第6話

 タマコは集まっていた仲間たちをひとまず解散させたあと、リリコと陽乃子を引き連れて伍番街の中心部へ戻った。

 カルメン通りは、駅前の煉瓦広場から伍番街の中心を縦断するメインの大通りである。週末の盛夜ということもあって、片側四車線の車道は通行車両と駐停車車両でごった返し、広い歩道も行きかう人で一杯だ。

 この人混みの中のどこに向かえばいいのかわからず、タマコが信孝に連絡を取ろうと携帯端末を取り出した時、後ろからタマコの服がクイッと引かれた。立っていたのは、大きなサングラスと白いマスクで顔を隠した信孝である。半袖の襟シャツにジーンズ、背にはカジュアルなリュックバッグという爽やかな出で立ちに反して、隠されている顔部分がことさらシュールだ。

「――ノブちゃん! こんな所に呼び出して――、」

「ついて来て」

 マスクの中でそう言った信孝は、くるりと背を向けさっさと歩いていく。三人は困惑に顔を見合わせ、慌ててそのあとを追った。

 駅前の煉瓦広場近くまで来て、信孝の足が止まった。広場の入り口を縁取る植え込みの陰に三人を誘導し、ポケットから出した例の懐中時計を確認して待つこと数分、信孝は「来たよ」と小さく指をさす。

「あの女、見てて」

 煉瓦広場をこちらに向かって歩いてくる若い女性――念入りに化粧を施し大人びた格好をしているが、陽乃子の目には、まだあどけなさの残る高校生くらいの少女とわかる。

「――あ! アレ、森居莉那じゃない!」

「しっ……気づかれるよ」

 素っ頓狂に叫んだリリコを制して、信孝はサングラス越しに森居莉那を注視した。ワケがわからないまま、陽乃子たちも信孝に倣って植え込みの陰から少女を見守る。

 少女に連れはいないようだ。迷いなく足早に歩く様子から、目的の場所があるのだろう。

「リリちゃんが呼び出したのかい?」とタマコが小さく訊けば、リリコは「まさか」といった顔で首を横に振る。彼女がカルメン通りに出たところで、信孝は人混みに紛れながら彼女の後方をつけ始めた。三人もあとに続く。

 しばらく歩き進んでいた森居莉那は、ふと肩から下げたバッグを開けた。中をゴソゴソと探っていた彼女はその場に立ち止まり、にわかに焦った様子でさらにバッグの中をかき回し出す。

「さっそく携帯がないことに気づいちゃった。……まぁいいけど」

 大きな立て看板の陰に隠れて、信孝は少女から目を離さずに言う。

「あの女、さっき駅の構内で、人とぶつかってるんだ。それで、携帯を失くしてる」

「たまたま……?」

 妙なアクセントがついている。首を傾げた三人に信孝はクイと顎をしゃくった。

「はい、次。ちゃんと見てて」

「次……?」

 困惑しつつ再び前方に目を向けると、バッグの中を探っていた少女はハッとしたように踵を返し、もと来た道を戻り始める。

 ――と、数歩も行かぬうちに、誰かが彼女に真正面からぶつかった。

 背の高い男性だ。体格の差のせいか、ぶつかった少女は小さく悲鳴を上げてものの見事に地べたへ転がる。

 慌てた様子で少女を助け起こす男性。こちらに背を向けて申し訳なさそうに詫びているその男性が身体の向きを変えた時、三人は目を見開いた。彫の深い端正な顔立ちにフチなしの眼鏡、榛色の髪――

「――リ、リョウ?」

 リリコが叫声を両手で抑えた。タマコはO字型に丸めた口からもはや言葉も出ないようだ。

、ぶつかったんだね」

 驚愕する二人に反して淡々と述べる信孝は、ジーンズのポケットから出した携帯端末を耳に当てて「セカンドステージ、接触したよ」とだけ言って、端末をポケットにしまう。

「ほら見て、災難だね」

 何とか立ち上がった少女に、男性が身を屈めて謝っている。

 どうやら男性が手に持っていた紙カップのドリンクの中身――黒褐色の液体が、ぶつかった拍子にこぼれて少女の服を汚してしまったらしい。

 少女の胸元から腹部にかけてできた大きな染み。着ていた服が淡い色だったため、その染みはとても目立つ。少女は今にも泣き出しそうな顔だ。

 そこで、男性が少女の手を引いて歩き出した。真摯な様子で語りかける男性を見上げて、少女がコクコクと頷いている。

「服を弁償してくれるって。失くした携帯もあとで一緒に捜してくれるみたい。よかったね、イイ人で」

 遠目に映る二人の会話を、まるで間近に見聞きしているかのような信孝の実況解説。男性と少女――亮と森居莉那を追って歩き出した信孝に、陽乃子たちは唖然としたままついて行った。

