第2話

 アークエリア内。

 とある深い森。

 人々に忘れ去られた古の森の最深部に、樹齢一万年近くはあろうかという、ひときわ巨大な老木が佇んでいた。

 その老木の中、結界の張られた異空間が存在している。まるで木の中に部屋があるかのようだ。

 覗き込んでみると、そこには様々な錬金術用の実験装置や器具等が、所狭しと置かれ、異様な雰囲気に包まれた部屋の内部と、まるでホラー映画から抜け出して来たかのような、人であって人でない、そんな顔付きをした全身黒尽くめの男が立っていた。

 まさに怪人だ。

 男は、目の前に置かれた赤い水晶のようなソフトボール大の玉を凝視している。

「……刻が来た…か」

 腹の底に響くような、低く、地を這うような響きの声は、森全体にを震わすような力を秘めているように感じた。

 



 男は結界を出て、森へと足を踏み入れた。

 鬱蒼とした森の最深部には、陽の光等殆ど入らない。まるで森の木々達が降り注ぐ光を飲み込んでいるかのようだ。

 男は、ゆっくり辺りを見回した。

 自分の目で直接外の世界を見るのは、実に一万年振りだ。

 ふと、男の視線の端で何かが動いた。

 それは男が確認するよりも先に、その姿を現す。

 一気に立ち上がり、あからさまに怪人を威嚇する巨体は、ゆうに体長二十メートルはある。闇に光る六つの目は、細く怪しい光を放ちながら怪人を見つめている。

「…ほぉ、まだ生きていたのか―」

 怪物の威嚇に全く動じる事無く、少し関心するような口調でそう呟いた。

 ケルベロス。地獄の門番として語られている三つ頭も大狼。口からヨダレを垂らし、低い唸り声を上げながらゆっくり怪人との間合いを詰めていく。

 その押し殺されそうな殺気に、遠目で息を潜めていた動物達が堪らず逃げ出し、その足音を合図にケルベロスが男に襲いかかった。

“ヴォオオオオッ―!“

 飢えた怪物の叫び声が森中に響き渡り、目にも止まらぬ速さで男にかぶりついた…筈だった。

 しかし、ケルベロスの牙は男を噛み砕く寸前で、まるで時間が止まったかのようにピクリとも動かず、その場で停止していた。

 森に再び静寂が訪れる。

「……そうか………」

 男が目を細めた次の瞬間、ケルベロスは砂の彫刻のように細かい粒子となり、大気に溶け込むように消えていった。

 ケルベロスが姿を現した場所に目を向けると、そこには不自然に盛り上がった小山が存在していた。

 男は小山に歩み寄り、何やら小声で呟くと、その場を後にした。


 再び彼が姿を見せたのは、自らが結界を張っていた樹齢一万年の老木。

 男はその頂きに佇んでいた。

 手には、例の赤く光る水晶玉が乗っている。

 いや、乗っているのではない。よく見ると、それは掌から数センチ浮いている。

「………」

 男は何かを思いふけるように赤い玉を見つめたあと、それを頭上に高く掲げた。

 すると玉の中の赤い炎のようなモノが高速で回転し始め、その色を赤から金色に変え光を放っていく。更に回転数は速度を増し、遂に入れ物である水晶玉は粉々に砕だけ散った。

 金色の炎は自由を得た鳥の様に、その場から勢いよく飛び去っていく。

 それを確認した男は、姿を烏に変え、炎が向かった方角へと翼を広げた。




 鐘の音と同時に資料探しを一旦切り上げ、気分転換がてらにキャンパスを出た少女の姿があった。

 彼女の名はクリスティン=ワイズ=ノートン。通称クリス。ニーナの学園に通う十四歳の見習い魔女である。

 クリスは、海岸通り沿いのカフェに来ていた。

 学園の目と鼻の先にあるこのカフェは、学生の溜まり場となっており、彼女もよく利用するお気に入りのカフェの一つだ。

 いつもなら友人の一人や二人見かけるのだが、今日はあいにく友人の顔は見当たらない。クリスはとりあえすミルクティーを注文すると、道路に面したオープンテラス席に腰を下ろした。

 ぼんやりと何を考えるでもなく行き交う人やクルマを眺めながら、運ばれてきたドリンクを口に含む。

その時だった。

「―!」

 突然、彼女の身体に弱い電流のようなモノが走った。

 思わず身体を両腕で抱き抱え、目を閉じる。

 すると、瞼の裏に何かの光景が浮かんできた。

 金色の…鳥のようなものが羽ばたいている…そんなイメージを感じ取っていた。

 彼女は眉間に皺をよせ、更に自分の中に意識を集中させたが、それ以上イメージを追う事は出来なかった。

 ゆっくり目を開け、辺りを見回す。

 誰も何も…変化はない。何かを感じ取ったのは自分だけのようだ。

 クリスは弾かれたよいに椅子から立ち上がると、バックを抱えながらカフェを飛び出した。

 その様子をカフェに居合わせた数人が目撃していたが、別段何を気にする様子もなく日常の時間が流れていった。


 走るクリスの脳裏に、ふと昔の記憶が蘇った。


 まだ夜が明けきらぬ星空の向こう―、星が僅かに白ずんでいる。

 町は未だ夜の静寂に包まれ、動くモノは殆ど居ない。

 そんな静かな町の夜空を見つめる、一人の女性が居た。窓越しに外を見つめ、その表情は真剣そのものだ。

 彼女の名はロザリナ=ワイズ=ノートン。家族と共に首都ニーナで暮らしている。

 先刻、何か微細な振動のエネルギーを感じて目を覚ました彼女は、エネルギーの波動を感じる方角を見つめていた。

 それは今まで感じた事のないエネルギー振動だった為、ロザリナは胸騒ぎを抑えずにはいられなかった。

 幸い、エネルギー波動はニーナから遠ざかって行ってるものの、その存在自体が消えて無くなった訳ではない。

(あれは…いったい何なの?)

