1章:少年編

1話:生活と異変

 俺がこの世界に生まれ、ジークという名前をもらってから13年の月日が経っていた。今まで見てきた狭い世界は、これは今まで生きてきた世界とは根本的に異なっているようだった。父親のアーデム譲りの夕焼けににた赤橙色の髪と母親のエルザ譲りのエメラルド色の瞳もそうだが、この世界には魔力と魔術があり、それが文化基盤に組み込まれていた。魔術は精霊が授けてくれるものという認識が一般的のようで、精霊信仰が盛んだ、特に水や火という生活に密接に関係する精霊を祀る祭壇はどの家庭にも設置されていた。


 金属を加工した農具や機織り機で織った布、そして文字やあるところにはある紙など文化水準はそこそこあるが、かと言って教育水準はお世辞にも高くない。人口50人程度の村で文字が読めるのは15人程度、書ける人間ともなると村長とその子供、そして司祭様のわずか3人しかいない。なぜならこの村には学校のような教育制度がないからだ。一応司祭様から精霊信仰や種火を作ったり水を清めたりするような生活魔術の使い方は一通り教えられる。しかし当然義務教育なんて制度もないので、子供でもある程度成長すると大人の仕事の手伝いを始めなければならない。


 基本的には自分の生まれた家の家業を受け継ぐことになるので、父親、母親の手伝いをすることになる。俺の場合は父親の手伝いで狩猟を行っている。今は慣れてしまったものの、生き物の死というものは、特にそれを自分が他の生命にもたらすということは、はじめの頃はそれこそ吐き気を催すほどの嫌悪感があった。初めて獲物を仕留め、おまけに解体作業を手伝ったときはその日の夕食の自分で狩ったラビットのシチューを食べることが出来なかった。それと同時に地球で生活していた頃にスーパーで見たような精肉にはなんとも思わなかった自分に恐怖すら覚えた。


 しかし、食料の調達という明確に人の役に立つという仕事は、俺が前世から持っていた英雄願望を満たす事もできた。両親や周囲の大人から褒めてもらったり感謝されることは、俺にとってはとても心地よいものだったので重労働も苦ではなかった。俺は真っ直ぐだった正義感が歪んでいるような気がした。それは他の命を奪って齎される快楽だからだ。だがその考えこそが傲慢だということはすぐに分かった。今までが、命を他人に奪わせてその恩恵を得るという、それこそ見て見ぬ振りをしていたからに過ぎなかった。生き物というものは、他の生き物の命を取り込んで命を紡いでいく、そんな初歩的なことを思い知らされたようだった。



 この世界の朝は早い。ランタンは高価で簡単に手に入るようなものではなく、松明程度の明かりしかない。そんな火を持ったまま森の中で行動するのは非常に危険だし、なにかの手違いで森が焼けてしまっては元も子もない。そのため可能な限り日の出前に起きて日の出と共に森に入るのが理想的だった。


「森の精霊様、今日も生きる糧をお恵みくださりありがとうございます。」


 朝食の前には精霊に祈りを捧げる。食事の際には精霊が降りてくると言われている。そのため一人分の食事を余分に祭壇に捧げるのが通例となっていた。不思議なことに食事が終わると祭壇に置かれた食べ物もなくなってしまっているのだ。俺も最初は不気味に思ったが、魔術や精霊が存在するこの世界においては特に気にするようなことでもないらしく、俺以外の村人は子供含めて気にしている様子はなかった。姿は見えず、触れることもできない。しかしそれはそこにいるのだ。


 朝食のメニューは昨日の残りの豆のスープに干し肉を入れて温めたもので、インド料理のナンに似た薄く焼いたパンで掬って食べる。地球のように調味料が豊富ではないため複雑な味わいを持った料理はないが、食材自体の味がしっかりしていることに加え、森で取れる香辛料を使えば味のついた料理にすることもできた。それでも栄養を取る、腹をふくらませるという意味合いが強いもので、スープと比べるとパンは大きいものだった。