 しばらく歩いて到着したのは、賑やかな雰囲気のペトロナ通り。このペトロナ通りの先は若者たち御用達の参番街である。伍番街と参番街の境にあたるこの通りは、洒落た飲食店や雑貨ショップ、服飾店が多く立ち並んでおり、行きかう人々も若い年代が多い。

 そんな中、少女と男性が入っていった一軒のアパレルショップを見上げて、真っ先にリリコが驚きの声を上げた。

「うそ、『プレシモン・アボレ』じゃない」

 リリコによるとこの店は、若い女性中心にとても人気のあるセレクトショップなのだという。時間的に閉店間際なのか、入り口付近に置いてあった販促パネルを女性店員が片付けている。

 店舗の角柱に身を寄せて、ガラス張りの外壁から店内を覗いていた信孝がリリコを振り返った。

「この店の店長って、あんたと知り合いなんでしょ?」

「え、ええ、そうだけど……」

「ノリのいい人でよかったよ」

「え?」

 ポカンと目を丸くするリリコに構わず、再び店内の様子を黙って観察していた信孝は、しばらくしてから「入った。行くよ」と足を踏み出した。

 四人が真正面の入り口から店の中へ入ろうとすれば、案の定、片付けをしていた女性店員から「まもなく閉店なのですが……」と止められそうになった。しかしそこへ、もう一人の女性が「いーのいーの」と走り寄ってくる。歳はリリコよりいくつか上だろうか、細身の体躯ながら大胆な露出を見せる服装。陽乃子の目にはかなり前衛的なスタイルである。

「ユーリさん! あの……」

「待ってたわよ。ささ、こっちに来て」

 声を潜めて手招きする彼女は、事の次第がすべてわかっているようだ。四人を素早く誘導して、店の一角にある《 STAFF ONLY 》のドアの中に案内してくれる。そこはたくさんの衣服や段ボールが置かれた小さな倉庫のようだ。

 ユーリと呼ばれた女性はこの店の店長を任されているらしい。彼女はリリコの両肩にガッシと手を置いて、その瞳をキラキラと輝かせた。

「事情は聴いたわ。リリィったら水臭いじゃない。相談してよ」

「えっと……ごめん……?」

 いまいち事情の呑み込めていないリリコは首を傾げるばかり。

「今、試着中よ。あ、来たわ」

 半分だけ開けたドアから店内を覗き込んだ女店長は、小さな声で「こっちこっち」と誰かに向かって手招きして、その誰かをバックヤードに迎え入れた。

「リ、リョウちゃん……っ?」

 声をひっくり返らせたタマコにニッコリと笑いかけた亮は、リリコに「貸し、一つだからね」と言って片眼を瞑る。

「これっぽっちも罪悪感が湧かないなんてね。自分が怖いよ」

 と苦笑する彼の手には、衣類が入った紙袋と女性もののブランドバッグ。今しがたまで、森居莉那が着ていた服と持っていたバッグだ。

 タマコが丸めた口をパクパクさせた。

「ナニがどうなってるんだい……?」

「まぁ、見ていればわかるよ。……ほら、出てきた」

 亮は陽乃子の頭を軽く撫でつつ背後に回った。数センチほど開けたドアの陰に隠れて陽乃子とリリコが小さく屈み、亮とタマコがその頭上から外を覗く。ユーリ店長と信孝は音だけ拾えればいいらしい。

