第5話

 沈黙を破ったのはエッジだった。

「………。もういいだろう? 充分だ。もう充分協力した」

クリスの眼は、一層深く哀しみの色を増した。どうやらエッジは、これ以上協力出来ないと言いたいらしい。

しかし―。

「この娘は本気だぜ」

 突然、エッジは意味の分からない事を言い出した。

「そうだろ?」

 その言葉はクリスに向けられたモノでは無かった。しかしここには二人しか居ないハズ。戸惑う彼女にエッジは軽く微笑んで言った。

「…今日も良い天気だ。後ろを見て見ろ、もう窓から光が差し込んでるぞ」

そう彼に促されて、クリスはゆっくりと後ろを振り返る。

すると―。

眩ゆいばかりの朝陽の中、女性が一人、椅子に座っていた。

逆行で顔は確認出来無いが、一目見ただけで美人と分かるシルエットだ。

 クリスは目を丸くした。

 いったい、何時からいたのか。

 エッジに囁く様に問い掛ける。

「…彼女は…?」

「そりゃ自分で確かめた方が良いんじゃないか?」

クリスは突然現れた彼女の存在に戸惑っている様子だ。

「行けよ」とエッジの眼が促す。

クリスは一つ、小さく深呼吸をして椅子から立ち上がった。


 ゆっくりとシルエットの女性に近づく。

 彼女の顔が確認出来る近さまで来た時、クリスは眼を奪われた。

(綺麗―)

ただ、その言葉しか想い浮かばない。

目の前にいる女性が、自分と同じ空間にいるのが信じられないと想う程。

朝陽のせいもあるだろう。

彼女もクリスを見ていた。クリスは固まって声が出ない。

暫く佇んでいると、彼女から話かけて来た。

「…エッジの事、悪く思わないでくれ。私が頼んだ事なんだ」

彼女が軽くウィンクして、申し訳なさそうに微笑む。その容姿、雰囲気…すべて話に聞いた憧れの人そのものだ。

「あなたは…エルーネ?」

クリスが問い掛ける。

「あなたにとっては初めましてね、クリス」

意味深な彼女の言葉にクリスは再び問い掛ける。

「?…昔、お会いした事が?」

驚くクリスにエルーネがいたずらっぽく答える。

「あなたが生まれた時にね」

いったい、いつからここに居たのか? そう言いたげなクリスの表情にエルーネは軽く

微笑みながら言った。

「君達が入って来る前からだよ。むしろ君達が後から入って来たってわけ」

 その時、突然二人の間を縫うように紙ヒコーキが飛んで来た。

 テーブルに滑り込んで着地する。良く見るとナプキンで出来た紙ヒコーキだ。翼に赤いマルが透けて見えている。

それはクリスが書いた血印書だった。彼女は慌てて振り返る。

しかし、既にエッジの姿は無かった。

 エルーネはクリスの手から紙ヒコーキを取ると、軽く手のひらで弾いた。すると紙ヒコーキが手品の様に一瞬で灰も残らず燃え尽きた。

「あいつは魔女と契約を結ぶなんてバカな真似はしないよ」

彼女は優しくクリスに微笑んだ。



 エッジはカフェを出ると朝陽の眩しさに目を細めた。

良い朝だ―。

思えば何かと騒がしい朝だったが、終わればそれも悪くない。


(そういや、紅茶が切れかけてたな)

 そう思い、時計を見る。八時少し前だ。

(朝市でも寄ってみるか)

 エッジは静かな朝のアスファルトを歩き出した。





 時は少し遡る。

 最高幹部会最強と目される大魔法使いブライド=ジルは、謎の気配を追って高速飛行していた。

 彼ほどの魔法使いになると、もはやホウキのような触媒は必要ない。単身で高速飛行が可能だ。

 気配はどんどん近くなる。

 ふと、彼の眼前に小さな黒い点の塊が浮いているのが見えた。

 ブライドが高速スピードで近いている為、あっという間に追い付く。

 それはカラスの大群だった。

「!」

 ブライドはそのまま突っ切る…かに思えた瞬間、カラスの大群に接触する寸前で姿が消えた。



「ここは…?」

 一面暗闇の世界にブライドは一人佇んでいた。

(結界…疑似空間か?)

 ブライドは目を閉じ、意識を集中した。

 そのまま集中した意識を拡大させていく―。

(…………)

