第二十四章 ありすは激怒する

 1


 この陰気な地下室に隔離されてから、いや、私がこの夢を見始めてから、いったいどれだけの時間が経っただろうか。むきだしの岩天井を見上げながら私はため息をついた。


「退屈だー」


 この部屋には私の好奇心を刺激する物が全くない。不思議な魔法薬も面白い夢の世界の道具もなければ、可愛い少年もいない。心細さよりも退屈な気分の方が勝っていた。本当にやることがないので、自分を取り巻くこの状況について考えてみた。


 誰かが私を殺そうとしている。


 なぜ?


 この夢を終わらせたいから。


 どうせ朝が来て私の本体が覚醒すれば、この世界は跡形もなく消えてしまうのに。と、そんなことを説明したところで彼らには理解できないだろう。彼らは私の脳細胞が作り出したロボットのようなものなのだから。


 そういえば一度、六助が奇妙なことを尋ねてきたが、あれはいったいどういう意味なのだろう。

 彼はレリックの家の薬――例の体の大きさを変えるあれだ――について訊いてきた。見たがままを答えたが、それがキーラの毒殺事件に関与しているというのだろうか。それともまた新しい事件が起きてしまったのかもしれない。いくら夢の中の虚構とはいえ、人が死ぬのは気持ちのいいものではない。私は物語にハッピーエンドを求めるタイプなのである。


「それにしても暇だ。ひーまーだーなー、うん暇だ」


 もう犯人は捕まっただろうか。どうせ私を奪い合うなら、可愛い少年たちとの逆ハーレム系ラブコメにして欲しかった。「やめて、私のせいで争わないで」などと一度でいいからのたまってみたいものだ。夢の世界なのだから、それくらいの役得はあってもいいはずだと思う。


 それからも無駄な時間ばかりが過ぎて行った。意味もなく屈伸運動をしたり、部屋の中を歩き回ったりしているうちに、私はある感覚に襲われた。


(おしっこしたい)


 これはまずい、と私の潜在意識が必死に警鐘を鳴らしていた。

 夢の中の尿意はまずい。かなりまずいぞ。高校生にもなっておねしょをするなど、絶対にあってはならない。このままトイレに駆け込んだが最後、それこそ世界の終わりではないか。私のベッドの中はノアの洪水に洗われたように悲惨なことになってしまう。


 我慢できないレベルではない。


(私はできる子、我慢の子)


 そう自分に言い聞かせてみたが、ドリップするコーヒーのように少しずつ、だが確実に尿意は溜まっていった。


 早足で室内を縦横無尽に歩き回ったのち、ついに私は覚悟を決めた。

 部屋を出、はしごに足をかける。ホラー映画の主演女優さながらの緊迫した表情で一気にはしごを駆け上り、暖炉の隠し扉の手前までたどり着いた。

 この隠し扉は内側からでも開くことができるようで、右手に大きなレバーが伸びていた。それを引くと、かちり、と硬質な音が響き、隠し扉が口を開けた。


「イリヤさん、すいません。ちょっとお花を摘みに――え?」


 私の目に飛び込んできたのはイリヤの迷惑そうな顔でも、明るい娯楽室の内装でもなかった。ただただおぞましい光景が、私の視界を真っ赤に染めた。


  2


 正面の壁の前に大勢の男たちが直立不動の姿勢で集まっている。彼らは一様に白い甲冑で身を固め、物々しい剣や斧などを構えていた。

 私の視線はまず屈強な兵隊たちを捉えたのち、部屋の中央辺りに並べられたそれらに釘付けになった。最初は何が並べられているのか、瞬時に判断ができなかった。幼い子供が初めて見る物に興味を示すように、私はそれらを仔細に観察した。そして、それが何であるかを認識した瞬間、私は獣の叫び声のような音を発した。





「いやああああああ」





 首だ。





 赤い血だまりの中に、いくつもの首が並べられている。


 クロック、リリー、ミーシャ、六助、ハーブにドナルド、そしてイリヤ。七人のマッド・ハッタ―たちの首が十センチほどの間隔をあけて見せしめのように並んでいた。

 その強烈な光景に、私は一瞬気を失いかけた。マントルピースに手をつき、そのグロテスクな遺体から目を背けた。その拍子に飾られていた人形が床に落ち、鈍い音を響かせた。


 何が起きているのか。全く理解できない。


 胸の奥で鉄が溶けているような不快な感覚と吐き気を催す血の匂いだけが私の知覚できる全てだった。視界がぐるぐると回る。受けたショックが強すぎたようで、私は崩れるようにしてその場にへたり込んでしまった。