「……あ、あのぉ」

 試着室から出てきたらしい森居莉那は、柔らかそうな生地とすっきりしたシルエットのワンピースを着ている。気づいた女性店員が少々大げさな抑揚をつけて褒めたたえた。

「あらー、よくお似合いですよ」

「あの、ここにいた男の人は……」

 キョロキョロと見回す少女。しかし、閉店時刻が過ぎた店内には数名の店員の他、誰もいない。女性店員が「え? 男の人……?」と首を傾げれば、少女は「うそっ、あたしの服とバッグ……!」と叫んで正面入り口に向かって駆けだした。

「お客様……? お待ちください、お客様!」

「あたしのバッグ! 盗られたんです! あの男を追いかけて!」

 掴まれた腕を振りほどこうともがく少女の叫び声。陽乃子たちの後ろで聞き耳を立てていたユーリ店長がニヤリと口端を上げた。

「よっしゃ、あたしの出番」

 ドアから滑り出て、女店長はカツカツと踵を鳴らしながら騒ぎのもとへ歩いていく。

「どうしたの。ナニゴト?」

「――店長! この子が試着したまま、代金を支払わず店を出ようとして」 

「ち、違います……! そんなつもりじゃ――、」

 二人の女性店員に取り押さえられている森居莉那の前に、ユーリ店長が立った。腕を組んでじっと少女を見つめた女店長は、二人の従業員に軽く頷く。

「ちょっと、こちらに来てもらえるかしら」

 必死の形相で無実を主張する少女は、陽乃子たちがいる場所とは斜向かいにあるドアの方へ引きずられていく。しんがりを務めるユーリ店長が親指を立てた拳を背後に向かって小さく突き出して、揉める一行はドアの中に消えた。


「セカンドステージ、クリア。あとは任せたよ」

 信孝が携帯端末でどこかへ連絡をした。

「万引きはよくないよね」と、端末をポケットに入れながら信孝が言えば、亮が身を起こす陽乃子に手を貸しながら「お金を払ってから店を出なきゃね」と、にっこりうそぶく。

「あんたたち……」

 目の前で繰り広げられる不可解な見世物の目的がようやくわかりかけてきたリリコとタマコだが、信孝も亮も素知らぬ顔でバックヤードから出て行く。

「次はサードステージだよ」

 先頭切って店を出た信孝と亮に、リリコが「ちょっと待って」と引き止める。

「あの子、どうするの」

 信孝は首だけ振り返った。

「万引きや窃盗を見つけたら、普通は警察を呼ぶよね。でも、今回はから」

「警察の方がマシかもしれないねぇ」

 呑気な口調の亮。その手にはしっかり、森居莉那のバッグと汚れた服が入った紙袋がある。

 腑に落ちない顔で口を開きかけたリリコだが、結局何も言わぬまま、信孝と亮のあとに続いた。


 亮を加えて五人となった一行は、特に急ぐことなく伍番街の中心部を大きく迂回した。歩く道すがら、亮がリリコに「少し痩せたんじゃない? ちゃんと食事は摂ってる?」と気さくに話しかけている。複雑な表情で考え込むリリコを気遣っているのかもしれない。

 ずいぶんと歩いて、五人はダニエラ通りという小路に出た。伍番街の中心部から東寄りに位置するその界隈は背の高い雑居ビルが密集する仄暗い区域で、頭上を見上げると周囲の建物が覆い被さってくるような圧迫感を覚える。

 時おり携帯端末画面を確認しながら歩き進む信孝を先頭に、一行は雑居ビルに挟まれた細い路地に入り、古い建物の前で停まった。

 それは、およそ使われている様子のない商業ビルで、亀裂の入ったコンクリートの外壁は端々が欠けており、塗料の剥げたシャッターが完全に閉まっている。だがその脇に、地下へと降りる幅の狭い階段があった。一人ずつ順番に降りきると、右手に何の飾り気もない扉。横壁には、白けた光を放つ『MiHi VinDiCTa』という文字の電光表札がある。店の名前だろうか。

 信孝は躊躇なく扉を開けた。皆がぞろぞろとあとに続いて店の中に入った途端、視界が真っ赤になって陽乃子は何度か瞬いた。

 店内の照明が赤い。赤暗く照らされたそこは思ったより広い空間で、奥にはたくさんの酒壜やグラスが並んでいるカウンターがあり、壁際にはいくつかのソファが設置してある。

 一見飲食店のように見えるが、それにしては誰もおらず、いろいろと奇妙だ。中央に円形の小上りがあり、その真ん中に真鍮の太い棒が床から天井まで伸びている。

 ポカンと見上げる陽乃子の肩を抱くようにして、タマコが「こっちだ」と促した。皆はすでに、部屋の隅にあるドアの向こうだ。

 タマコに押されてドアを抜けた先は左に伸びる細長い廊下になっており、壁に沿って三つのドアが並んでいる。そのうちの一番奥のドアを開けて、信孝は「この部屋だよ」と中に入った。

