第十一章 殺意のお茶会

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 リビングの様子は一変していた。


 部屋の中央に先ほどはなかった大きな縦長のガラステーブルがある。お茶会のためにわざわざ引っ張り出してきたそうだ。そのためソファなどの元々置かれていた家具を別の部屋に移し、場所を確保したという。

 壁はアートパネルやウォールステッカーのようなもので飾られており、急ごしらえながらも、彼らの気合いの入りようが伝わってきた。


「ありす、さあそちらの席へ」


 奥に座ったレリックの囁きかけるような声に促され、私は上座に腰を下ろした。隣はあの陰気な雰囲気のキーラだった。


「へ、えへへ。ありす様。よろしく」



「ど、どうも……」



 明るい場で改めてキーラを見ると、気になる点がいくつか目についた。

 まず彼はあまり身なりを気にしないタイプの人間のようだ。

 お茶会の場でも髪は相変わらずぼざぼさで、不健康な白い肌に青い髭が目立つ。スウェットのような服を着ているが機能性や動きやすさを重視したわけでもなさそうだ。また黒ずくめだからか、付着したゴミが目立つ。肩の辺りの白いものはフケではないと信じたい。

 彼も打倒女王を志し、太陽を求める革命家の一人のはずだが、見た目のせいもあって、どちらかといえば日陰でひっそり生きていくことを好むタイプに思えた。


 ガラステーブルの上には銀製の燭台が鎮座しており、そこに立てられたろうそくがひときわ明るい炎を灯していた。

 花柄のティーカップにはすでにお茶が注がれている。お茶請けにはクッキーとドライフルーツが出されていた。ミルクと砂糖の用意もいい。ただティーポットだけが見当たらなかった。


「?」


 不思議に思って視線を動かしていると、見知らぬ女と目が合った。温和な表情をした初老の女だ。彼女は優しく微笑み、会釈をした。

 老女の隣に座っている若い男も初めて見る顔だった。そんな私の視線に気づいたのか、レリックが彼らを紹介する。


「こちらはミーシャ。六助たちから僕らマッド・ハッタ―のことは聞いたそうだね。このアジトの中では彼女が一番の古株だ」


 レリックの後を引き継いで、ミーシャは朗らかな口調で挨拶をした。


「ありす様にお目にかかることができて、至極光栄でございます。わたくしはもう長いことこの暗い空の下で粛然と生きてきましたが、今日という日ほど胸が高ぶり、そして躍った日はありません。急ごしらえで粗末なお茶会ではございますが、どうぞ、ごゆっくりとお過ごしくださいませ」


 ミーシャは再び微笑を浮かべた。


 肌に刻まれたしわと真っ白になった髪がこれまでの彼女の過酷な人生を象徴しているようだった。鋭い曲線を描く鷲鼻は魔女のようでもある。紫色のフード付きローブに身を包み、ヒスイのペンダントを細い首にぶらさげていた。その胸元の緑の石は、周囲の光を吸い取っているかのように深い色合いをしていた。


 ミーシャの隣の青年はドナルドと自ら名乗った。年齢は十代後半といったところで、癖のある茶髪とおっとりとした垂れ目が印象的な優男だった。滑らかな美声が心地よく、もう五、六歳若ければ私のストライクゾーンど真ん中である。全体的に線が細く、男臭いクロックとは対称的な外見をしていた。


「ああ、麗しいありす様。このドナルド、あなたのためならたとえ火の中、水の中、草の中、森の中、どこへでも行きましょう。僕が仕えるのはエリナ女王でもなく、また僕が求めているのは太陽のある世界でもない。あなたです。あなたがいればそれでいい。ありす様の君臨するお姿をこの目に焼き付けることこそが、僕の最上の喜びなのです。ああ、そうです。その目です。もっとその冷え切った目で僕を見下してください」


「ははっ」


 取りあえず愛想笑いを返しておいた。


 奥の扉から赤髪の女が給仕用ワゴンを押しながら出てきた。たしか彼女はハーブという女だ。私がレリックたちとこのアジトを訪れた時、彼女はこのリビングでイリヤと共にお茶を楽しんでいた。

