第二十三章 チェックメイト
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レリックが何か言いたそうにするのを、六助は掌を向けて制した。
「おっと、まずは反論をせずに俺の話を聞いてくれ。犯行現場がドナルドの部屋ではないと断定する客観的根拠は二つある。彼の部屋に争った形跡がなかったことと、不審な物音がしなかったことだ。以上のことから、俺はある仮説を立てた」
「仮説だって?」
「ドナルドが自ら薬を服用して小さくなり、小人の通路を使って部屋を出て行ったのではないか、という仮説さ。まず彼は薬を服用し、小人の通路を通ってキーラの部屋に向かった。小さくなる薬が一つ消費される」
六助は右手の人差し指をピンと立てた。
「そこで待っていた犯人、おそらく犯人もすでに薬を飲んで小さくなっていただろう。その犯人に殺される。小さくなる薬がもう一つ消費される」
六助は中指を立てた。
「そして犯人は小人の通路を通ってドナルドの遺体を彼の部屋に運び、再び通路を通ってキーラの部屋に帰る。そして最後に大きくなる薬を飲んで」六助は左手の人差し指を立てながら「何食わぬ顔をして部屋に戻ってくる。この内訳なら使用された薬の総数を変えることなく、犯行時間を一気に半分近くにまで短縮できる。元の大きさに戻るために一時間待つ必要もない。ドナルドを殺すのに一分、遺体を引きずって小人の道を往復するのに三十分、といったところかな。急ぎ足で行えば十分弱は縮められたかもしれない」
「あくまで仮説だろう。それを裏付ける証拠はあるのかい? そもそもあれだけ気が立っていたドナルドがなぜそんなことをするんだい」
「おそらく犯人に『過激派について心当たりがある。二人きりで話がしたい』とでも吹き込まれたんだろうな。その時犯人から小さくなる薬を受け取ったに違いない。そして彼は六時に部屋の鍵を閉め、薬を飲んで小さくなった。そうして小人の道を通ってキーラの部屋へと向かったんだ。だから、彼が実際に殺されたのは六時十五分ぐらいだろうな」
「はぁ、僕が彼を説得した時にそうしたというのかい? 妄想に過ぎないね。誰かがこっそりとそういった旨の手紙を二階に上がる前に渡していたかもしれない」
「かもな。ここでどのようなやり取りがあったかは不明だ。お前もこの程度では納得できないだろう。だから話を進める」
六助はここで一度言葉を切り、自分を落ち着かせるように深呼吸を繰り返した。
「ここでドナルド殺害時の一同の不在時間を確認しておこう。まずクロックがパトロールのために六時頃退出した。戻ってきたのは六時五十分頃。ハーブは六時四十分頃にトイレに立ち、クロックと共に戻ってきた。ミーシャさんが空腹を訴え出て行ったのは七時二十五分頃。戻ってきたのは七時五十五分頃。そしてお前が出て行ったのは六時頃で、戻ってきたのは六時四十分頃」
不在時間が長い順にまとめるとクロックが約五十分、レリックが約四十分、ミーシャが約三十分、そしてハーブが約十分となる。これはリリーも憶えていた。誰かが出入りするたびに、時計を確認していたからだ。
「この中で犯行が可能なのは、三十分以上の不在がある人物だけ。レリック、クロック、そしてミーシャさんだ。約十分だけでは小人の道を片道だけ移動することすらままならないから、まずハーブが除外される」
レリックは黙ったまま、六助の口元に視線を注いでいた。
「次の除外されるのはミーシャさんだ。もちろん老体だから、という理由ではない。死に物狂いでやれば彼女にも不可能な犯行ではないからな。焦点を当てるべきは彼女の取った行動。彼女は食後、キーラのために再びレクイエムを奏でていたと言っていた。そしてこれには証人がいる。娯楽室にいたイリヤさ。彼女は七時半から十分間ほど、ミーシャさんの笛の音色を聴いている」
「イリヤの言葉は信用できるのかい? そもそも犯人が過激派でないという前提に立ち返れば、彼女だって嫌疑の外にいるわけではないじゃないか」
「いや、彼女は無罪だ。さっきも言ったように、彼女は常にありす様と共にいた。彼女には毒を盗む機会も毒を仕込む機会もなかった」
リリーは不穏な空気の流れを感じた。奇妙な胸騒ぎがする。
「この時点で残るはクロックとレリックの二人だけ。過激派の犯行であると信じさせられていたから、俺はクロックが犯人であると結論を出した。しかし――」
彼もまた、殺されていた。
「クロックが死んだことで犯人たり得る人物はレリック、お前だけになってしまった。俺は大いに混乱したさ。どこかで間違った論理を立ててしまったのか、とね。でもどう考えても俺の推理は崩れなかった。この時になってようやく犯人は過激派ではないのではないか、とひらめいた。そして同時に第一の毒殺事件の真の目的にも気づくことができたんだ。さあレリック、何か申し開きはあるか?」
薄気味悪いほどの静寂が場を支配していた。
六助とレリックの間には互いに互いを見下すような視線が何重にも交わされていた。リリーはハーブを抱き支えたまま、一歩後ずさりをした。得体のしれない恐怖が込み上げてくる。
「さあ、話してもらおう。お前は過激派ではない。ずっとお前は仮面をかぶったまま、俺たちの中に紛れ込んでいたんだ。お前の本当の目的はなんなんだ。お前は単なる快楽殺人鬼なのか?」
レリックは「やれやれ」とでも言うようにかぶりを振り、肩をすくめた。その仕草からは化けの皮をはがされた動揺や恐怖といった心情は微塵にも感じられなかった。
「お前はもう詰んでいる。チェックメイトだ、レリック。四対一ではもう勝ち目はないぞ。話すんだ。なぜこんなことをした?」
六助が脅しをかけるように低い声色でそう告げた途端、相対する少年は薄気味悪い笑みを浮かべながら高らかに笑い始めた。
「ふ、ふ、ふ……ふはははは、はーっはっはっはっはっは。チェックメイトだって? 違うね。逆さ、六助。君たちの負けだ」
「気でも違ったのか?」
「いいや、僕の精神状態はいたって正常だ。僕がマッド・ハッタ―でも過激派でもないのは君の想像通りだ。僕はスパイとして潜り込んでいたんだよ。まだ判らないかい? だったら後ろを見てみなよ。僕はこの瞬間を安全に迎えるために邪魔な人間を少しずつ殺していたのさ」
リリーは動けずにいた。誰かの気配を背後に感じるのだ。一人や二人ではない。もっと大勢の人間の息遣いが、後ろから聞こえてくる。
(……そういえば)
度重なる仲間たちの死によって、リリーは完全にその存在を忘れてしまっていた。マッド・ハッタ―が敵対する、あの勢力の接近に。
「レリック、あんたは――」
「チェックメイトだよ」
レリックの乾いた声が耳に届いた瞬間、リリーは脳天に強い衝撃を受けた。
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