第二十二章 k i l l e R

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 会議室には誰もいなかった。


 窓から入り込む隙間風によって、室内は驚くほど冷え切っていた。リリーは六助の背中に引っ付いて、その後ろから周囲の様子を窺った。人の気配はなく、時間が止まったかのような静寂だけが漂っていた。


「レリックはどこかしら」


 まさか彼も殺されてしまったのだろうか。胸の内に苦いものが広がっていく。六助は返事をせずにずんずんと歩いて行った。


「あ、待ってよ」


 会議室を出て、階段を下りた。胸騒ぎが治まらない。踊り場に差し掛かったところで、女の悲鳴が轟いた。


「ハーブの声よ」

「急ごう」


 二人は鈍い音を響かせながら階段を駆け下り、リビングを抜けて声のした方向――廊下に向かった。

 細い廊下の奥、薬剤庫の手前に二人の人間が立ち尽くしていた。レリックとハーブだ。二人が見下ろしている先にある人影を認めた時、リリーは短く叫んだ。


「ミーシャっ」


 アジトの精神的支柱である老女が遺体となって転がっていた。遠目ではよく判断できないが、ローブから覗いた白髪が赤く滲んでいるのが見えた。


「撲殺されているようだ。何か固いもので思い切り殴られたんだろうね」


 レリックはこちらを振り返り、そして言った。


「発見したのはハーブだよ。リビングの掃除を終えたあと、彼女はミーシャと共にキッチン周りの片づけをしていたらしい。それからミーシャがトイレに立って――」


「レリック」


 六助が発した声は驚くほど冷たい響きを伴っていた。


「いつまで経ってもミーシャが帰らないことを不審に思ったハーブが、彼女の変わり果てた姿を発見した、という次第さ――」


「レリック、もういい。ハーブ、こっちに来るんだ」


「六助?」


 リリーは彼の硬い声に不吉な何かを感じ取った。六助は焦っている。それはミーシャが殺されたからではないようだ。まるで眼前に新たな危機が迫っているかのような、そんな焦燥感を秘めた面持ちである。


 レリックは訝しみながら、


「どうしたんだ、六助――」










「動くな!」












 六助の怒声が大気を震わせた。レリックは踏み出した足を止め、静かに六助を見返す。


「ハーブ、早くこっちに来い」


 ハーブは明らかに平静を失っていた。レリックと六助の顔を交互に見比べたのち、彼女は壁にもたれ、そのまま一歩たりとも動かなくなった。


 リリーには何が何だか判らなかった。ただ一つだけ理解できることは、この細長い廊下にただならぬ緊張感が張りつめていることだった。


「何をそんなに怒っているんだい?」

「お前だったんだな」

「はぁ?」


 レリックは真顔のまま首を傾げた。そんな彼の態度が琴線に触れたのか、六助は大きく舌を打った。


「とぼけるんじゃあない。お前が犯人だったんだ。レリック、お前が仲間たちを殺した殺人鬼だ」


「何を言っているんだ? 頭でも打ったのかい。僕が過激派でないということはすでに証明されているだろう。僕はありすを殺すチャンスがありながら、彼女の命を奪うことはしなかった」


「そ、そうよ、六助。レリックが過激派だなんてあり得ないわ」

「そこだよ。その時点でもう俺たちは間違っていたんだ」


「え?」


「レリック、質問を変えよう。お前はいったいなんだ?」


   *


 六助は何を言いたいのだろうか。


 リリーは困惑していた。レリックが過激派ではないということは皆が承知していた事実ではないのか? 

