第4話

 エッジは夢を見ていた。

 それは過去目にした、とある教会にある古い絵の夢。

 彼は夢の中でこの教会にある『クリスティンの微笑み』を眺めていた。

 この絵を納める為に教会が建てられたとの謂れがある程、貴重なモノらしい。

 一説には妖精が書いたモノと言われている。

 本来なら門外不出、非公開の絵なのだが、ひょんな事から一度だけお目にかかる機会があったのだ。あまりの美しさに時間を忘れて眺めていたのを覚えてる。

 その絵は夢の中でもとても美しく、そして神秘に満ちていた。

暫く眺めていると、絵の中の少女、クリスティンがこちらを見たような気がした。

そう思ったとたん、絵は次第に光りを放ち、眩い光りに包まれて行く。

光りが全てを覆った時、白い輝きの中からこちらに何かが向かって来た。光りに包まれながら現れたのは、絵の中の少女クリスティンだ。

クリスティンは落ちるようにエッジの元へ舞い降りる。

 彼は慌ててそれを受け止めようと手を広げた…。


(ボンッ―!)

突然、部屋中に爆発音が響いた。

 エッジは跳び起きると、無意識にリビングへ滑り込む。

 薄っすらと黒い煙が漂う中、クリスがオーブンの前で佇んでいるのが見えた。やがてゆっくりと振り向き、ススだらけの顔で言った。

「…あ‥あなたの分も一緒に作ろうと思ったんだけど…。ち、チョット分量間違えちゃったみたい……」

とりあえず、ケガは無さそうだ。

「…うれしいけど、今回は遠慮しとくよ」

(料理出来ないなら先に言えよ…)内心思ったが、さすがに言葉にならない。

ふと、時計を見るとまだ七時十分を少し回った処だ。

(まだ十分かよ…)エッジは力無く笑った。もう、笑うしか無かった。

(カンベンしてくれ……)


 エッジの自宅から坂を下り、十分位歩いた処に、彼の行きつけのカフェがある。

 二階からの眺望が美しい海沿いのカフェだ。

 いつもならまだ開店時間では無いのだが、今日はすでに一組のカップルがテーブルに着いている。

 日本人の男と、人形みたいな白人の少女だ。見る人によってはかなり異様な光景に映る。

テーブルにスペシャルモーニングが運ばれてきた。ここのマスターオリジナルのメニューだ。

「スマンね、マスター」

 エッジが料理を運んで来たマスターに声をかける。初老の品の良い紳士という雰囲気を漂わせる。

「こんな可愛いお嬢さんならいつでも大歓迎さ」

マスターは笑顔で答えた。深く刻まれたシワと口髭がとても似合う。そして小声でなおも続ける。

「しかし、エッジにこんなに可愛いガールフレンドがいたとはね」

そう言ってクリスに微笑みかける。エッジは少し困った表情をした。

「マスター有難う。ステキなカフェですね」

クリスはマスターの微笑みに応える。この歳で軽い社交辞令を知ってるとは、それだけでも育ちの良さが伺える。

「マスター、奥空いてる?」エッジが囁く。「この間から一睡もしてない状況でね。軽く死にそうなんだよ」

懇願するエッジを横目にクリスはモーニングを口にする。

「ん! 美味しい」思わず口元が綻んだ。

「―ゆっくり食べて良いから」

 エッジはそう言うと席を立ち、奥へ向かおうとする。しかし―。

「待って!」

クリスが呼び止める。

「レディが食事中に席を立つなんて信じられない! 何考えてるの?」

当然の様にクリスは言う。

(このガキ…)エッジが呆気にとらえていると、たまらずマスターが笑い出した。

「ハハハ…。早くもシリに敷かれてるな」

 マスターは笑いが止まらない。

「ああ言われて席を立つ分けにはいかんだろう? お前さんの負けだよ」

マスターに促され、エッジは渋々椅子に座る。

「いつもので良いか?」マスターがエッジに訪ねる。

「いや、四日起きてられるようなコーヒーを頼む」エッジは諦め顔で言った。ニヤリと口元を歪ませ、マスターがカウンターへと入っていった。

それを確認するとクリスはテーブルに顔を突き出し小声で囁く。

「あまり時間がないの」

 完全に主導権を握られている。

(…思えば、こうゆうタイプは昔から苦手だったな―)