 おっとりしていて、胸元が大きく開いた桃色のワンピースを着ている。困った時に口元に手を当てて「あらあら」と言いそうな、そんな雰囲気の女だった。

 ワゴンの上には白いティーポットが三つ載っている。近い席の者が手を伸ばし、卓上の空いたスペースを埋めるようにしてポッドを置いた。その一つに手を伸ばして中を検めてみたが、鼠は入っていなかった。


「さて」とレリックが座を見渡した。


「そろそろ始めようか」


 そう彼が言った時、黒板を爪でひっかいたような声が上がった。


「ちょ、ちょっと、待った」


 声の主は私の隣に座るキーラだ。棒きれのような細い腕を伸ばし、再び「待って」とその甲高い声を響かせる。何事か、と一同の目がいっせいに彼に向いた。


「いったいどうした?」


 彼の正面に座るクロックが抗議を含ませた声色で訊く。お茶会の進行を妨げられたのが気に障ったのだろうか。強面の大男に凄まれても、キーラは動じる気配を見せず、淡々と言った。


「これ、僕のカップじゃない。あ、あ、ありす様のカップ、そ、それだ。それが僕のだ」

「えと、これですか?」


 キーラはぐっと前かがみになり、私のカップに顔を近づけた。その拍子に彼の頭から白いものが舞い落ちる。


「ま、間違いない。これ、僕のカップ」

「んなこといちいち気にしてんじゃないよ。ありす様の御前で失礼だろうが」


 イリヤがドスを利かせた声で怒鳴るのを、ミーシャが「まあまあ」とたしなめた。


「で、でも、僕はこれじゃないといけないんだ。人が使ったのをまた僕が使うのはとても嫌な気分になる。あ、ご、ごめんなさい。ありす様。ば、ばい菌扱いしてるんじゃあなくって、僕、自分の物を人に使われるのがすごく、い、嫌なんだ」


 キーラは潔癖症なのだろうか。その割には身だしなみに気を遣っているふうではないけれど。他のカップと見比べても特に違いは発見できないが、とにかく私に割り振られたカップは元々キーラのカップらしい。


「見て、この縁のとこ。ちっちゃく星のマークがあるでしょ。これ、僕のだ」

「そういうことなら、どうぞ。交換してあげる」

「あ、ありがとう。ありす様、や、優しい」


「いーえ」



 私が素直に交換に応じたのは親切心からではなく、彼の頭から飛来したものがそのカップに落ちたからだ。



「ふう、キーラ、もういいかい。あんまりありすに失礼なことをするんじゃないよ。彼女は次期女王なんだ。これが原因で君の首が飛んでも僕は知らないからね」


 レリックがうんざりしたように言った。私としてはこの程度のことでいちいち目くじらを立てるつもりはないが。


「へ、へへ、判った」

「では、そろそろ始めようか。皆、本来であれば今日は何でもない日として過ぎていくはずだった。夜の空の下での日常が、淡々と過ぎていくはずだった」


 一同の視線が、レリックの口元に集中している。


「しかし、今日は何でもない日などではない。記念すべき日だ。我々マッド・ハッタ―が、この世界を女王から取り戻す希望を手にした歴史的な日だ。輝かしい、黄金のような空がこの世界全てに行き届くその瞬間まで、我々マッド・ハッタ―は闘い続ける。新たな女王、ありすと共に。この命を彼女に捧げよう」


 レリックは高らかにそう宣言し、感慨に浸るように瞳を閉じた。その少年のあまりの可愛さに、私は下腹部がきゅっと暖かくなる。それもつかの間、



「捧げよう」



 私を除いた一同がひどく堅い声で唱和する。


 少し可愛いだけの女子高生を担ぎ上げても、期待通りの活躍はできそうにはないと思うのだけれど、彼らにとってはそうではないらしい。プレッシャーを感じる、とまではいかないが、それでも重苦しい空気が私の肺を圧迫した。個人的には楽しいお茶会を期待していたのだが……