 彼はありすと出会った当初、二人きりの状況にありながら、彼女を殺すことはなかった。それはつまり、彼が世界の終焉を望む過激派でない何よりの証拠となるのだ。


「質問を質問で返すようだがね、なぜ六助は僕が犯人だと思うんだい? まずそこを説明してくれなければ、僕だって何をどう弁解すればいいのか判らない。まずは君の持っている情報と推理を共有してくれないか? どのような道筋と論理の末に、君が僕を犯人であると指摘するのかをね」


「いいだろう」


 六助は大きく深呼吸をし、そして語り始めた。


「まず犯人の条件として掲げられるのが薬剤庫から毒を盗むことのできた人物。これに該当するのは俺、リリー、クロック、ハーブ、ミーシャ、ドナルド、そしてレリックの七人だ。イリヤとありす様は事件が起きる前は常に二人で行動していた。ゆえに毒を盗むことはできない。第一の事件から割り出せる情報は本来であればこれだけだった。本来であればな」


「含みのある言い方だね」


 レリックは皮肉るような微笑を浮かべた。


「この時すでに罠が仕掛けられていたんだ。毒が仕込まれたカップがありす様のカップだったことから、俺たちは過激派の犯行であると誤った結論を出してしまった」


「間違ってはいないだろう。犯人は最初からありすを狙っていて、キーラはそのとばっちりを受けたに過ぎない」


「違うな。犯人はキーラがカップを交換すること見越した上でありす様のカップに毒を仕込んだんだよ。あいつは自分の私物が他人に使われることを何より嫌った。その性格を利用したんだ」


「うん? 判らないな。なぜそんなに回りくどいことをする必要があるんだい? キーラを殺したいのなら、最初からキーラのカップに毒を仕込んでおけばよかったんだ。違うかい?」


「レリックの言う通りよ。キーラを殺すためにありす様のカップに毒を仕込むなんて危険すぎる賭けじゃない。もしキーラがカップの交換を要求しなかったらどうするつもりだったのよ。ありす様が死んでしまわれたら、世界が消えるのよ」


「仮にありす様が毒を飲んでしまわれたとしても問題ではない。犯人は解毒剤の隠し場所をから、薬剤室に行くふりをしてトイレの中にある解毒剤を取ってくればよかったんだ。キーラとありす様のどちらに毒が渡ったとしても、に事が進む」


「思惑……どういうこと?」


 ありすを殺すことが犯人の唯一の目的ではないのか?


「つまり、毒を仕込んだ人物はありす様を殺そうとした過激派である、と主張することができるのさ。ありす様が直接飲まれようが、キーラがカップを交換して彼に毒が渡ろうが、ありす様のカップに毒が仕込まれていた事実に変わりはないからな。誰かがありす様を殺そうとした。それは誰だ? 過激派だ、とこんなふうにありす様の命を狙う過激派の幻影を俺たちの頭に植え付けることが、第一の事件の真の目的だったんだ」


「それをするとどうなる……あっ」


 リリーは気づいた。犯人が過激派であるという前提を盾にすることで、嫌疑を免れることのできる者がいることに。その人物とは……


「レリックとイリヤ、この二人がまず疑惑の外に出る。こうすることで自身に疑いを向けずに、スムーズに犯行を重ねることができるようになるんだ。なぁ、そうだろ? レリック」


 白兎の少年は冷静な面持ちを崩さない。


「ふん、そんなものは憶測に過ぎないね。本当にありすの命を狙う過激派が潜んでいたことを否定できていないじゃないか。まさかこんなつたない論理で僕が犯人であると糾弾したのかい?」


 レリックは垂れた耳を撫でながら、つまらなそうに言った。


「いいや。もちろんこれだけじゃないさ。本題はここから。第二の事件、ドナルド殺しに話を進めよう。彼が殺されたのは彼の私室である会議室の奥の部屋だ。ドナルドは自分の提案した極論が否定されたショックで、自室に籠ってしまった。これが六時少し前。そして彼の生存が確認できた最後の時刻は六時ちょうど。鍵を閉める音が聞こえた時だ。あの部屋の扉に自動的に鍵を掛けるようなトリックは仕掛けられていなかったから、鍵を閉めたのがドナルド本人であると断定できる」


「ふむ、続けて」


 この時、ハーブがようやく平静を取り戻したようで、危なっかしい足取りでこちらに駆け寄ってきた。リリーは彼女を抱きとめた。


「俺がまず疑問に思ったのは、犯人はどうやってこの部屋に入ったか、だった。隣接する会議室にはずっと俺たちがいた。ドナルドの遺体が発見される八時頃まで、彼の部屋に入った者は一人としていない」