 今度の照明はラベンダー色だ。肌の色が妙に白けて見える。

 部屋の奥に大きなベッドと薄型の液晶テレビが設置されており、ホテルの個室部屋のようにも見えるが、よく見るとやはり奇妙だ。部屋の中ほどには不思議な形をした椅子状の器械が置いてあって、天井からは工具のような武器のようなものがいくつもぶら下がっている。さらに、ベッドの奥の壁全体が大きな鏡になっており、右壁と左壁にある窓には――ここは地下のはずなのだが――なんと鉄格子が嵌められていた。

「ここって……」

 リリコが目を丸くして驚いている一方、亮は「へぇ、こんな感じなんだ」と興味津々である。

「ちょっと、大丈夫なのかい? 未成年がいるんだよ?」

 なぜかタマコはあわあわと焦った様子で陽乃子の視界を遮ろうとしており、信孝は「あれ?」とキョロキョロしている。その時、入ってきた部屋のドアが静かに開いた。

「――お待ちしておりました。一日千秋の思いで」

「カモさん!」

 ひょっこりと顔を出したのは鴨志田である。「こっちですよ」と部屋の外を指差す鴨志田に、信孝が「あ、そっか」と言って部屋を出る。

「どうせならいろいろ体験してみればよかったのに」

「亮くん……本気で言ってますか?」

 恨めしそうに亮を見て鴨志田は、部屋の中で立ち尽くすリリコとタマコ、陽乃子を手招きした。

「こちらへどうぞ」

 鴨志田は細い廊下をさらに進んで突き当りを右に折れた。暗く狭い廊下はまた突き当たって右に。すると長い廊下の右側に粗末な造りのドアがまた三つ並んでいる。鴨志田は最初のドアを開けた。

 先ほどの部屋とは違って、そこは六人が入ると息苦しさを感じるほど狭い小部屋であった。薄明るいごく普通の蛍光灯に照らされた室内に置かれているのは古い長椅子のみ。部屋の真正面には窓があるのだろうか、上から腰の高さくらいまでが厚いカーテンで覆われている。

「こんなところで何が……」

「もうすぐだよ。向こうは車だから」

 と言った信孝は、そこでようやくサングラスとマスクを外した。破れて中のクッション材がはみ出ている長椅子に座って、背負っていたリュックバッグから薄型のノートパソコンを出す。ものすごい速さでキーボードを操作し始めるその横に、亮もくつろいだ様子で腰かけた。

 一方鴨志田は、真っ黒いカーテンをおもむろに開ける。隠されていたのは窓ではなくのっぺりとしたガラス面。驚くことに、ガラス面を通して先ほど入った奇妙な部屋が一望できた。

「あ」

「こちらはマジックミラーになっております。向こうからは見えません」

「音声はこっち。――来たよ」

 信孝が開いたノートパソコンを膝の上で皆に向けた。鴨志田がドア脇のスイッチを押して小部屋の照明を消す。数秒後、聞きなれた野太い声がパソコンから聞こえた。

『――入んな』

 と同時に、隣の部屋に誰かが入って来て――

「ユキちゃん……!」

「マサキまで……」

 リリコ、タマコ、陽乃子の三人は、ガラスの奥に見えた光景に目を見張った。

 最初に入ってきたのは、相変わらず黒づくしの服を着た幸夜である。その手で荒々しく引いてきたのは、先ほど試着した服を着たままの森居莉那。少女の両手は後ろで拘束されているように見える。

 そのあとからのっそりと入ってきたのは柾紀だ。滅多に見ることのない、濃グレーのシャツと黒のスーツというかっちりとした格好をしている。柾紀のスーツ姿は前にも見たが、どうあっても普通のサラリーマンには見えない。のんびりと顎をさする褐色の指には太くて大きな指輪が二個も嵌まっており、耳には金色のイヤーカフが光っている。