 ロザリナは思わず胸を押さえた。胸騒ぎがどんどん大きくなっている。これは果たして良い兆候なのか悪い兆候なのか―、それすら予見出来ない。こんな事は初めてだ。

「―ママ、どうしたの?」

 急に背後から声を掛けられ、ロザリナは我に返ったように慌てて振り向いた。

 そこに立っていたのはパジャマ姿の小さな女の子、幼き日のクリスティンだった。

「何でもないわ。…お星様が余りに綺麗だったから、見とれていたのよ」

 そう言って微笑んだ彼女の顔は、いつもの優しい母の笑顔だった。

「あのね、ママ」

「うん、なぁに?」

「何だか、胸の奥がドキドキして眠れないの」

 クリスの言葉に、ロザリナは一瞬動きを止めた。だが、すぐい微笑んで悪戯っぽく切り返した。

「あらあら、それは大変ね。もしかしてクリス、好きな男の子でも出来たの?」

「そんな子、居ないわ!」

 クリスは頬を膨らませて否定する。

「そう、じゃあまだ寝てなさい。ママが一緒にねてあげるから」

 二人はそう言って寝室に向かった。

 お互いにとって、これが最後の添い寝になるとは、この時はまだ知る由も無かった。


 母が失踪したあの日から丁度十年。

 母の失踪の手掛かりを探そうと調べているうち、この世界の成立ちにまで行き着いたクリスは、学園でも主席の成績で今年飛び級で卒業を迎える。

 そんな彼女が十年ぶりに味わったこの感覚。

 それが何のか未だに分からぬまま、言い様ない胸騒ぎが彼女を襲っていた。

 



 同刻、アークエリア最高評議会の議事堂。

 首都ニーナの中央、古い教会に隣接するように建てられた議事堂に、一人の男が姿を現した。

 最高評議会とは、アークエリアの全人口約三千万人を統べる最高意思決定機関。九人の最高幹部と五十人の評議会員が在籍するが、最終意思決定権は最高幹部九人で開かれる最高幹部会にある。

 まさにアークエリアの中枢、この世界の中心だ。

 その最高幹部の一人、ロベリクス=ワイズ=ノートンが、議事堂内の長い廊下を足早に歩いていた。

 廊下の先にある扉からは、、中の部屋の明かりが漏れている。ロベリクスはそのドアを勢いよく押し開けた。

〝バン―!〟

 その音に、中に居た二人の老人が視線を向ける。

「―ノートン…か」

「…君も感じたのかね?」

 二人は深く鋭い目でロベリクスを注視している。

「えぇ…確信は無かったのですが」

 ロベリクスは表情を変えず答えると、そのまま自分の席に座った。

「そうか…。何にしても来てくれたのは心強い」

 そう、ロベリクスはロザリナの父親にしてクリスティンの祖父、そして最高幹部の一員なのである。

「集まったのは私達だけですか?」

 少し不満げな表情のロベリクスを、二人の老人が同時に同じ言葉で宥める。

「そう無茶を言う出ない」

 よく見るとこの二人、髪型や髭に違いがあるものの、顔付きはそっくりである。それもその筈、この二人は双子で、しかも双子揃って最高幹部員なのだ。最高幹部創設メンバーとも噂されているが、その真意は定かではない。

「あれを感じ取れる輩など、最高幹部会の中でもそうは居まい。さっきまでブライドが居ったのだがの。居ても立ってもいられなくなざたらしく、自分で確かめると言って飛んでいったわい」

 双子の片割れ、後ろ髪を生やしたサニデール=ポッッ卿が呟くように話した。

 ブライド=ブライド。最高幹部会最強の魔力を持つと言われ、魔力ならアークエリア三大魔女のエルーネと匹敵するとさえ噂されている。そんなブライドとロベリクス、実は犬猿の仲として評議会内部では有名であった。

「…一体、あれは何なのです? ポッッ卿」

 二人に同時に問いかける。ポッツ卿達は一度顔を見合わせた後、今度は頭を丸めたファルファイド=ポッツ卿が口を開いた。

「…何なのかはまだ分からん。現れてから一直線にある方角に向かって飛び続けておるのじゃ。方角からしてレベル1地帯に向かう可能性が高い…としか言えん」

「レベル1…ですか」

 ロベリクスは眉を潜めた。

「―今のところ、何か影響が出ている訳ではないのじゃが、我々すら正体が掴めぬ相手じゃ。レベル1との境界線に魔法障壁を張るよう、憲兵隊に指示は出してあるが、効果があるかどうかは分からん。まずは上位魔法使い以外は近寄らんほうがいいじゃろう」

 二人共目を閉じ、エネルギー体を感じながら話をしているように見える。

「じきブライドがエネルギー体と接触するじゃろうて。彼に任せるしかあるまい」

 年のせいか、どうもこの二人は物事に対してのんびり構えてしまう傾向があるようだ、とロベリクスは内心思ったが、決して表には出さない。

「…では、私はレベル1へ向かいます」

 そう言ってロベリクスは立ち上がり、振り返る事無く部屋を後にした。



 


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