 俺は煮込んでもまだ固めの干し肉をよく噛んで飲み込むと父さんに今日の仕事の話を聞く。食事の際に今日やることを話し合うことは珍しいことではない。


「父さん、今日は何すればいいんだ?」


「そうだな。村長のところの農奴のダミアンが、畑が荒らされていると言っていたな。森からなにか出て来てないか確認しておこう。お前のおかげで肉は保存用の干し肉も十分にあるから無理に狩る必要はないからな。」


 そう言って父さんは俺の頭をグシャグシャにするように豪快に撫でる。3日ほど前に俺は初めて大物のウォートホッグを仕留めることが出来た。といっても父さんらが弱らせたものにとどめだけ刺したというものだがそれでも父さんはこれで一人前だと褒めてくれた。


「だが、食い物は多くて困ることはない。木の実やラビットなんかを狩りながら森を探るとしよう。」


「あぁ、そういえば味付けのハーブとか木の実が少なくなってきてるから採ってきてくれる?ペパの実があると嬉しいわね。」


「わかった。採ってくる。」


 手早く食事を済ませると父さんと一緒に道具の確認をする。俺は弓に弦を張ると張り具合を父さんに確認してもらう。まだ十分に体が成長していないので、しっかりとした張力で弦が張られているかは父さんが判断する。しっかりと弦が張れて父さんから褒めてもらうのは正直に言って嬉しいことだった。弓と矢筒、短刀とロープ。軟膏や薬草、麦の粉と木の実を混ぜて固く焼いたクッキーのような保存食を入れた小さな鞄を担いで村長の畑へと赴く。


 村長の畑では農奴のダミアンが壊れた柵の修理をしていた。木の杭を格子状にした簡単な柵だがちょうどつなぎ目のところを狙われたのか大きく歪んでいるようで、柵を留めるロープが緩んだりちぎれたりしていた。


「おはようダミアン。どんな様子だ?」


「おはようございます、アーデムさん。まぁ見てのとおりですよ。芋がやられましたね。」


 父さんがダミアンと話している間、俺は掘り返された芋のクズや足跡を観察していた。食べ残しの歯の跡や食べ物の好みからなんの生き物かを判断するのは俺の仕事だ。というか、父さんは俺に経験を積ませたいらしくこういった雑事のようなことは俺に任せてくれる。この場合は柵を破るほどの力もふまえれば猪ににたウォートホッグで間違いはないだろう。


「父さん、やっぱりウォートホッグだと思う。」


「やっぱりかぁ、もう春だしなぁ。柵も補強しておかねぇと。アーデムさん、後はお願いします。ジークもありがとな。後でお礼になにか野菜を持っていきます。」


 そう言うとダミアンはため息を付きながら柵の修理に戻った。


「よし、それじゃあ仕事だ。二手に分かれて見て回ろう。俺は北側見てくるからお前は南側を見てこい。」


「うん、わかった。」


 今日の仕事は畑の作物を荒らしているらしいウォートホッグの調査ということになった。春の繁殖期になると森の中で数が増えすぎて、一部が村の近くまで出てくることは珍しいことではないし、実際年に数回程度はある。3日前のウォートホッグもそのたぐいだった。そのため春は深く森に踏み込まなくても十分な肉を手に入れることができた。俺は時折木に登りながら獣道の足跡や枝が折れたり潰れたりしている藪がないか見回る。


「ウォートホッグの足跡か?でもさっきのより大きい……。父さん!ちょっと!」


「どうした?」


 そんな中俺は新しく出来たとも思える大きな生き物が通ったような痕跡を見つけた。足跡の形はウォートホッグのものだが、その大きさは尋常ではなかった。少なくとも俺の扱える大きさの弓ではいい鏃を使ったとしてもこの大きさのウォートホッグに有効打を与えることは難しい。俺は自分の中に生まれた小さな無力感を抑えて父さんを呼んだ。父さんは俺が指し示した痕跡を認めると険しい顔をした。


「こりゃあ……まずいな。魔物化してやがる。俺は森の奥の様子を見てくるから、お前は村長に報告してこい!」

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