第6話

 エッジは朝市で紅茶とミルクを買い、再びアパートへ戻って来た。

もうすぐ九時。思ったより時間がかかったようだ。

(…まぁ、暫く仕事は入ってないし、ゆっくり出来るな)

 そう思いながら階段を上る。

ふと、エッジの脳裏にクリスの顔が浮かんだ。血印書とかいうモノを渡された時の、あの表情―。

(あの娘はいったい…)

 エッジは軽く首を降った。

(ま、もう会う事も無いだろうし、俺がゴチャゴチャ考える事じゃないし。後はエルーネ

が上手くやるだろ)

 確かに魔女同士の話など、関わったらロクな事にならない。仮に救けを求められたって、人間の自分にあの少女を救う力なんて無い。

 そうこう考えてるいちに玄関のドアはもうすぐ目の前だ。

 ふと、今度はクリスの笑顔が頭に浮かぶ。自分の入れた紅茶を美味しそうに飲んでいた、あの天使のような笑顔だ。

(もし、今度会う事があったら、また紅茶くらいは入れてやろうかな…)

 そう頭の中で呟きながら、玄関のカギを開けた。


「! ―帰って来た!」

 突然、誰も居ないハズの自分の部屋から、居るハズの無い人の声がする。

 さらに―。

「遅かったな。何処ほっつき歩いてたんだ?」

 魔女が一人増えてる。‥タチの悪いのが。エッジは力が抜けたようにうなだれた。

(前言撤回だ‥絶対茶なんか出さん!)彼は頭の中で呟いた。

「何をしている?」

 顔は穏やかだが、声が完全に怒っている。だが、そんなエッジの態度にもエルーネが悪びれる様子はない。

「大事な話があってな」

 逆に笑顔さえ見せている。いつもこんな調子なのだろう。

「おまえら、不法侵入って知ってるか?」

「あぁ、いつもお前がやってるヤツな」

「―オイオイ、お前に言われたくないぞ」

「じゃ、お互い様って事で」

 まるで掛け合い漫才のような会話に、聞いてるクリスも思わず笑みがこぼれる。そんなクリスを横目に見てエッジが折れる。

「あ―、とにかくだ。俺は寝る! 今度こそ寝るからな!」やたらと力説する。「邪魔したら殺す! それから、話が終わったらサッサと帰るように。いいな?」そうエルーネに念を押す。

「オーケー。恩にきるよ」

 エルーネの言葉を背中に受けてエッジはベッドに向かった。ドアを閉めかけて振り向く。

「絶対、起こすなよ!」


「…かなり怒ってる?」

 クリスが肩をすくませる。

「三日寝てないからな。さすがに限界かな?」

 いたずらっぽく笑いながらエルーネが言う。

(まさか―)クリスが何かを感付くとエルーネはさらに付け加える。

「―正解。チョット仕事の手伝いをしてもらったの」

 エルーネの仕事は探偵である。その為、なじみの情報屋は欠かせない存在なのだ。

 つまり、エッジの裏の仕事はエルーネの仕事と繋がっているのだ。エルーネにとっては表の仕事なのだけれど…。

「パートナーなの?」

 そう問いかけるクリスにエルーネは否定する。

「あいつは私の友達‥人間じゃ唯一の親友なんだ」エルーネはベッドルームの方をチラリ

と見る。「だからムリも聞いてくれるって感じかな?」

 そう言って立ち上がった。

「そろそろ行くわ。どっちの手紙を渡すか。まだ時間はあるからゆっくり考えて」

 その言葉にクリスは不安な表情を浮かべる。「彼は‥引き受けてくれる?」

「それはあなた次第。私の親友だからな、信用出来る事は保障するよ。ただ、チョット頼りないかも知れないけどね」そう言って笑うと優しくクリスに語る。「自分の運命は自分で決めなさい。例えそれが決められているとしても、それは決してあなたを不幸にする道ではないわ。あなたが自分で不幸を望まない限りね」

 クリスは黙ってエルーネを見つめる。

「自分を幸福にしてあげなさい。それは自分にしか出来ない事よ。周りにいる人はその手助けをするだけ。私を含めてね」

 そして顔を近づけ、囁く。

「エッジもクリスの幸せの為なら喜んで協力するよ。あいつはそういうヤツだから」

「そういうヤツって?」

 不思議そうな顔をしたクリスに、エルーネは優しい笑顔で答えた。

「―そのうちに分かるわ」



 どれ位時間が経っただろう。

 エッジは未だベッドの上で、死んだように動かない。


(ボン―!)


 突然の爆音と共に部屋が振動する。

 エッジは反射的に跳び起きると部屋を飛び出した!

