第十四章 ありすは地下室に匿われる
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「一つ提案がある。ありす様を安全な場所へお連れしたい。女王軍がこの付近から遠ざかるまでここで待つというなら、過激派のやつはそれまでにありす様の命を狙おうとするだろう」
六助の提案に反対する者はいなかった。犯人のターゲットである私をこの危険地帯から隔離するのは当然の策だろう。しかし――
「安全な場所……ですか?」
そんな場所がはたしてこのアジトにあるのだろうか。そんな私の疑問はレリックの言葉によってあっという間に氷解する。
「イリヤ、君がありすの警護をしてくれ。場所は暖炉下の地下室でいいだろう」
「判ったよ」
「あ、あの暖炉の下の秘密部屋ですね」
「そう。本来は女王軍が突然乗り込んで来たりした時に身を隠すための部屋なんだ。造りは頑丈だし、食料も蓄えてある。部屋の入り口は暖炉にしかないから、イリヤがそこを見張っていればありすに危害が及ぶこともない」
「ではありす様、さっそく参りましょう」
イリヤに連れられ、私はリビングを後にした。長い廊下の左手奥には、薬剤庫の扉が見える。
私の心はついさっきまでワクワクとドキドキに満ちていた。それが今ではどうだろう。悪魔に心臓をわしづかみにされたような、そんな不快感に支配されていた。
誰かに悪意を向けられることに慣れていないせいだろう、と自己分析してみる。しかもそれは嫌がらせやいじめというレベルに納まるものではなく、明らかな殺意なのだ。私だってクラスに嫌いな子の一人や二人はいるけれど、何も殺そうとまでは思わない。
「どうぞ、ありす様」
娯楽室の様子に先ほどと変わったところはなかった。六助たちと集まっていたテーブルを尻目に、私たちはまっすぐ暖炉へ向かった。イリヤが膝をつき、上半身を暖炉の中に入れる。数時間前も同じ光景を見た。まもなく小さな金属音が鳴り、這いつくばったままの姿勢でイリヤが暖炉から出てきた。
「はしごは十メートルほどの高さがありますので、十分お気を付けください。明かりはこれを」
そう言ってイリヤはマントルピースの上にあったランプを手渡した。
「ありがとうございます……あの、イリヤさん」
「はい?」
「いえ、なんでもありません。じゃあ、下りますね」
あんぐりと口を開けた暖炉に足を突っ込み、はしごに体重を預ける。支柱をしっかり握り、一段ずつ慎重に下りた。ヒールが踏みざんに当たるたびに、かん、と乾いた音が深い穴に反響する。
四方をむき出しの岩肌に囲まれており、穴の中は冷たい空気が蔓延していた。顔を上げると、イリヤが心配そうな表情で穴を覗き込んでいるのが見えた。
足が地面に着いたのでほっとする。下りたところは二畳ほどのスペースが開けており、正面に木製の扉が構えていた。
「ありす様、私はここにおりますので、万が一の時はお知らせください」
「判りました」
「では」
暖炉の隠し扉が閉められ、上方から差し込んでいた光が途切れた。扉の横の壁に小さな燭台が生えていたのでランプの火を移してから、私は地下室へ足を踏み入れた。
案の定、室内は真っ暗でどれほどの広さがあるのかすらも判らない。壁に沿って歩きながら燭台を探して火を灯して回った。部屋を一周する頃には、十分な明かりを確保できた。
二十畳以上はあろうかという大広間だった。壁や床は隠し穴と同じくむき出しの岩壁で、ところどころに濡れたような跡が見受けられた。気温は低いが空気はどんより湿っていて、卵が腐ったような臭気がする。まるで父が入ったあとのトイレのようだ。
長方形の木製テーブルや横長の腰掛け椅子、布張りの青いソファなど、一通りの調度品が揃っているけれど、どれもかなり年季が入っていて、木製のそれなどは腐食しているものが多かった。
奥に二つの扉があり、それぞれ簡素な造りの寝室とキッチンに通じていた。ある程度地下室を見て回ったあと、私は落ち着ける場所を探した。腰掛け椅子は体重を預けると壊れてしまいそうだったので、ソファに腰を下ろした。
「うぇ」
布製の張地が水気を含んでおり、お尻の部分がじんわりと濡れてしまった。
「気持ち悪いなぁ」
文句を言いつつも、ひとまずそこに落ち着いた。浅いため息をつき、ぼんやりと床を見つめる。
冷たそうな黒い岩床のへこんだところにわずかながら水が溜まっている。ここでどれだけの時間を過ごせばよいのだろうか。こんな陰気臭いところで退屈な時間を過ごすくらいなら、キーラを殺した犯人探しに加わりたかった。どうせ夢なのだから、普段と違う体験をしてみたい。
(イリヤさん、泣いてたなぁ)
別れ際、イリヤの頬に涙が伝うのを私は穴の中で目撃した。あの涙、そしてその時の彼女の悲痛な表情は今でも鮮明に思い出せる。キーラが彼女にとってどのような存在だったのかは、それだけで推し量ることができるような気がした。
「ま、夢の中のことだからどーでもいいけど」
所詮は一夜限りの存在の彼らである。最初はびっくりしたけれど、もうキーラの死についてあまり感慨はない。
私は冷たい女だろうか。
いえいえ。
悲しい結末のドラマや映画を見る時、人は本当の意味で悲劇を悲しんでいるか?
登場人物の死に胸を痛めているか?
作り物だと心のどこかで判っているじゃないか。
それと同じ。
そう、それと同じなのだ。
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