彼は今更ながら何かを思い出したようだった。


 エッジの元に濃いコーヒーとクリスにミルクティーが運ばれて来た。

「―それで、なんなんだ? いったい、用ってのは?」

今度はいきなり本題に入る。さっさと会話を終わらせたいという意思が見え見えだ。

クリスはミルクティーを一口飲み、一呼吸してから口を開いた。

「人を探してるの」

「人? あぁ、さっきもそう言ってたよな」

「そう、でもただの人じゃないわ。私と同じ…魔女を探してるの」

 エッジは黙ってクリスを見つめていた。

「さっき、また魔女かって? そう言ってたでしょ。私の他にも魔女を知っているのね?」

 エッジは答えない。クリスはさらに続ける。

「私は昨日、あの部屋で人と出会うハズだったの。結局会う事は出来なかったけど、その人はエッジ、恐らくあなたの知ってる人だと思う」

彼はクリス越しに窓の外を見ている。

「最初は私もどうしていいか分からなかったわ。いくら待っても誰も来ないし、日付は変わっちゃうし、やっと来たと思ったら―」

「変な男が現れたと―」

ようやくエッジが反応した。クリスは肩をスクめる。

「…正直、あの部屋に私の探してる人が住んでると思ってたの」

「それでずっと待ってたのか? そりゃ期待ハズレだな」

「知ってるんでしょ? 魔女。その人の名前は? 今、何処に居るの?」

クリスが軽く身を乗り出して迫る。エッジは何かを考えてるのか、黙ったままだ。

少しの沈黙が二人の間を流れ、エッジが上着のポケットから何かを取り出した。

「とりあえず、改めて自己紹介しとくよ」そう言うとポケットから出した名刺を渡す。

「フリーカメラマン?」

「表向きはね」意味深に言うと名刺を取り上げ、ライターで表を火に当てる。

「コイツに魔法をかけるともう一つの顔が現れる」

そう言い終わらないうちに、裏面に文字が浮かんできた。

どうやらあぶり出しになっているらしい。改めて名刺の裏面を見ると、そこには「情報屋」と書かれていた。クリスには聞き慣れない名だ。

怪訝そうな顔をしてるクリスを見てエッジが説明を始めた。

「聞いた事ない? 色々な情報を集めて売るんだよ。世の中の事、他人の事、表や裏の事色んな情報をね。ま、バイトだバイト」エッジは声をひそめて続ける。「―ただ、中にはヤバい情報もある。命がけってヤツだな。勿論それなりに高い値段で取引されるけど、それを売って殺されたりするヤツだっている」

一見脅してるようにも見えるが、クリスは動じない。

「つまり、タダでは教えないって事?」

そう答えるクリスにエッジは少し困った顔をした。

「いやいや、どっちかっていうと、幾ら積まれても言えないって言った方がいいかな?」

 エッジは少し大袈裟に両手を広げた。

「…今更知らないとは言わない。君が魔女だって事も認めよう。でも、それとこれとは全く別の問題なんだ。分かるか?」

今度は幼子を宥めるように諭す。

「なんてったって相手は魔女だ。それを言ったら殺されちまう。…悪く思わないでくれ。出来る事なら協力しないでもないんだけど、流石にムリだ。話が悪過ぎる。俺だってそんなムチャはしたくないし」

 暫く沈黙が流れ…クリスが静かに沈黙を破る。

「…幾ら払えば教えてくれるの?」

クリスは俯きながら呟いた。

「…ゴメン。ホントに無理なんだ。金の問題じゃ無い。―例えそのトランクいっぱいの札束を積まれても返事は一緒。金じゃない。命があるか無いかの問題なんだよ。だから―」

「私が子供だから? だからそんな話を? 私が大人だったらもっとちゃんとした交渉が出来るんじゃない?」

セキを切ったようにクリスがまくし立てる。

少ししてエッジが溜息交じりに口を開く。

「…確かに、子供相手に商売をする気は無いよ。だからこそ、ここまで言ってるんだ」

普通ならここまで話をしないと言った素振りだ。

「俺はそっちの世界のことはあんまり良く知らないんだけど、君もこっちに抜けてきたヤツってのがどういう連中かってのは知ってんだろ?」

クリスは答えない。エッジは続ける。

「いわゆるヤバい連中だってのは俺も知ってる。いいか、人間が魔女になんか目を付けられてみろ、それこそ命が幾つ有っても足りないぞ―」

そう言いかけて、クリスが魔女だという事を思い出し、慌てて訂正する。

「あ、いや、ゴメン。そういう意味で言ったんじゃないんだ」

クリスはテーブルを見つめたままだ。

次の瞬間、何かを思い立ったのか、クリスはおもむろにトランクをテーブルの上に置き、中を開けた。何かを取り出した後、テーブルのナプキンを一枚取ると、開いたトランクの向こう側で何やらゴソゴソとやり始めた。

「―ッ!」クリスの身体が一瞬震える。

 エッジは怪訝そうに見つめて、「なにしてる?」と声をかけるが、返事は帰ってこない。

 やがて、トランクを閉め、再び床に降ろすと広げたナプキンを差し出した。見ると何やら文字が書いてある。

 魔法文字らしく、何が書いてあるんだか、さっぱり分からない。おまけにハンコまで押してある。

「…なんだコリャ?」

 流石に戸惑いを隠せない様子だ。

「血印書よ」クリスが言った。

「―血印書?」

「魔女が相手に命を預ける契約書。本当は羊紙皮に書くんだけど‥今は持って無いからこれでガマンして。後でちゃんとしたヤツを渡すわ」

「オ、オイ…」

 エッジは思わず突き返そうとしたが、見据えたクリスの目は何かを決心したかのように強い光を宿していた。

なにがこの少女をここまで追い込んでるのか、想像もつかない。ただ本来、こんな表情をする娘じゃないだろう。

 エッジは紙を見直す。

(! この判…)

クリスの左手の人差し指がほんのり赤く染まっている。

血判だった。

(まいったな―)エッジは頭を掻きむしる。

「お金じゃ無いんでしょ? 命が足りないなら、私のを上げます。…一つしか上げられないけど、その契約によって今後あなたが死の淵に立たされた時、一回だけ私があなたの身代わりになる事が出来るわ」

 そしてクリスは声を低くして続ける。

「エルーネ=ルシフォンと言う魔女を捜してるの」

「………」

答えは帰って来ない。エッジは空を見つめている。何か知っているのか、それとも―。

「…魔女のフルネームをあんまり軽々しく口にするモンじゃない」

 エッジの低い、静かな声が響く。

「第一、まだ受けるなんて言ってないし、俺がそんな名前知らなかったらどうする? 知ってても知らないとシラを切ったら?」

 エッジは椅子に凭れクリスから視線を外す。

「見ず知らずの人間を、あまり信用するモンじゃ無い」

 そう言いつつも、エッジはクリスを直視出来ない。思わず彼女を横目で見る。

その目は強く、美しく、そして‥哀しみの涙を溜めていた。その眼がエッジの心を射抜く。

永久の様に長く、一瞬の様に短い時間が二人を支配した―。




          

                              

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