30話:夜の嵐


 教会を出た頃にはすでに日は陰っており、太陽は城壁の向こうへと消えていた。空には西の方から雲がかかり始めていて、大通りに出た頃にはすでに雨脚が伸びてきていた。


「荒れそうだな。」


 雨が振り始めたころから、どんどん風も強くなってくる。一雨来そうな臭いもしなかったのに、突然湧いて出たかのような嵐がチューリッヒを包み込もうとしているようだった。空を包み込む雲には、なにやら不自然な光が透けて見えるようだった。まるで雲自身が魔物になったかのような印象すら覚えた。


 大通りに出た頃には、風が一層強くなり、雨は嵐へと変貌していた。とてつもなく不幸な先触れのように降り注ぐ雨で視界が悪い。嵐のせいか人通りはめっきり少なくなっている。時たま巡回の騎士とすれ違うが、彼らも彼らで手一杯のようで、こちらを気にする余裕すらないようだ


「なんか、魔術で作られたみたいだ。」


 レオンがそうポツリと呟いたのを皮切りに、ついに雷鳴まで轟き始めた。空を見上げると、雲が纏う魔力光がまるで吹き上がる火山灰が起こす火山雷のようにまとわりついているのが見えた。だが、嵐を引き起こすような魔術など、誰も心当たりすらなかった。


「とりあえず急ぐぞ!これはまずい!」


 雨音にかき消されないようにデューターが叫ぶ。近くにいるはずなのに、轟音にかき消されそうな声に大声で答えると、俺達は宿舎まで走った。



「全く、ひどい目にあった。ブーツが重たい。」


 無事全員逸れることなく宿舎に戻った俺達は、雨で重たくなった服を絞っていた。ブーツをひっくり返してみると、中から少なくない水がこぼれ落ちる。


「タオルもらってきたわよ。ほら。」


 アンナが衝立の向こうからタオルを差し出してきたので礼を言って受け取る。濡れてない場所など全く無いと思えるほどで、頭から足の裏までこそぎ落とすように水滴を拭い去った。濡れているのはあまり好きじゃなかった。


「アンナ、俺たちにも【乾燥】かけてくれ。」


「魔力は魔術を使うべきときのために取っておくものよ。」


 グスタフの意見を素早く却下した様子のアンナは、帰ってきた時に自分とマリーにだけ【乾燥】の魔術を使って乾かしていたため、ちょっと理不尽には思っていた。グスタフとアンナがなにか言い争いをしているようだが、次第にグスタフは丸め込まれていった。デューターのため息が聞こえた。

 せめてレオンだけでもと思ったが、そう言えばアンナはまだレオンが女の子だということを知らなかったのを思い出した。とりあえず服を着替えて、雨で冷えた体を部屋の隅の暖炉で温めていると、俺の横の椅子にレオンが腰掛けた。


「レオン、大丈夫か?」


「うん。ちょっと寒いけど、火に当たれば大丈夫だと思う。」


 後ろが騒がしい中、俺たちは無言で火を眺めていた。なにか、なにかとても嫌な予感がする。恐らく誰もがそう思っているだろうという根拠のない確信があった。嵐は堅牢な石造りの兵舎を揺るがすかのような勢いで、雨が鎧戸を打ち付ける雨の音は無限に続く機関銃の掃射のようだ。


「止みそうにないね。」


「あぁ。」


 俺は雲にまとわりつく魔力を思い出した。あれを止めなければ、嵐も止まないのではないかとも思えた。


「あぁ、諸君。無事で良かった。」


 ずぶ濡れになったクィンタルが部屋の扉を開けた。纏った鎧の中に相当な水が溜まっているのか、隙間からは滴るどころではなく水が流れ落ちている。


「我々は賊の対処をしなければならなくなった。君たちはここで待機してくれ。」


「この嵐の中ですか?」


「あぁ、貴族は自分の敵を排除することと民から金を巻き上げることに関しては余念がないからな。」


 やれやれだと言いたい様子のクィンタルに後からやってきたピアソンが釘を刺す。


「やめろクィンタル。私達の主を愚弄するのか?」


「まさか、アルペンハイム様はあんな俗物達とは違います。」


「君の言いたいこともわかるが、ここは貴族の街だ。わざわざ身内に敵を作るようなことはするな。」


「すいません。」


「まぁ、いい。」


 クィンタルを諌めたピアソンはこちらに向き直ると。濡れた前髪をかき上げて撫で付けながら1つ息をついた。


「つまりそういうことだ、嵐なんて関係ないからさっさと賊を捕まえろ、それまではチューリッヒからは出せんとな。」


 鎧をまとった重たい体で椅子を軋ませたピアソンはそれ以上言葉を続けなかった。ルッツは人員が足りていないようなことを言っていたが、まさか他の任務を与えられているはずのピアソンまでも駆り出されるとは思っていなかった。


「ピアソンさんも動くんですか?」


「ルッツはもう一月以上も梃子摺っているからお役御免だそうだ。」


「つ、つまり、あなた達はルッツの指揮下じゃないんですね?」


 突然割り込んできた声に、その場の全員の視線が向いた。魔力の反応すらも見えなかったが、そこには、ずぶ濡れの小柄な人影がいつの間にか立っていた。


「助けてください。」


 フードを脱いだしたから現れたその顔は、深い藍色の髪と瞳を持った俺たちと同じくらいの闇人インプの少女のものだった。



「これはまさか、神への祈りが災いを齎した……?」


 あの子の剣は強く神へと繋がっている。あの剣を通して捧げた祈りが、まさか神を怒らせたとでも言うのか、それとも、祈りが別のにも届いてしまった。私達が信じる神を嫌うナニカに。


「まさか……。」


 心当たりは、ある。50年ほど前から、新たに神の啓示を受けて新教会が発足されたと聞く。もし、その神が私達の信ずる神とは異なる別のナニカだとしたら。この嵐の矛先は、おそらくここか、あの子。


「皆、地下室へ向かいましょう。この嵐は怒りかもしれません。」


「神様が怒ってるの?」


「かもしれません。少しでも安全な場所に行きましょう。」


 ただの嵐ならば、地下に籠れば1週間は耐えられるでしょう。だけど、狙いが私ならば、まだ救いはある。自らに祈りを捧げないものに怒る神など、神であっていいはずがないのだから。でも、もしあの子に災いが降りかかるのだとしたら、私はとんでもないことをしでかしたのかもしれません。ジーク、どうか気をつけて。

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