29話:シスター・エマ
十分な休息をとった俺たちはチューリッヒの町を散策していた。ピアソンの話では盗人騒ぎが解決するまでは出られないようだから、しばらくは滞在することになるだろう。
チューリッヒは三重の城壁で囲まれているようで、中心部から城塞、貴族街、平民街、そして壁外と区切られているようだが、俺たちは平民は貴族街には入る.ことすら出来ないため見て回れるのは平民街だけだ。
「この町、
レオンに言われて気がついたが、この町には冒険者ギルドも職人ギルドのような大きな建物は見当たらなかった。代わりに立ち並ぶ店には貴族のものと思しき紋章が掲げられているようだった。
「この街は貴族の意向が強い。平民が結束することは禁じられているのさ。」
グスタフはそう言って露店の値札を指す。そこに書かれた金額は、『北の港』の倍近いものだった。
「貴族が利権を握ってるから、あんな値段になる。」
よく見てみると、取り扱っている品によって掲げられている紋章が異なっている。グスタフが言うように貴族が流通の利権を完全に握っているため、貴族の取り決めた値段でしか売ることが出来ない。だから価格競争も起きないから安くならないということだろうか。
「窮屈な街さ。」
「だから飛び出したのよね。」
「デューターさんってチューリッヒの出身だったんですか?」
「私もね。」
デューターが町並みを眺める顔は、あまり快いものではなさそうだった。こういった因縁には深く突っ込まないのがお互いのためだろう。
「さっさと出ていきたいよ。」
「でも、その前に
「……そうだな。顔くらいは見せておくか。」
◆
デューターの案内で街の外側の城壁に沿うように歩いていると、尖塔の頂上にトランプのダイヤのような形状をしたモニュメントが掲げられた建物が見えてきた。レオンが言うには、あれは星を現しているらしい。よく考えてみれば精霊信仰が盛んなこの世界では初めて見る教会だった。
「何も変わってないな。」
「少し安心した?」
「あぁ。」
デューターは教会の扉の前で1つ深呼吸をしてから中に入った。よく手入れされているようで、燭台の煤の跡もない。正面には祭壇が設けられ、星型のモニュメントがそこに鎮座していた。
ちょうど祈りを捧げる時間だったのだろうか、そこには子どもたちと一緒に星のモニュメントに祈りを捧げる白い修道服姿の老婆の姿があった。老婆は俺たちが入ってきたことに気づいたようで、祈りを一旦中断してこちらに振り返った。長身に金色の髪、そして長い耳は典型的な
「あら、どちら様?あら?あらあらあら!」
「お久しぶりです。シスター・エマ」
「久しぶり、シスター。」
シスターは非常に驚いた様子で小走りで駆け寄ってくると、デューターとアンナの顔を交互に何度も見て、輝くような笑顔を浮かべた。
「デューターにアンナ。二人共大きくなりましたね。」
シスターは二人のことをしっかりと覚えているようだった。
「皆様も、よくいらっしゃいました。ダニエラ、お茶を淹れてきてくれますか?」
「はい、シスター。」
シスターに促され、俺たちは椅子に腰掛けた。子供が手伝いをしているようだが、教会という施設や森人のシスターと只人の子供たという組み合わせを見ると、どうやら孤児院も兼ねているのだろうか。
「これ、お差し入れです。みんなで食べてください。」
来る途中に差し入れとして狩ってきたヌガーはこのためだったのだろう。シスターは包みを開けてそれを確認した。
「あら、ヌガーですか。高かったでしょうに。」
「シスターも俺たちに買ってきてくれたじゃないですか。」
「そうね。そうだったわ。」
シスターは早速1つ口に含むと少女のような笑みと、過去を懐かしむような表情を浮かべていた。
「懐かしい味。二人共これが好きだったわよね。デューターなんていくつもねだってたもの。」
「恥ずかしいな……。」
シスターは丁度お茶を運んできた少女にヌガーの入った包みを渡すと、年長の子どもたちに他の子供達の面倒を任せていた。
「まさか、冒険者になるって言って飛び出した子が、大きくなって帰ってくるなんてね……。長生きもして見るものだわ……。」
やはり冒険者という職業は危険なのだろう。シスターの口ぶりからすると、他にも冒険者になると言って出ていったっきり帰ってこなかった人もいるのかもしれない。
「ねぇデューター。せっかくだからあなたのお仲間を紹介してくれるかしら?」
「わかりまた。こいつはグスタフ。前衛担当、『北の港』で知りあって、以降一緒に一党を組んでます。」
「グスタフだ。デューターには色々世話になってる。」
グスタフもこういうときは人を立てることが出来るのか。いや、普段から何かと面倒見が良いし、考えてみれば意外でもない。
「こっちはマリー。見ての通り司祭で、俺たちは何度も命を救われました。彼女も『北の港』で仲間になりました。」
「マリーです。」
マリーは深々と頭を下げる。今更になって気づいたが、精霊信仰の司祭でも教会に入っても問題はないようだった。そういった宗教の対立はなさそうだ。
「そしてレオンとジーク。まだ出会って二月も経ってない。レオンは魔術師でジークは斥候兼野伏、ふたりともまだ若いけど優秀だ。」
「レオンです。」
「ジークです。」
俺たちも皆に習ってシスターに挨拶をする。シスターは俺たちのことを、子供が連れてきた新しい友達を見るような眼で見ていた。いや、実際シスターにとってデューターとアンナは子供のような存在だから、そういう認識なのだろう。
だが、グスタフたちを見る目と俺達を見る目は違う。明らかに成人前の子供たちが武器を担いで冒険者をしているということは、否が応でもその背景を連想せざるを得ないというものだ。ましてや孤児を預かる身と言うのであれば。
気付くとシスターの目線は俺の背負う剣に向けられていた。それは驚くような、困惑しているような、それでいてどこか納得しているようにも見えた。
「ごめんなさい。ちょっと見せてもらってもいいかしら。」
「いいですけど、なぜか俺意外は触れないみたいで……。」
「多分、大丈夫です。」
俺は剣を鞘から抜こうとするが、シスターは教会では武器を抜くのはいけないとそれを咎めた。そして鞘ごと見えるように差し出した俺の手から剣を《受け取った》。
「えっ?」
その場にいた全員の声が重なった。今まで俺意外誰も、触れることすら許さなかった剣が、その身を委ねるようにシスターの手に収まっている。
「この暖かさ、やはり神の剣でしたか。ジーク君だったわね。あなたは選ばれてしまったのね。」
シスターは祈りを捧げるように鞘を持って剣を掲げると、柄にはめ込まれた透明な魔石がそれに呼応するかのように光を強めた。数秒後、光が収まるとシスターはそのまま俺に剣を返してくれた。
「これに触れられるということは、神からの啓示があったのでしょう。」
剣を受け取る際、シスターは俺の手を撫でるように包み込んだ。
「こんなにも小さいのに、随分と大きなものを抱えて……。」
シスターの小さなつぶやきは、俺の行末を案じているようだった。
「今後、王都へと向かうのでしょう?でしたら、正教会を頼りなさい。私が紹介状を書きましょう。神の導きがあらんことを。」
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