼が軽く頷いてるのを横目でなんとかわかったぐらいであったが、一度喋り出すと彼女は止まらなかった。長年誰にも言えずにいたことが次から次へと出てくる。それを全て彼は疑わずに受け入れてくれた。何も疑わずにいるペルセウスをメデューサは愚か者だと思ったと同時に、またポセイドンに出会う前の自分を思い出す、まるでかつての自分が横にいるようだと。
気がつけば小さな穴から差し込む光は月によるものに変わっていた。そしてペルセウスはまっすぐ向いたまま立ち上がった。メデューサはまた下を向いた時彼は言った。
「また明日来るよ」
彼女は思いもよらない返事に戸惑いながらも頷いた、彼女の懸命な返事を彼が見れたかもわからずに。
次の日の朝、メデューサは昨日のことを思いかえしワクワクしていた。柄にもなく鼻歌を歌って待っていた。もちろんいつ来るかもわからない彼に聞こえないように小さな声で、しかし昨日と同じ時間になっても彼は現われなかった。最初は彼女は色々な言い訳彼の為にを考えていた。道がわからなくなったなど、風邪をひいてしまったなど。しかし時間がすぎるにつれてそれらはネガティブなものに変わっていった。彼女の話を聞いた彼は怖くなってしまった、またはこの洞窟から生きて帰ったことを他の人間に自慢し勇者として讃えられていること、元からそれがペルセウスの思惑だったなど、彼女の妄想は悲観的になる。そして何よりそっちの方がしっくりきてしまう。
「来るわけないわ・・」
メデューサがようやく一人でボソッと言った頃にはまた洞窟の穴の光は月によるものであった。彼女が一番恐れていたことだったのはこの期待である。何年も一人で孤独でいた時よりも今が苦しかった。昨日と同じ岩の元でしゃがみ込み待つのを辞めた頃だった、洞窟の入り口から足音が聞こえた。彼女は興奮を抑えるためと彼と目を合わさないために強く目をつぶった、入ってきたのがペルセウスだという保証もないのに。
「待たせてしまった、すまない。色々と片付けなければならないことがあって・・」
彼はそう言い、当たり前かのように昨日と同じように彼女の横に籠と自分を並べた。メデューサは単純だった。帰ってこないと思い込んでいた相手が帰ってきたことだけでペルセウスに完全に心をこの時開いてしまった。自分でも良からぬことだとはわかっていても、ポセイドンが原因のトラウマなのだ。彼女は見捨てられることが何よりも怖い。自分を受け入れる彼を手放したくない。
戻ってきてくれた彼のことを全て知りたくなったメデューサは次から次へと彼に質問をしていった。メデューサは化け物である自分ですら救ってくれようとするこの英雄の答えを楽しみにしていたが、彼の答えは全て平凡であった。彼は村を出たこともない、戦にも参加したことのないただのブドウ農家であった。ペルセウスは彼女の問いにとても小さな声で答えていった後、最後に声を張った。
「ブドウやワインのことならなんでも知っているぞ!」
彼女は彼の正体が英雄でないことにむしろ安心した。きっと英雄でないからこそこうして話をできるのだと。そしてペルセウスはほぼ毎晩彼女の洞窟にくるようになった。そして二人は徐々に恋に落ちて行った。
二人が会うときはいつもたわいのない話ばかりである。ペルセウスの住む村で起きたちょっとした事件や笑える話、新しく覚えた歌を披露すること、仕事の愚痴、そんなものが多かった。そしてペルセウスが一番熱心に語ったのが英雄や神々の伝説であった。しかし彼は語手として決して上手とは言えない。何故なら話のクライマックスのとき彼はいつも止まってしまうのだ。メデューサはいつも笑顔で彼に話を終わらせるよう頼み、彼は話のオチを小声でいう。
「英雄は化け物を倒したのだ・・」
二人が喧嘩をすることはほとんどなかったが沸点が二つだけあった。一つはペルセウスが彼女を洞窟の外誘うときである。人を石に変えてしまうのを恐れている彼女だが、彼はここにずっといることはよくないと言いはる。この討論はもう一つのものほど長引かない、ペルセウスもそれほどしつこく言及はしない。しかしもう一つの沸点はいつも長引いてしまう。二人が出会ってから一年が経つ頃にペルセウスがあることをいうようになったのだ。
「君のような優しくて賢い女性、きっと瞳も美しいのだろう、一度見せてくれないか」
メデューサがこれを了承するわけがないが、ペルセウスは自分なら大丈夫だと言い張る、自分なら石に変わらないと。この話をされるとメデューサは必ず目を強く閉じ、ペルセウスから身を遠ざけて怒ってしまう。何故なら目を合わせたいという願望を我慢しているのは彼女も同じだからだ。それなのにしつこいペルセウスは何も考えていないと思えてしまうのだ。それでも二人はお互いを愛し合っていた。不死身であるメデューサはペルセウスの死を彼自身より恐れていた。
二人が出会いおよそ5年が経過した頃であった。メデューサはいつものようにペルセウスを待っていた。洞窟の入り口からいつもより早い足音が聞こえてきた。メデューサが不思議に思ったのはそれだけではない。メデューサは洞窟の穴から差し込む光の角度を見た。明らかにいつもより時間が早かったのだ。そして荒い息を放つペルセウスが入ってきた。
メデューサは何があったのかを彼に問いかけるとペルセウスは一度呼吸を落ち着かせ答えた。
「両親にお見合いを迫られたんだ・・それで素直に自分にはもう既に相手がいると答えた・・もちろん相手が誰であるかも聞かれて・・」
メデューサは顔中の血の気がなくなるのを感じた。
「父さんと母さんなら話せば分かると思ったんだ!君の身に起きた事実と君がいかに素晴らしい人であるかを!」
メデューサは何も答えられなかった。何も受け入れたくなかった。
「すぐに町中に噂は広がり、俺は化け物のしもべとして首を狙われてここまでなんとか逃げてきた・・流石に誰もこの中へは入るまい・・」
メデューサは彼を責めることもできない。自分自身心の奥では彼との結婚を望んでいた。
ペルセウスは続けていう。今度は声に確信を含み。
「そこで最後のお願いがある。最後に君の瞳を見せてくれ。」
これには流石にメデューサは声をあげようとしたがペルセウスはその間を与えずに続けた。
「僕は君のように不死身ではない。ここに残れば飢え死にしてしまうし、外に出れば殺されてしまうだけだ・・だからお願いだ愛しのメデューサよ・・最後に君の瞳を見せてくれ」
お互いに他に案がないことはわかっていた。向いにいる、自分の両肩に手を優しく乗せる恋人にしてやれることはこれしかないのだとメデューサは理解した。下を向いていたメデューサは小さく頷きゆっくりと頭をあげた。そして目を合わす。メデューサは両手を彼の頬に添えた。前に立っていたのは優しく微笑む、目の辺りが少し湿気っている石像、もう話すことのない唯一愛し愛された人であった。メデューサはその石像から目を離すことは永遠になかった。
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