 幸夜が、少女を大きなベッドに放り投げて小さな悲鳴が上がった。ベッドは陽乃子たちの目の前だ。思わず息を呑めば、柾紀が目を上げてニヤリと口端を上げる。まるでこちらの様子が見えているようだ。

 しかし少女はまるで気づいておらず、ただ身を縮めて震えている。一方の幸夜はポケットに両手を突っ込んで、液晶テレビが設置されたキャビネットに寄り掛かかり、こちらにはまったく見向きもしない。

 柾紀はスーツのポケットから、小さな手帳のようなものを取り出して開いた。

『――名前は……森居莉那。白須香高校二年二組……へぇ、けっこうなお嬢さん学校に通ってんじゃねぇか』

『あ、あたしの学生証……』

 声はわりとクリアに聞こてくる。ただし背後から。不思議な感じだ。

『――さぁて、話をつけようじゃねぇか、お嬢さん』

 手帳をポケットにしまった柾紀はベッドの端に腰かけて、縮こまる少女を値踏みするように眺めた。少女の赤く腫らした目元に涙が溢れ出す。

『だ、だから……何度も言ってます……一緒に来た男の人が……あたしの服とバッグを持って、どこかに行ってしまって……』

『男、ねぇ……そいつと共謀して服を盗むつもりだったのか』

『違う……共謀なんか』

『着ていた服を持って行ってもらって、お前さんは試着した服で堂々と店から出ていくつもりだったのか? んなもん、バレるに決まってるだろうが』

 少女は引きれたように首を振った。

『そ、そんなことしない……今日、初めて会ったんです……ぶつかって、服を、汚されて……あの人がお詫びに、弁償してくれるって、言うから』

『おいおい、そんな話を信じろって? 言い訳にしちゃぁ、お粗末すぎるだろ』

『ホント、なんです……嘘、じゃない……』

 喉元をヒクヒクと痙攣させる少女は、もはや言葉もうまく出てこない。

 こちら側で長椅子にくつろぐ亮が、感心したような面持ちで腕を組んだ。

「すごいね、柾紀くん。 “ホンモノ” の人みたい」

「練習してましたよ。それっぽく見えるように」

「信孝くん。そこはオフレコで」

 鴨志田たちはどこまでもお気楽な様子、テレビ番組でも見ているかのようである。

『最近多いんだよなぁ、その手の盗人ぬすっとが。手口はアレコレだけどよ、主流は試着室に何着か持ち込んで、店員の目が離れた隙に連れのヤツへこっそり手渡すってパターンだ。一回に持ってかれる品は少ないが、頻度が多けりゃ被害額は相当なもんになるんでね。あそこの店長も困りに困って、俺に相談してきたってわけよ』

『あたし、何着も持ち込んでません……この服しか……』

『ま、やり方もマズけりゃ、薄情な相棒と組んだのもマズかったな。お前さんだけが捕まっちまったのは気の毒だが、こっちも仕事なもんでね。盗られた分はきっちり回収せにゃならんのさ。――おい』