「はあ、はあ」


「ありす、もう大丈夫だよ」


 聞きなれた声が人垣の向こうから聞こえた。まもなく、兵隊たちをかき分けて白兎の少年レリックが、いつもの穏やかで愛らしい笑みを浮かべながら現れた。彼は七つの首の手前で歩みを止め、そして言った。


「ありす、もう大丈夫だよ」

「レリック!」


 よかった無事で、と言葉を繋ごうとした私だったが、なぜかそれが声にならなかった。それは彼の異様なまでの落ち着きが原因だった。仲間が死んでいるのに、どうしてそんなに落ち着き払っているのだろう。

 私の疑問を視線で感じ取ったのか、レリックはにやりと口角を上げた。


「安心してくれ、ありす。障害は全て排除した。エリナ女王に歯向かい、君を邪悪な女王として君臨させることを目論んでいた悪の組織はみごと討ち取ったよ。エリナ女王の命で、しっかり首をはねてやった」


「何を言っているの? 皆は仲間じゃなかったの……」


「違うよ」


 レリックは明るい調子で声を弾ませた。悪びれるような様子などなく、堂々としてさえいた。


「僕は女王軍のスパイだったんだ。こいつらの動きを監視するために、何年も前から潜り込んでいたんだよ。まあ戸惑うのも無理はないね」彼は六助の首を踏みつけながら「が来たから、質問があれば受け付けよう。君にはすべてを知る義務と権利があるからね」


「あなたがカップに毒を混ぜたの?」

「そうだよ」

「私を殺そうとしたってこと?」

「それは違う。キーラがカップの交換を要求するだろうと踏んで二人のカップを入れ替え、君のカップの方に毒を仕込んだんだ。不安にさせてしまったのなら申し訳ない」

「私のカップに毒を混ぜて……もし私がそのまま毒を飲んでしまったら、どうするつもりだったのよ?」

「その時は隠しておいた解毒剤で君を助けたさ」

「なんでそんな回りくどいことをしたの?」

「君の命を狙う過激派が潜んでいる、とこいつらに思い込ませるためさ」


 レリックは踏んでいた首を蹴飛ばした。血の軌跡を描きながら、六助のふくよかな首が転がっていく。


「なぜこんな酷いことをしたの?」


「なぜって? それはもちろん君をマッド・ハッタ―たちから救うためさ。僕が自分の家から手紙鳥を飛ばしたのを憶えているかい? あれはマッド・ハッタ―の本部に宛てたものではなく、女王軍に向けて出したものなんだ。ありすを救出するための部隊を派遣してもらうためにね。それから僕は少しでもありす救出作戦の成功率を上げるため、救出部隊が到着するまでにこいつらを一人ずつ殺そうと決めた。君を人質に取られたり、余計な血を流させないためにもね」


 淡々と語るレリックの目にはまるで偉業を成し遂げたあとのような、すがすがしい光が宿っていた。彼の背後に立ち並ぶ兵士たちは床の上の首には一瞥すらくれず、ただひたすら礼讃のまなざしを白兎の少年に送っていた。


「私と最初出会った時に、そのまま一緒にエリナ女王のところへ行けばよかったじゃない。なんでわざわざアジトに私を連れてきたの? そうしておけば、この人たちは死ななくて済んだじゃない」


「あの時、僕はただ忘れ物を取りに帰っただけなんだ。君と出会ったのは偶然に過ぎない。君を連れて逃亡している姿をクロックやリリーに見られたら一巻の終わりだったからね。僕が戻ってこないのを怪しんだ二人が森の中を捜索しないとも限らないし。まあ、君に本当のことを伝えなかったのは悪いと思っているよ。でもありすってあんまり嘘とかつけそうに見えなかったから――」


「そういうことを言ってるんじゃないの」


 自分でも驚くほどの大声が出た。


「そんなに私のことが大事なの? こんなにたくさんの人を殺して……」

「こいつらは国賊、排除すべきテロリストだ。死んで当然の存在だよ」

「私からすればあなたたちの方がよっぽど邪悪な存在よ。この人たちはただ太陽のある世界で生きたかっただけじゃない。原因を作ったのは女王でしょ」

「エリナ女王は国の発展のために最善を尽くしている。それを理解できない彼らの罪だね」


 なんて恐ろしい悪夢だろう。私の脳細胞はきっと重いストレスを受けているのだ。なぜこんな恐ろしい夢を見てしまっているのか、と私は私を恨んだ。


「覚めて、もういいわ。こんな夢、さっさと覚めてちょうだい」


「なぜエリナ女王が太陽を停止させたのか判るかい? 朝が来るのを防ぐためだよ。あとほんの数回でも日が昇り沈みすれば、終末の朝日が世界に昇る。その光は全ての存在を浄化し、無に帰すそうだ。だからエリナ女王は太陽の動きを止めたんだよ。それなのにこいつらときたら、自分たちのことしか考えていない」


