4話:撤退

「カール!!!!!」


 カールが大きな衝撃音とともに吹き飛んだ、分厚い大盾がまるで鉋屑かんなくずか紙切れのように圧し曲がり千切れ、たっぷり数秒滞空してから地面に強く叩きつけられた。カールを追っていた視線を戻すとそこには先程倒したものよりも一回り以上大きいウォートホッグがいた。吐き出す息はまるで蒸気機関でも搭載しているかのような湯気が混じっているようで、瘴気でも纏っているのか、周囲の空間が陽炎のように歪んでいるようにも見える。魔物を中心にして瘴気が広がっているのではないかとさえ思えた。


「……ァッ」


 カールは叩きつけられた衝撃で肺の中の空気が全部吐き出されたのか声にもならないうめき声を上げている。それでも大盾がなければそうも行かなかったのだろう。おそらく突撃の衝撃で生きてはいなかったのかもしれない。


「クラウス!お前はカールのところへ行け!」


「わかった!」


「ペーター!目潰しはまだあるか!?」


「あるけど、今の速さで動かれたらろくに当てられないよ!」


 元冒険者組の動きは早かった、ヨハンは後退し魔物から距離を取りつつクラウスとペーターに指示をしている。クラウスは即座にカールの元へ駆け応急処置を始めたらしい。ペーターはとりあえず目潰しの瓶は使わずに周囲の石をスリングで投擲し始めた。父さんは矢を3本番えて一度に引き絞りながら精霊に祈りを込める。


「風の精よ、我が矢を届け給え!【追尾矢チェイスアロー】!」


 番えた矢を包み込むように緑の光が現れたかと思えば、放たれた矢は一度見当違いの方向に飛んでいってしまった。しかし次の瞬間急速に方向を変えて魔物の足へ吸い込まれるかのように突き刺さる。しかし先程とは異なりまだ体力的に余裕があるのか一瞬バランスを崩しただけで、転倒まではしない。その隙きを逃さずヨハンは壊れた盾の残骸のうち取っ手のついた小盾ほどの大きさのものを拾うとそれを構えて前に出る。


「ジーク!お前はアーデムと援護に回ってくれ!前は俺が抑える」


「わかった!」


 先ほど父さんが使ったのは魔術のようだった。普段でも種火を起こしたりするのに使っていたのを見たことはあるが、弓の周囲に風をまとわせて目標まで矢を運ぶような攻撃的な魔術を見るのは初めてだった。そこでやっと俺はただぼーっと突っ立っていたことに気がついた。あまりの出来事にあっけにとられていたらしい。よく見知った仲の人が必死に戦っているのに動きを止めていた自分に腹が立った。


 俺は咄嗟に矢筒から矢を引き抜いて魔物に向けて放つ。しかし、先程父さんが放った矢とは異なり、その毛皮に弾かれたかのように地に落ちる。


「効かない!?」


 俺は続けて矢を射掛けたがやはり効果はなかった。その様子を見ていた父さんは小さく舌打ちをすると再び矢に魔力を込め始めた。


「ヨハン!魔力障壁だ!お前たちは逃げろ!」


「父さん!」


「行け!」


 俺は父さんと一緒に戦いたかった、しかし、先程の様子ではろくに有効打を与えられそうになく、父さんのように矢に魔術をかけることも出来ない。俺は悔しさに唇を噛みながら、今できることを探した。クラウスが大柄なペーターを支えているのを見た俺はすぐにそれを手伝うことにした。カールはなんとか生きている様子で、息は荒いが、しっかりと意識はあるようだ。もう喋れる程度までは回復したらしい。


「ジーク……わるい……」


「気にしないで、司祭様にみてもらおう。」


「後ろは俺が見てる。急ぐぞ!」


 ペーターは父さんに香辛料の壺を渡してから後ろからついてくる。俺たちの気分は暗かった。勇んで出てきたものの、ほとんど何も出来なかった上に、息子であるカールを守ることすら出来なかったクラウスは、結局森を出るまで一言も話すことはなかった。







 森を抜けると農具を武器代わりに担いだダミアンが見張りをしていた。茂みの音に警戒していたようだが、俺たちの姿を見て驚いた表情をしている。俺たちはまさに這々の体で逃げてきたという言葉がふさわしい有様だったから、無理もない。


「ダミアン!司祭様を連れてきてくれ!カールが危ない!」


「わかった。待ってろ、すぐ呼んでくる。」


 俺たちは柵の内側までカールを運ぶとできるだけ慎重に横にさせた。荒かった息は治まってきているが、俺たちにはそれが回復に向かっているのか、それとも衰弱しているのか判断がつかない。それからしばらくもせず司祭様を連れたダミアンが戻ってきた。


「司祭様、息子を診てくれ。」


「全く、無茶をさせたな……。」


 司祭様は俺たちから吹き飛ばされた時の状況を聞きながらカールの傷を診ている。ぶつけたであろう場所を押しながらカールの様子を観察しているようだった。カールの体にはところどころに痣ができているようで、見ていて痛々しい。


「幸い、大事に至るような怪我ではないが、念の為【治癒ヒール】をかけておこう。」


「ありがとうございます!」


 司祭様はひとつ頷いてカールの胸元に手を当てると、二人が淡い光りに包まれ始める。


「光の精よ、傷つき倒れたこの者にに癒やしの奇跡を与え給え、【治癒ヒール】。」



 カールの表情が和らぎ、明らかに痣が消えたのが見て取れる。その分司祭様にも負担があったようで、その額には玉のような汗が浮かんでいる。


「すまない、水をもらえるかね。」


 俺は水筒を差し出すと司祭様はそれを受け取り、一口だけ飲んで返した。クラウスは安堵した表情で大きく息を吐くとへたり込むようにカールのそばに座り込んだ。


「一応街に伝令を向かわせた、それで、魔物の様子はどうだった?」


 声のした方を見ると、村長がこちらへ向かってきていた。非常に険しい表情をしており、倒れたカールを見て明らかにムッとした表情をしている。村の未来を担う若者が倒れたのだ、無理もないだろう。クラウスはカールを見たまま村長に答える。


「一匹仕留めたんですが、もう一匹いたようでした。アーデムとヨハンが足止めをしてくれています。」


「子供を連れ出したことについては今は何も言わん。今日は休め。」


 村長はそれだけ言うと足早に彼の家の方へと向かった。俺はペーターと一緒にカールを送り届けた後、それぞれの家へと向かった。


 家に帰った俺を、母さんは何も言わず優しく抱きしめてくれた。俺はこの世界に来て初めて、全力で泣いた。


 その日、日が暮れても父さんは帰ってこなかった。

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