第十五章 「皆、揃って死のうじゃないか」
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――リビング。
互いに牽制し合うような視線が飛び交う中、六助はひそかに一同の様子を窺っていた。今のところ不審な動きをしている者はいない。
ありすが地下室に籠り、イリヤが警護についている以上、過激派はこれ以上の手出しはできないはずだ。ひとまずは安心といったところか。
「あのぅ」
ハーブがおずおずと小さく手を上げ、上目遣いで一同を見やった。
「二階に上がりませんか? 私、ここにこれ以上いるのが耐えられないんです」
「そうだね」とドナルド。
「ここはキーラの死に場所です。せめて彼の魂が休まるよう、場所を移しましょうか。彼は一人が好きだったから」
優男に促され、一人、また一人と席を立った。
「ミーシャさん、さあ行きましょう」
ドナルドの差し伸べた手をやんわりと拒絶し、ミーシャはキーラの座っていた席に歩み寄った。
「もう少しここにいさせておくれ。あの子にもう一曲だけ聴かせてあげたいのですよ」
「しかし――」
「私を一人きりにすることは別に危険なことじゃないから安心なさい。この老いぼれがあのイリヤを制してありす様を殺すなんてできっこないですからね」
「いえ、そういうことではなく、ミーシャさんの身に何かあれば、と」
「いらぬ気遣いですよ。でもありがとうね。一曲だけですぐに戻るから」
そうして六助たちは老女をその場に残し、二階の会議室に集まった。
十畳ほどの室内には長テーブルと人数分の丸椅子があるだけで、実に簡素な部屋である。北向きの窓は小さく開かれており、しっとりとした夜風が舞い込んでいた。
各々が普段使っている席に着くなりドナルドが、
「突然の提案なんだけれど」
そう前置きをし、普段の彼からは想像もつかないような冷徹な響きを持った声でこう言った。
「皆、揃って死のうじゃないか」
ドナルドの発した言葉は稲妻のように場を駆け巡った。ひりつくような緊張感が一瞬にしてその場を支配する。
ドナルドの言葉に含まれた真意を六助はかろうじて読み取ったが、誰もが彼のように鋭い洞察力を持ち合わせているわけではない。クロックがかんしゃくを起こしたように吠えた。
「何を言ってやがんだ!」
「言葉通りの意味さ。僕たちの中には過激派が混じっていて、そいつはありす様の命を狙っている。さらに誰が過激派なのかは判別がつかない。僕の提案はこの状況を打開する唯一の策だよ。全員揃って死ねば、ありす様の命を脅かす過激派も確実に始末できる」
「ふざけたことを抜かすんじゃあねえぞ」
「ふざけているのは君だろう?」
「あん?」
「ありす様のためなら命だって捨てる覚悟を僕たちマッド・ハッタ―は心に秘めているはずだ。僕たちの命で革命の灯であるありす様を守れるなら、それは安すぎる犠牲だろう? 違うかい」
「待て、ドナルド。君の意見はあまりにも極論過ぎる。犠牲が最小限で済むなら、それに越したことはないんだ」
「六助の言う通りだよ。第一、ありすは本部の場所を知らない。彼女一人で本部に向かわせること自体が何より危険じゃないか」
レリックも加勢する。
「いいや、その点は考えてある。さっきは全員と言ったが、正確には過激派の容疑がかかっている全員だ。安心したまえ、君とイリヤは除外される。君たちが僕らの意志を受け継いでありす様を本部までお連れするんだ」
「……なるほど」
「おいレリック、『それならありかも』って顔してんじゃねえよ」
ドナルドの提案はありすの身の安全を確保するという意味では最も正解に近いものだ。
優先すべきはありすである。
それは六助も頭では理解していた。世界の危機がたった数人の命で守られるのだから、ドナルドの言っていることは間違っていない。この状況に対する最適解だ。しかし――
(俺はこんなところで死ぬわけにはいかない)
生きたい。生きて、この目で太陽のある世界を見たい。自由に太陽の光を浴びたい。自分はそのためにマッド・ハッタ―に志願したのだ。
「ドナルド、君の言い分も理解できる。だが、俺は生きたい」
「六助、君はもう少し利口な人だと思っていたけれど」
ドナルドが刺すような視線をこちらに向ける。
