5話:今できることを

 結局、翌朝になっても父さんは帰ってこなかった。俺は母さんがかまどに向かう隙きを見計らって朝食を食べることもせずに家を飛び出そうとしたが、俺のそんな見え透いた行動なんて当然予測できていた母さんにすぐに捕まった。母さんは今まで見たこともないような、今にも泣き出しそうな顔をしていた。


「だめよ。」


「でも」


「だめ、父さんにまかせておきなさい。早ければお昼には冒険者の人がくるから。安心しなさい。」


 俺は父さんを助けに行かなければと思い手を振り払おうとした。しかし、母さんの腕を振り払うことも出来ないような俺の力では、このまま行っても何もできないかもしれない。だからといって、俺の中ではそれは何もしない理由にはならなかったし、それ以上この村を、父さんを守らなければいけないという衝動に駆られていた。


「さ、ご飯にしましょう。」


「食べてる場合じゃないんだ!父さんが危ない!」


「あなたがもっと危ないのよ!!!」


 俺は初めて母さんが大声を出すのを聞いたと思った。何も言えずに一歩後ずさろうとしたが、母さんに腕を掴まれたままではそれすらも出来ず、思わず目をそらす。


「ジーク、よく聞きなさい。あなたの気持ちは間違ってはいないわ、でも、間違ってないことと、正しいことはまた別。あなたは父さんより体が大きいの?」


 首を横に振る。


「力は強い?」


 首を横に振る。


「弓をきちんと当てられる?」


 首を横に振る。


「父さんは苦しい戦いをしているかもしれないわね。」


 頷く。


「ジーク、あなたは苦しい戦いをしている父さんに、あなたを守りながら戦わせるの?」


「それでも!」


「ジークの言ってることは、そういうことなの。気持ちだけでなんとかなるなら、父さんは今頃ジークと一緒に帰ってきてるわ。」


 俺はそれ以上言い返すことは出来なかった。母さんの言っていることは全て正しいからだ。間違っていないだけの俺の言葉よりもよっぽど正しい。俺の心の底から湧き出る正義感という衝動に、体や技術が全くついてきていなかった。俺の気持ちはあの頃から変わっていないが、体はずっと小さいのだ。


「いい、ジーク。やりたいことと、できることと、やらなくちゃいけないことは違うの。今ジークがやらなくちゃいけないことは、村を守るお手伝いをすること、そのためにはちゃんとご飯を食べなきゃね。」


 俺は頷くしかなかった。母さんがスープを温め直している間、俺は黙って座って待っていた。そして初めて、母さんと二人だけで朝食をとった。


「今日は村長のところへ行きなさい。柵を補強するのに人手が足りないそうよ。」


「わかった。」


 二人で食べたスープは、香辛料が少なかったせいか、味がしなかったように思えた。食事を終えると俺はいつも担いでいた弓を持たずに家を出た。いつもより荷物は少ないはずなのに、足取りは重かった。本当は走り出したい気分なのに、行くべき場所が違うからかもしれない。


「ジーク……、ひどい顔だね。気持ちはわかるけど、今はこっちを手伝ってほしいんだ。」


 村長の家につくとレオンが迎えてくれた。レオンから見ると俺はよっぽどひどい表情か顔色をしていたらしい。無理に表情を作ろうとしてみるが、上手く行かなさそうだった。


 今日の俺の仕事は柵の補強だ。格子状だった柵は板で補強され、杭を斜めに立てて魔物が突進してきた時に突き刺さるように工夫されている。しかし、あの分厚い盾を叩き割った魔物に意味があるのか、弓を弾いた魔物に意味があるのか、わからなかった。この突き立てた杭の一本でも槍の代わりにして戦うべきだと思ったが、それは俺の「できること」ではなかった。


 打ち込む杭が少なくなってきたため村長の家の倉庫でレオンと一緒にナイフで杭を尖らせていると、レオンは不意に口を開いた。


「正直に言うと、僕はお前の見張り役なんだ。」


「どういうことだ?」


「誰も見てないとそのナイフだけしか武器がなくても森に入っていくだろ?」


 俺は口を閉じるしかなかった。否定しようにも、レオンの言葉を覆す根拠が何も思いつかなかった。レオンは図星か、と苦笑いした。


「ジークのそういったところはすごいと思うけど、僕たちは物語の英雄とか勇者じゃないんだ。」


 英雄という言葉を聞いて俺は手を止めた。俺は英雄になりたい。そして今は英雄になれるかもしれないチャンスだと思った。父さん、母さん、友人たちを救う英雄になれるかもしれない。俺の本能レベルにまで染み付いた願望がそれを突き動かしていた。


「今父さんを助けに行けば、俺は英雄になれるかな。」


「アーデムさんがいない間、エルザさんを守れるのはジーク、お前だけだ。アーデムさんが帰ってきてから強くなる方法を教えてもらおう。」


 レオンは驚くほど大人だった。二回目の人生で、経験した時間だけなら20歳を超える俺よりもずっと大人だった。改めて冷静になると俺はとんだ自己満足野郎に思えた。俺は自分のことしか考えていなかった。父さんを助けたいという思いよりも、父さんを助けた俺という虚像に酔っているだけだったように思えた。


「そうだな。俺は母さんを守るために仕事しなきゃ。英雄になるのはもっと大きくなってからでもいい。」


 そう言って杭を削る作業から戻った時、外から声が上がった。冒険者が来たのだろう、俺たちはそう思って顔を見合わせると道具を手放して倉庫の外に出ようとした。その時レオンはハッとした様子で立ち止まり飛び出そうとする俺の方を掴む。


「どうしたレオン、早く行こう。」


「まって、なにか変だ。」


 外から聞こえてくる声は、歓声のようにも聞こえたが、即座に違うものだと気がついた、それは、叫び声や悲鳴のようだった。何かが破壊され、大きなものが動き回っている。俺たちはうなずき合うと足場を積んで光取り用の小窓から外を覗く。


 そこには全身に傷を負い昨日見たときよりも巨大化したウォートホッグの魔物が村人を蹂躙する光景があった。

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