 どこまで意識を飛ばしても途切れるどころか空間の揺らぎすらない。

 こんな完璧な閉鎖空間を作れる人物など、彼の記憶の中ではアークエリアを創った伝説の魔法使いアレクサンドル・ガーハルディしか思い浮かばない。

 ブライドは意識を飛ばすのを止め、今度は両手に魔力を集中させた。

 紫がかった黒い光の弾がみるみる大きくなり、強い光を帯びていく。

 ブライドの極大攻撃魔法だ。

 過去、この魔法を喰らって逃げ延びたモノは居ない。

 空間すら破壊し兼ねない恐るべき威力を持つ魔法で、強大な魔力を持つブライドだからこそ扱える魔法だ。

 その魔法を今まさに、この空間を破壊すべくこれまで使った事の無い大きさまで練り上げている。

 彼自身、どの位の破壊力を持つのか、全くの未知数だ。

 渾身の魔力を込め練り上げた黒紫の球は、直径十メートル以上にまで膨れ上がる。

「―フン!」

 ブライドの気合と共に臨界点に達した赤い球は、無数の光を放ち壮絶な波動となって空間に激震をもたらした。



「―!」

 双子のポッツ卿は、ほぼ同時に何かを感じ取ったように顔を上げ、お互いを見つめた。

「…ブライドの魔力が消えた」

「…何があったのじゃ?」

 あれ程の魔力が痕跡も無く突然消える等、二人の経験上初めての事だった。

「…嫌な予感しかせんわい」

 どちらともなくそう呟いた。



 アークエリア内、レベル1地域「フォラン」。

 レベル2との境界でもあるこの町には、ポッツ卿の指示で憲兵隊が魔法障壁を展開していた。

 魔力の無い人間は『魔障』に対する抵抗力が無いため、レベル1でしか生活できない。

『魔障』とは、魔法界に満ちる精霊粒子に魔力の無い人間が長時間触れると身体に悪影響を及ぼす症状の事である。魔力を持つ者にとってはそれはエネルギーとなるのだが、魔力の無い人間がそれを浴び続るとエネルギーを吸い取られてしまう為、目眩や吐き気、幻覚等の体調不良を引き起こす。その症状は人によって様々で、レベルが高い地区程精霊粒子が濃いので、魔力の持たない人間がレベル2以上の地域に長時間居るのは非常に危険であり、命を落とす事だってあるのだ。。

 生まれて来る子供にどの程度魔力が備わっているかは全くの未知数だが、約二人に一人の確率で麿力を持たない子が生まれる為、アークエリア全体の半分近くはレベル1区域である。

 因みに首都ニーナのレベルは4.最も精霊粒子の高い地域はレベル6である。

「魔法障壁、術式展開完了しました」

 憲兵隊の隊長らしき男が、ロベリスクに報告する。

 転送魔法で一足先にここに来たロベリクスも、ブライドの魔力が消えた事に違和感を感じていた。

 それとは対照的に例の気配は真っすぐこちらに向かっている。

 最高幹部会のメンバーは皆高い魔力を持っている。秀でた魔力はそれぞれ違うが。ロベリスクはその中でもブライドやボッツ兄弟に次ぐ戦闘魔力を持っている。

「そのまま最大警戒を維持。…私かポッツ卿の指示があるまで解除してはならん」

 そう言うとロベリスクの身体は宙に浮き、静かに「例の気配」の方へ飛び去った。





 時は現在、ログポート。

「ゲートが閉じられた?」

 クリスの口から出た言葉にエルーネは怪訝な表情を浮かべた。


 アークエリアの都市や町は、世界中の人間界あるいは魔法界の都市や町と魔法ゲートで繋がっており、その特徴として古都とリンクしてる場合が多い。

 ここログポートも例外ではなく、アークエリアの中では魔力干渉が低いエリア1地域フォランとリンクしている。

 魔法ゲートは、誰でも自由に出入り出来るモノではない。許可を与えられたごく一部の上位魔法使いのみがゲートを通る為のアクセス・キーを持っており、その中でもより上位の魔法使いになると人間界・魔法界の両方に出入り出来るマスター・キーの所有を許されるという。

 しかし、元々は一人の魔法使いの手によって創られた、謂わば人工的な世界。人間界で言えば埋め立て地のような場所である。何かの弾みで空間が不安定になっても不思議ではない。もしアークエリアに何かあっても、創った人物なら対処出来るかも知れないが、アレクサンドルはもうこの世には居ない。


 二人の前には既に紅茶が運ばれてきている。芳醇な薫りが辺りに漂う。

「原因が何かは判りません。でも…似てるんです、十年前の……あの日と!」

 十年前の『あの日―』そう、ロザリナが失踪したあの日の事だ。

「何か判らないけど…得体の知れない何かがアークエリアを覆っているような……そんな気配がするんです。アークエリアのゲートが使えなくなったのは、その気配が現れてから一日後の事でした」

「クリスはどうやって?」

 エルーネの問いかけにクリスは袖を捲り上げる。

「!…それは?」

 そこには小さな紋のようなイレズミが浮かび上がっていた。

 人間界への転送魔法の術式印である。

「十年前、母が施しました」

 クリスの話では、失踪する前にこれを彼女に施したロザリナは、何かあったらエルーネを頼るようにと言われていたらしい。

「お願い、戻って! ―お願い!」クリスが懇願する。

 エルーネは一息付いて口を開く。

「場所を変えよう―。取りあえず安全な場所に。それに、ここも開店準備をしなくちゃいけないしね」

 そう言うとエルーネはクリスに軽くウィンクして指を鳴らした。


―次の瞬間、カフェに二人の姿は無く、ただ、朝陽が眩しいくらいに差し込んでいた


 


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