「なんとでも言ってくれ。とにかく俺は生きたいんだ。生きて、あの素晴らしい太陽を拝みたい」
「ありす様が殺されれば、太陽どころか世界が無くなるんだよ?」
「ドナルド、お前の言っていることはあのエリナ女王と変わらないぞ」
ひくり、とドナルドの片眉が動いた。
「少数を犠牲にして大きな結果を得ようだなんて、まさに太陽を独り占めしているエリナ女王と同じ思考回路じゃないか。今、俺たちの敵はただ一人。過激派のやつだけだ。そいつを見つけ出して、殺すならそいつだけを殺せばいい。俺が見つけてやるよ。キーラの仇も取ってやる」
ほとんど屁理屈に近い反論だったが、「エリナ女王と同じ」という部分が効いたようだ。ドナルドは顔を引きつらせながら、
「狂ってるよ、君たちは。ありす様が死んだら、世界が無くなったら、後悔することすらできなくなるんだ。僕たちは無に帰るんだ。それがどれだけ恐ろしいことだか判らないのか……はあ、はあ。もういいよ」
ドナルドはゆらりと立ち上がると、奥にある扉によろめきながら向かっていった。そこは彼の私室である。
「待って、ドナルド」
扉の奥に消えたドナルドをレリックが追う。
「ほっとけよ。ったく、行っちまいやがった」
二人と入れ替わるようにして、階下から上がってきたミーシャが現れた。
「ミーシャさん、もう済みましたか」
「ええ、あの子の魂も喜んでいることでしょう。けれどね、やはり胸が痛みますよ。何もあんな殺し方をする必要なんてないのに。遺体が残らないなんて、あまりにも非道ですよ。……それより、何か一騒動ありましたか」
場の異常な空気を感じ取ったのか、ミーシャは訝しげに六助を見据えた。彼女の老練さはこのアジトの精神的支柱である。それまでじっと耐えていたハーブが彼女に抱き着いた。
「おお、よしよし。いったいどうしたというのです? 下までクロックの怒鳴り声が聞こえたましたよ」
「いや、実は――」
事の顛末を説明すると、ミーシャは愕然とした様子でドナルドの部屋の方を見やった。
「突拍子もないことを考える子だねぇ、あの子は。極論は議論の余地を排除し、場を乱すだけというのがどうして判らないのかしら。この老いぼれの命だったらいくらでもくれてもやってもいいけれど」
「ミーシャさんまでそんなこと言わないでくださいよ」
まもなくして、レリックが戻ってきた。
「どうだった?」
「処置なし」
彼は残念そうに肩をすくめた。その直後、当てつけのように、がちゃりと鍵を掛ける音が響いた。クロックが露骨に舌を打つ。
「あの野郎、拗ねてんじゃねぇよ。子供じゃあるまいし」
時刻はちょうど六時。お茶会ではほとんどものが食べられなかったからか、小腹がすいてきた。
「ハーブ」と言いかけて、六助は口をつぐんだ。今日の炊事当番はハーブだが、この状況で何かこしらえてくれとはさすがに言えなかった。彼女が毒殺魔でないという根拠がないのだ。キーラの死にざまが、呪いのように己の精神に溶けていくのを六助は感じた。
「星が出てきたわ」
リリーが窓を開け、顔だけ出して空を眺め始めた。嫌なことがあると、星々の輝きに癒しを求めるが彼女の癖だった。
「さて、と」
クロックが急に立ち上がったので、六助は思わず身構えた。
「どこへ行くんだ?」
「暇だからよ、女王軍の監視もかねてちょっくら散歩に行ってくるぜ。ドナルドのアホが出てきたら言っといてくれ。死にたきゃてめー一人で死ねってな」
そう言ってつかつかと出て行ってしまった。気が立っているんだろうな、と六助は推察した。
クロックは感情的になりすぎてしまうきらいがある。今の言葉も本心からではないだろう。自分でもそういう自らの性質を理解しているから、夜気にあたって頭を冷やすつもりなのだ。
「僕も少しの間、席を外させてもらうよ。一人になりたい気分なんだ」
レリックが立ちながら言った。
「ああ」
二人の男が退室したため、会議室内は空間的に余裕ができた。ハーブはミーシャから離れようとせず、リリーは窓辺に寄り掛かって星を見つめている。
「皆、バラバラになっていくみたい」
そんなリリーの呟きが空虚な響きを伴って六助の耳に吸い込まれていった。
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