 リビングの奥、キッチンにうっすらと黒い煙が充満している。まるで朝の光景をそのまま再現したみたいだ。しかも…犯人まで同じときてる。

「何を‥している?」

 オーブンの前で立ちすくむ少女に問いかけた。

「‥夕飯を作ろうとしたんだけど―ちょっと焼き加減を間違えたみたい…」

 エルーネが(魔法で)直したハズのオーブンは再び黒い煙を吐き出している。

(かんべんしてくれ…)

 エッジの首がガクッとうなだれた。


 時刻は午後の4時を回っていた。

 部屋に差し込む日の光が夕方を知らせている。

「エルーネはどうした?」

 窓を開けながらエッジが訪ねる。

「あの後すぐ帰ったわ。」クリスは黒焦げになったオーブンを見て顔をしかめている。

「…で? なんでオマエはまだ居るんだ?」

 なんかイヤな予感がする。そう思いながらクリスに尋ねた。するとクリスは懐から一枚の手紙を差し出す。

「エルーネから預かってたの」

 赤い封印が施された手紙だ。

『―!』

一瞬エッジの表情が変わった。

それは〈魔法の手紙〉だった。

 過去、エッジは何回かその手紙を受け取った事がある。

 彼はクリスの顔を見た。その顔は不安を隠しきれない様子だ。どっちに対しての不安かは分からないが。

 エッジは大きく深呼吸すると、意を決したように手紙を開けた。

 すると次瞬間、エッジの頭の中にエルーネの伝えたい事が映像と音になって飛び込んで来た。

 クリスの身上、魔法界の異変、クリスに課せられた運命―それらは走馬灯のようにエッジの頭の中を駆け巡り、まるで一時間の映画を一瞬で無理矢理頭に詰め込んだような感じだった―。

 エッジは思わず立ちくらみをしてソファにもたれ掛かる。

 慌てて支えようとするクリスに「大丈夫」と制止した。

 そして手紙を見ると、何やら文字も書いてある。

『留守中彼女を頼む』

 エッジはソファに腰を降ろし、何度も顔を拭うしぐさをした。

「大丈夫?」クリスが心配そうに覗き込む。

「あー、これは何度やられてもダメだな―」

 エッジが嘆いた。そりゃそうだろう。本来、魔法使いや魔女同士が使うモノを、魔法抵抗力のない只の人間になど使ったら、たちまち精神が破壊されてしまう。これはエルーネがエッジとの連絡用に作り上げたオリジナル魔法なのだ。

 魔法の組み替えは魔法学の中でもかなり高度な技術で、アークエリアの賢者でさえ、それを行えるのはごく一部だけである。それをいとも簡単にやってのけるエルーネに、クリスは改めて嘆く。

 ようやく落ち着いてきたのか、エッジは一息付いてから喋り出した。

「エルーネの頼みだ―。クリス、君に協力するよ。俺に出来る事ならね」

 その言葉を聞いたクリスは、今朝、エルーネと交わした会話を思い出した―。


 それはエッジが自宅に帰って来るおよそ三十分前―。

朝陽が差し込む誰も居ない部屋に、いきなり二人の女性が出現した。

エルーネとクリスだ。

二人の体は上手い具合にソファに納まる。エルーネのエスケープ・マジックだ。

 アークエリアに比べ、人間界では魔力が格段に落ちる。実際、クリスが使った得意の翻訳魔法は、向こうでは解除しない限り半永久的に対象の人間と会話出来るのに、ここではエッジ相手に三分も持たなかった。

 そんな人間界で高度な魔法を簡単に操るエルーネをクリスは羨望の眼差しで見つめたが、当の彼女は何事も無かったかのように手紙に目を通している。

「……さてと、クリス。―あなたは自分の使命を聞いてる?」

クリスから渡された手紙を読み終えたエルーネがクリスに問いかける。

「あなたを捜しに来たんです。エルーネをアークエリアに連れて帰るのが私の役目。祖

父からそれを言い遣って来ました」

「―クリス」エルーネは少し険しい顔で話しかける。「手紙の内容は知ってるの?」

妙な事を言い出した。クリスが首を横に振ると、エルーネはその手紙を差し出した。

「自分で確認した方がいいわ」

そうエルーネに言われ、何の事だか判らないクリスは、少し躊躇しながらも手紙を受け取る。

間違いなく祖父ロベリスクの筆跡だ。

 エルーネ宛に書かれたその内容にクリスは目を疑う―。

『クリスを決してこちらに戻してはならん』





 ロベリスクは前方に浮かんでいる金色の鳥のような物体と対峙していた。

 その物体…いや、エネルギー体と言った方がいいだろう。

 エネルギーはロベリスクと百メートル程度の距離まで近づくと、その場で停止した。

 明らかにロベリスクの存在を認識しているような動きだ。

 これを追っていたブライドは何処へ行ったのか? ロベリスクの脳裏にそんな思いが過る。

 得体の知れない魔力を持ったそのエネルギー体を前に、ロベリスクは既に絶対防御の魔法を展開していた。この魔法は相手の魔力を跳ね返し、こちらの攻撃魔力には影響を与えない攻守のバランスが取れたロベリスクの得意魔法の一つだ、この魔法は物理攻撃には効力が無いが、相手が魔力の塊のようなエネルギー体であれば、最高の相性と言えるだろう。

 とはいえ、得体の知れない魔力に対し不用意に仕掛けることも出来ず、対峙したまま膠着状態が続いていた。

 すると、突然エネルギー体に動きがあった。

 鳥のような形からアメーバのような形を留めないエネルギーの塊に変化したと思いきや、いきなり爆発したように四散したのだ。

「―!}

 予想外の反応にロベリスクは戸惑い、飛び散ったエネルギー体の軌跡を目で追う事しか出来ない。

 四散しいたエネルギーはアークエリア中に飛び散り、その行方を全て追うのはどんな優れた探査能力を持った人物でも不可能だろう。

 いや、探査等無用だった。

 この四散したエネルギーがアークエリアエリアにどんな影響を与えたのかを、程なくしてアークエリア中の魔法使いが知る事になるのだから。





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