「その答えはすぐに出たね。犯人は体の大きさを変える薬を使い、小人の道を通ってドナルドの部屋に侵入した。一見、これが正答のようにも思えた。けれども新たな問題が浮上してしまった」



「そう、時間的矛盾だ。使用された薬は小さくなる薬が二つに、大きくなる薬が一つ。これを使ってドナルドの部屋に侵入するとなると、内訳はこのようになる。まず、小さくなる薬を一つ飲んで小人の道を通り、ドナルドの部屋へ。次に大きくなる薬を飲んで元の大きさに戻り、ドナルドを殺害する。そして最後に残った小さくなる薬を飲んで脱出する。しかし、これでは犯人はそのあと元の大きさに戻るために移動時間も合わせて一時間待ったことになる。また小人の道は片道で十五分ほどかかるから、犯行にかかった時間を無視したとしても、少なくとも行きの移動時間と薬の効果が切れるまで待ち時間で約一時間十五分は消費したはずだ。だが、そんなに長い不在を持つ人物はいない」



「じゃあ、どういうことになるんだい。全く別の方法で侵入したというのかな? でも現に薬の数は減っているんだから、犯人は間違いなくあの通路を使ったんだよね」


 レリックは挑発するような目つきで六助を見つめた。この謎が解けるかな、とでも言うような。幼く愛くるしい少年の顔が歪んでいくような錯覚にリリーは陥った。


 この時間的矛盾について、六助は解決したと言っていた。何がどうなっているのか、リリーには少しも理解できないけれど、六助の表情に自信がみなぎっているのがありありと窺えた。


「聞かせてもらおうか」


「その前に、今の俺が説明した侵入経路の中でがあるんだが、判るか?」


「はぁ? 長時間の不在がある人物がいない点だろ。それはもう君が結論付けたことじゃないか」


「そこじゃない。いいか、これがこの時間的矛盾を打ち砕く重要なポイントになる。これは実際にあの道を通った者なら、実際に小さくなった者ならいともたやすく理解できることなんだが……」


「もったいぶらずにさっさと言ってくれよ」


 この時初めてレリックの表情にかすかな焦りのようなものが窺えたような気がした。


「あの薬の性質の一つとして、、という注目すべき点がある。つまり、俺たちが小さくなったとしても、元に戻るための薬のサイズは変わらないんだ。これくらいはあったかな」


 六助は胸の前で大きく手を広げて見せた。


「何が言いたいんだい?」


「小人のサイズになった犯人にとって薬を携帯して小人の道を通ることは不可能だった、ということさ。いいか? さっきの説明だと、犯人は大きくなる薬と小さくなる薬を二つ持って小人の道を通り、ドナルドの部屋に向かったことになる。しかしそれは現実には不可能だった。あの通路は俺がぎりぎり通れるくらいに幅が狭まった道があったからだ」


 リリーは頷いた。たしかにあの巨大な――小人の体にとっては――薬を転がしながら通路を通ること自体がまず難しいし、二つとなればもはや不可能だろう。それに六助の言うように通路内には道幅が狭くなった箇所があった。


「判ったよ、六助。君はこう言いたいんだね。『犯人は薬を持って通路を通ることはできない。しかしドナルドは室内で殺されている。つまり、犯人は事前にドナルドの部屋に薬を隠しておき、それを使って体の大きさを変化させたんだ』と。これなら薬の運搬の問題は解決できる。だから事件の直前に彼の部屋に入った僕が疑われるということか。でもね、自己弁護をさせてらうと、あの時の彼はかなり気が立っていたんだ。こっそり薬を隠すなんて芸当はできなかったよ」


「だろうな。仮にドナルドの部屋に薬を隠していたのだとしても、結局犯人は元に戻るために一時間待たなくてはならなかった。時間的矛盾が付きまとう以上、その薬の使い方は間違っている」


「間違っている?」

「ああ」


 六助の冷たい声が響いた。



「ドナルドが殺された場所は彼の部屋ではない」

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