すぐそこにあるスマートフォン問題

 西暦2020年スーマートフォンの所有率は80%を突破。本格的な5G(第5世代移動通信システム)の到来とAIの加速的な進化が進む。西暦2025年、遂に所有率が100%に到達した。お年寄りはもちろん、子供が生まれたらスーマートフォンを買い与えるのが記念行事として当たり前になった。


 その年、総務省は当時まだ普及率が20%にも満たないマイナンバーカードに見切りをつけた。多大な税金を投入したにも拘わらず、またしても大失策。がしかし、所有率100%をひきさげた救世主、スマートフォンが現れて個人情報統合シム法が成立した。


 地方自治体の住民情報、税務署の個人情報はもとより、免許証、預金通帳、企業のセキュリティーカード、学生証、定期券、クレジットカード、デビットカード、電子マネーなどあらゆる個人情報がスマートフォンのシムナンバーと関連付けられた。家のカギや自動車のカギはもちろん、公共施設やシェアリングにも用いられた。


 西暦2026年に開発されたコンタクトレンズ型スマートフォンの普及で、財布業者もカバン業者も瀕死(ひんし)の状態。衣服からポケットが消えるのも時間の問題と叫ばれている。役所や銀行の受付窓口もスーパーのレジ係も過去のものとなっていた。


 目を開ければ、常にコンピューターグラフィックで作り出された『3Dアドバイザー』が傍(かたわ)らにいる。コンタクトレンズ型スマートフォンを装着した自分にしか見えない『3Dアドバイザー』はAIと高速ネット通信を使って、あらゆる手続きも決済も瞬時におこなってくれた。


『3Dアドバイザー』は買い物のサポートから道案内、料理やファッションの指南、何からなにまで予測機能を使って先回りで提案してくれる。生まれたときからスマートフォンに慣れ親しんだ若者たちは『スマホネイティブ』と呼ばれ、身体機能の一部であるかのように自然に使いこなした。


『ながらスマホ』が問題視されていた時代は遠い過去のものとなった。もはや二十四時間起動しているのが当たり前となった。


 西暦2050年、四半世紀を経過した現在。スマートフォンが、AI管理法のもとに個人の居場所、趣味、財産などあらゆる情報を掌握するに至った。



「お客さん。飲みすぎですよ。そろそろ切り上げていただかないと、酒を売った私が捕まっちゃいますよ」


 お店のマスターだけにしか見えない、彼専用『3Dアドバイザー』が彼の視界の中で警告を促している。


「うるせってんだ。こいつのおかげて浮気もギャンブルもできなくなった。その上、酒まで取り上げられたら人生の楽しみなんて何にも無くなっちまう」


 客の男は自分の目の前に見える幽霊のような『3Dアドバイザー』を指さしながら不満を漏らした。


「浮気もギャンブルもスマートフォンですれば、いいじゃないですか。バーチャルだから他人を傷つけることもないし、自分の財産を失うこともない。『3Dアドバイザー』に尋ねれはいくらだって匿名のお仲間を紹介してくれるでしょ」


「そこが気に入らない。自分の『3Dアドバイザー』を生涯の伴侶として結婚する若者が後を絶たないこのご時世に、紹介された女の子やポーカーの相手がAIが作り出した仮想人格じゃないって証明できるかい」


「どっちでもいいじゃないですか。証明できないくらいリアルなら、それはもう現実ですよ」


「なにからなにまでAIがこっちの都合のいいように作り上げる。確かに幸せかもしれないがそれでいいのか?俺は今、あんたが目の前に本当に存在しているのかさえ自信が無い。もしかしたら、目に入れたスマートフォンが作り出しているんじゃないかって疑いたくもなる」


「それならそれでいいじゃないですか。私はあなたが現実じゃなくても、お店の口座があなたの飲んだ酒の分、潤っているので満足ですよ。AIは酒なんて飲みませんから」


「なるほど。俺の口座は逆に減っている。なら、俺はあんたの店でちゃんと酒を飲んで、あんたに愚痴をこぼしていると言うことだな」


「まあ、そういうことになります」


「貧困も犯罪も事故もない世界。俺達は、いつからAIと言う神様のもとでしか生きられない人間になったんだ!」


 男は店のカウンターを力任せに叩いた。固い木製のカウンターがそこだけスポンジのように柔らかくなって客の男の拳を受け止める。カウンターにのったグラスの酒はピクリとも揺れない。


「予測変形素材か。怪我をすることも自殺することもできない。あんた、指に結婚指輪をしているな」


「ええ、スマートフォンの『3Dアドバイザー』が紹介してくれた人です。何十万人もの女性から選ばれた人です。私はとても満足していますし、もう彼女無しでは生きられません。それくらい彼女を愛しています」


「そうか。あんたはスマートフォンを外して彼女の姿を見たことがあるか?」


「ありませんよ。スマートフォンを外すなんて考えられません」


「俺は見たんだよ。自分の十年付き添った妻の姿を。自分のこの目で・・・。飲まずにいられるか」


 客の男は手を震わせながら、グラスに残った酒を一気に煽(あお)った。


「悪いがもう一杯くれないか。刑務所行きでもかまわない。俺は二度と家には帰りたくないんだ」






おしまい。

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