「私をどうするつもり?」


「悪いようにはしないさ。君が望むものならなんでも用意しよう。男でも宝石でもなんでも欲しいものをエリナ女王に言うがいいさ。ただ、君には生き続けてもらう。この世界を終わらせないために、永遠にね」


 冗談じゃない。いつの間にか、私の心は怒りに燃えていた。


「何様よ、あんたたち。いい? あんたたちはただのなの。なの。私の脳細胞が作り出したなのよ。あんたたちの言葉も感情も行動も全部、私の脳みそが作ったものなのよ」


「僕たちには僕たちの命があり、生活があり、人生がある。城下町の一軒一軒にそれぞれの家庭があり、彼らの物語がある。友と語らい、時には喧嘩もする。恋をして、愛を育み、子供を産んで、そして――」


「違うわ。全部、全部それは偽物なのよ。私が起きて夢から覚めれば、原子の一つすら残らない儚い存在なのよ。あんたたちには振り返るべき過去なんてないし、待ち望む明日もないの。この世界は私が森の中で目覚めた瞬間に誕生して、あと少ししたらあっけなく終わるのよ」


「そんなことを言うのは無意味だね。ありす、君が誰かの作り物ではない、とどうして証明できるんだい? 誰も自分以外の存在に対してその存在を保証することはできない。自己を認識できるのは自分だけなんだからね。だからそのことに対して論じるのは意味がないんだよ。僕たちの行動は極めて単純な事実に基づいているのさ。この世界のために君を永遠に生かしてあげるよ」


「嫌よ。だったら強引にでも死んでやるわ」


 その時、レリックの表情から笑みが消えた。


「やめときなよ。君の手足を引き千切って、目玉をくりぬき、耳を潰してダルマにしたまま生かしておくことだってこっちはできるんだ。穏便に済ませたい」

「そんな言葉を聞いて、私が素直に従うと思うの?」

「従わせるさ」


 感情のない声でレリックは言った。私の心の中では様々な感情が渦巻いていた。レリックが殺人鬼であるというショック、彼らに捕まったが最後、永遠に夢の世界に囚われるという恐怖、そして、に指図されたことへの怒り。


 あらゆる負の感情がない交ぜになり、そして爆発した。


 私は素早く身をひるがえし、暖炉の中に頭から飛び込んだ。そのまま地面に激突して死ぬことを期待したが、落下の途中ではしごに巧い具合に手足が引っ掛かってしまい、失敗に終わった。


「捕まえろ」


 レリックの叫び声に続いて、男たちの猛々しい声が聞こえた。私はすぐさま体勢を立て直し、改めてはしごを下り切った。地下室に駆け込み、叩きつけるようにして扉を閉めたあと、しっかり内側から鍵を掛けた。


「ありす、起きて、お願い。起きるのよ、ありす」


 そう自分に言い聞かせながら、私は自分で自分の命を絶つ方法を模索した。この部屋の中には何もない。古臭いソファや足の腐ったテーブルセットがあるだけだ。

 まもなくしてドンドン、と扉を叩く音が響いた。兵隊たちが扉一枚を隔てた先にいる。


「そうだ」


 私はキッチンに走った。木製の棚に飛びつき、抽斗を検めた。中には銀製のナイフやフォークなどが収まっていた。どれも薄汚れていて細かい傷が目立つ。鋭利、とはほど遠い代物だがこれで我慢するしかない。その中からできるだけ切れ味のよさそうなナイフを一本手に取った。


 扉を蹴破る荒々しい音が耳に届いたかと思うと、兵隊たちが雪崩のように押し入ってきた。


「ありす、ありす、ありす、ありす、ありす――」


 男たちの怒声が反響する。


「いや、来ないで。起きるのよ、ありす。これは夢なの」


 躊躇している暇などない。私はナイフを逆手に持ち直し、自分の左胸に向けて力の限り突き刺した――















































 














 そして全部消えた。


















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