 柾紀が幸夜に合図した。それまで我関せずといった顔でキャビネットに寄り掛かっていた幸夜はだるそうに身を起こし、ポケットから薄いディスクケースを取り出した。

 幸夜の手から液晶テレビの側面に吸い込まれていくディスク。幸夜がリモコンを操作する。――と、大きなテレビ画面の全面が肉色に変わり、なにやら女性の悲鳴らしき声が――

「――あわわっ! ヒ、ヒノちゃんはダメッ!」

 隣にいたタマコがものすごい勢いで陽乃子を引き寄せて目を塞いだ。が、音声は聞こえる。女の人が叫んでいる。何度も何度もひっきりなしに。

『な、なに……これ……あたし……?』

『なかなかうまくできてんだろ? 最近じゃこの手の動画は簡単に作れるんだぜ』

 金切り声と重なって変な音もする。決して耳に心地いいものではない。良くないものなのだということは陽乃子にも察せられた。

「すみません、陽乃子さん……しばらく辛抱なさってください」

 申し訳なさそうな鴨志田の声が聞こえた。タマコの大きな身体に頭を押し付けられたまま、陽乃子はコクンと頷く。

「あれ、信くんが作ったんでしょ? 顔だけ合成? よくできてるね」

「作らされたんですよ。胸クソ悪い」

 信孝がブツブツと文句を言っている。

『やだ……っ! こんなの……消してっ!』

 森居莉那が泣き叫ぶ。――そこで、女性の金切り声や不快な音が消えた。タマコの身体から解放された陽乃子がガラス面を見ると、幸夜がディスクを柾紀に手渡していた。

『俺の “回収方法” を教えてやろう。まずはこの短い動画をいくつかのAVサイトに上げる。これはいわゆるサンプル動画ってやつだ。ホンモノの女子高生は人気商品だからなぁ、アクセス数は期待できるぜ? それで、これを見て気に入ったやつが “本編” を購入する』

『いや、やめて……』

『その “本編” は今から作る。合成じゃなく現物で、だ』

 淡々とした口調で言った柾紀は、ゆっくりとベッドから立ち上がった。代わりに幸夜がベッドの傍らに立ち、少女を見下ろす。恐ろしく無表情で。

『無理矢理の強姦モノも悪くはねぇが、やく漬けモノもブームらしくてな。勝手に腰振って跳ね飛んでくれるのがイイんだろうぜ。お前さんとしても、なぁんにも考えずから楽チンだろうさ』

 そこで、幸夜がポケットから何かを取り出した。携帯端末くらいの大きさをした金属のケース。それを開けて中から取り出したのは注射器だ。手にした注射器の、細い針の先から無色透明の液体が零れる。

「ちょ、ちょっと……」

 思わずタマコが声を上げ、リリコは強張った顔で長椅子に振り返る。

「リョウ……あれ、ナンなの」

『なぁに、ちょっとした興奮剤だ。命に係わるもんじゃねぇ。多少の依存性はあるけどな』

 リリコの声が聞こえたかのように、パソコンから柾紀の声が答えた。

『――い、いやっ! やめてぇっ!』

 森居莉那の悲鳴。今や幸夜は、暴れる少女の身体を抑えつけて馬乗りになり、光る針の先端を少女の腕に近づけていく。

「柾紀くんの言った通り、命に係わるものじゃないよ」

 穏やかな声で亮が言った。端正な顔にほんのりと浮かぶ微笑。その笑みが空恐ろしく感じるのは気のせいだろうか。

 ――と、リリコが小部屋を飛び出した。

「――リリちゃん!」

 すぐに隣の部屋へリリコが飛び込んでくる。しかし、柾紀も幸夜もまったく驚いた様子はない。

『――よぉ。トドメはお前が刺すか』

『……もういい。その子を放してあげて』

 二人を睨みつけるリリコ。

『いいのか? こいつもだぜ?』

『だからって、同じことはしたくない』

 柾紀の太い片眉がひょいと上がった。

『……だとよ。幸夜』

 幸夜はゆっくりと少女から離れた。何事もなかったかのように注射器を金属のケースにしまう。

 リリコは強張った顔のまま、ベッドの上でしゃくり上げる少女を見つめた。彼女が着ている新しい服も、綺麗に巻かれていた髪もぐちゃぐちゃだ。

 さっと、リリコが柾紀に向かって手の平を突き出した。柾紀は心得たように、リリコの手の上へ小さな金属のようなものを落とす。リリコは少女に近づき、彼女の後ろで拘束されていた両手を解放した。

『……自分がされてヤなことは他人ひとにもしちゃいけない。幼稚園で学ぶことよ』

 少女の赤くなった手首をさすってあげながら、リリコは言う。

『大人になっても、それは最低限のルールなの』


 森居莉那は大声を上げて泣き出した。すでに化粧は崩れ、大人びた雰囲気は微塵もない。

 どこからともなく安堵したような溜息が漏れて、陽乃子は知らずうちベッタリと張り付けていた両手をようやくガラス面から剥がす。

 ふと、先ほどと同じようにキャビネットへ寄り掛かった幸夜に目が留まった。それまでピクリとも動かなかった幸夜の表情筋が初めて動く。ほんの少しだけ上がった口端。

 陽乃子の後ろで亮が笑った。

「幸夜ったら、満足そうな顔しちゃって」

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