 長々とした口上が終わり、皆カップを手に取ってゆっくりと口に運び始めた。

 ひとまずは夢の世界のお茶を味わうことにしよう。難しいことを考えるのは後回しだ。仮に私を取り巻く状況が悪化したとしても問題ない。だってこれは夢なのだから。


「ふぅ、ふぅ……あ、おいしい」


 アールグレイだろうか。柑橘系のすうっとした香りが鼻を通る。舌に残る渋味が思いのほか強烈で、ミルクが欲しくなってきた。

 そうして私がミルクポットに手を伸ばしかけたその時、今までの人生の中で聞いたことのないような音が私の耳元で鳴った。肉の塊を握りつぶしたような、そんな音が――










「かはっ、くきゅぅ、ぐぅううう」











 一瞬、何が起こったのか理解できなかった。私の隣に座る男が、見えない何かを掴むように虚空に手を伸ばしたのだ。場に緊張が走る。


「おい、冗談はよせよ。お前、そんなキャラじゃないだろ。キーラ!」


 六助の声が飛ぶ。


「ひぃ、ひぃ」


 キーラはくねくねと体をひねりながら、後ろに倒れていった。真後ろの壁に頭がぶつかり、鈍い音を立てる。彼はそのまま滑るようにして床に転げ落ちた。


「きゃあああああああ」


 私はその異常な光景を前にして叫び声を上げた。彼が倒れたからではない。彼の体が徐々にからだ。

 体全体を光の粒子のようなものが包んでいる。キーラが苦しみのあまりのたうつたびに、その光のつぶてが周囲に舞い散った。


「まさか分解蜂の毒を飲んだのか。お、おい、誰か解毒剤を持って来い」


 六助の声を受けて、リリーとイリヤが弾かれたように立ち上がった。二人がリビングから出ていくのと同時に、キーラが息を切るような喘ぎ声を上げた。



「きぁ、はぁ」



 呼吸をするたびに、キーラの華奢な体から光が湧き上がっていく。まるで彼自身が光の粒子となって消えていくように。

 クロックがテーブルを乗り越え、彼を抱きかかえた。クロスが乱れ、いくつかの食器が割れる音がした。キーラはびくんびくんと痙攣を繰り返しており、たくましいクロックの腕さえも弾き飛ばす勢いだった。


「しっかりしろ」

「う、ああ」


 クロックはキーラの喉に指を突っ込み、毒を吐かせようとする。私はどうすることもできずに、その場で凍りついていた。


「大丈夫だよ。分解蜂の毒は解毒剤さえあれば死ぬことはない。たしかまだ在庫があったはずだ。毒が回るのだって十分弱はかかる。キーラはきっとありすを驚かせようと思ってこんな悪戯をしたんだろう」


 レリックが遠くの席から落ち着いた声で言った。それを受けて、一同は安堵したような表情を浮かべた。

 ミーシャはたおやかな動きで再び紅茶をすすり、ドナルドはクッキーに手を伸ばした。ハーブはぼんやりと中空を見つめ、六助は戸口に立ってリリーたちを待ち、クロックは腕の中で暴れるキーラを押さえつけるように抱いていた。


 この異様な空気の中で私の脳裏をあの言葉がかすめた。


 ――君の運命の先には大勢の人の死が待っている。


 まさかと思った。

 あのチェシャの「死の予言」が今まさに動き始めたというのか。いやいやと首を振る。たった今、レリックが言っていたではないか。解毒剤さえあれば死ぬことはない、と。それにこうも言っていた。これは私を驚かせるための悪戯だ、と。

 たしかに私は驚いた。

 心底びっくりした。

 だからもういい。

 もうこれ以上、そんな苦渋の顔を見せないでくれ。


 やがて青い顔をしたイリヤとリリーがリビングに戻ってきた。場の視線が彼女たちに突き刺さる。


「解毒剤は?」


 戸口で待ち構えていた六助が額の汗を拭いながら訊いた。彼女たちは黙って首を横に振った。

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