第48話 サンドラの釣り戦法
サンドラと言う軍師の恐ろしさをまざまざと見せつけられた思いだ。
彼女は推察する、人の心の流れを、ロスカーンと言う男の心情を。
軍事史に金字塔を建てんとしたロスカーンの野望を砕いたロガ軍が、ロスカーンの前線着任と前後しての敗走。
王を名乗ったベルシスが一路ロガ領へと逃げ込み始めた、となった時の高揚はいかほどだっただろうか。
「自身を大きく見せようとする者は、いずれは自分自身すら騙し、己の影の大きさに悦に入るものです。影など所詮は日の傾きによって伸び縮みすると言うのに」
「ロスカーン自身がそう思おうとも、怪しむ者は多くいるだろう?」
「多くいたと言うべきでしょうね。いや、帝国にはまだまだ士はいるのでしょうが、皇帝自身が己の周りから士を排斥しているのですから……。皇帝ロスカーンの周りにいるのは、皇帝に逆らえない小物ばかり……。唯一カルーザス将軍のみが危険な相手ですが、その動向さえ分かれば怖いものではない」
少しばかり興奮しているのか、サンドラは口数多くしていた。
確かにロスカーンだけが相手ならば怖いものはない。
だが、カルーザス相手には念には念を入れる必要がある。
皇帝を討ち取らんと言う時に、逆に私が討ち取られないように。
一戦もせずに逃げることに兵たちは不満を表明したが、ひとえにこの戦いを最後の戦いとするための策であると私は皆に触れ回り、その不満を抑え込んだ。
途中で作らせる野営地は、当初は十万前後の兵の痕跡を残しておいた。
だが次の日には五万ほどに減らし、さらに次の日には二万ほどに減らす。
敗軍の脱走兵となればこの程度の減り方はままあるが、元がゾス帝国の軍人で占めるロガ軍においてはあまりにも多いのではないか。
栄えあるゾス帝国軍の根幹をなした兵士たちだ。
そう思い、サンドラに意見をするも、彼女は笑って言う。
「それはロガ王であるからこそ思い至る事です、ロスカーンやその取り巻きには思いもよらないでしょう。そして、虚栄を追えば追うほど、自ら証明するのです。自分は民や兵士の事など欠片も気にしたことがないのだと」
ロスカーンが私と言う釣り餌に目が眩み進めば進むほどに、帝国臣民からの信頼が損なわれるのですよと笑うサンドラを見ていると、こいつが敵で無くて良かったと安堵する。
ただの囮を使った誘導作戦にこれほどの意味を込めた策を思いつくサンドラの頭には恐怖を覚えなくもない。
部下が怖いという気持ちはこんなものだろうかとロスカーンの心情に思いをはせる。
だが、やはり遠ざける意味が分からない。
恐ろしいほどの才覚があるのならば厚く報いなくてはいけない。
ロスカーンもカルーザスを恐れるのならばそうするべきなのだ。
それで裏切られるならばそれも運命。
そんな事を言ってしまえば諦観や達観のように聞こえるかもしれないが、全然そんな事はない。
仕事を評価されて嬉しくないわけがないという実感。
そして、正しく評価し続ければ、おいそれと裏切られないだろうと言う私なりの底の浅い打算の産物だ。
そんな打算を軽々と超える何かが配下を裏切りへと突き動かしたとするならば、もはや私にはどうすることもできない。
起きたことにできる範囲で対処するしかないし、足掻くしかないじゃないかと言うある種の開き直りに過ぎないのだ。
だからだろうか、将来あるか分からない裏切りを恐れて、今現在ある功績を無に帰すと言う行いにまったく共感できずにいるし、将来もできないだろう。
できない筈だ……いや、肝に銘じて置こう……。
※ ※ ※ ※
こんなやり取りをしながら、遂には最後の野営地を兵士たちが作り始める。
「火種は完全に消すな、ここを経ってそれほど時間が経っていないと思わせねばならない! それと、軍師の先導に従い一部兵士はガナ街道へと赴き道を塞ぐための準備に掛かれ!」
私の下知に皆が従う。
既に五度も野営地づくりに従事している兵士たちは手慣れていたし、兵士の痕跡は作るたびに減っていくのだからあっという間に出来上がってしまった。
野営地づくりを終えた頃合いには、ロスカーンが急ぎ此方に向かっているという報告も得ている。
急いでいる奴は足の遅い歩兵を置いて、騎兵のみで急ぎ来ているようだ。
そう報告した物見の兵士が、更に苦々しく告げる。
「奴にとって我々はそういう存在と言う事ですね」
詰まるところ、逆境に陥れば我先にと逃げ出すのだろうと言わんばかりの行動、そう受け取った様だった。
サンドラの言う通りの状況が生まれている。
「そうでは無いことを皇帝に教えてやらねばな」
そう声をかけると、彼は背筋を伸ばしてはいと答えた。
そして、我々は所定の位置へと向かった。
罠にかかったロスカーンを討ち取るために。
※ ※ ※ ※
既に時刻は夜半。
ゆらゆらと揺れる松明の明かりが列を組んで細い道を進んでくる。
先頭を進むのは似合わぬ鎧を着こんだ帝国八大将軍の一人コンハーラと煌びやかな武具を纏ったロスカーンであった。
……では、行くか。
私は山間から馬を走らせロスカーンの前に躍り出た。
「これは皇帝陛下! 生憎とロガ領ではあなた様を迎える準備はできておりません」
「べ、ベルシス!?」
松明の揺れる明かりの中に浮かび上がった私を見て、コンハーラは驚いたように手綱を引っ張り馬を止める。
ロスカーンは一瞬呆気に取られたようだが。
「ぎゃ、逆賊め! 助からぬと思て命乞いか! それとも血迷ったか! 者ども掛かれ!」
と、馬の足を止めて叫んだ。
前の二人が止まれば追随する騎馬たちも止まらざる得ない。
細い道を、止まってしまった騎兵では、的になるだけだと言うのに。
ロスカーンが止まれば、追従する者たちの事は気にせずとも良いから、私はすぐに指示を飛ばす。
馬首を翻して暗がりに潜んでいた魔道兵の脇を通り過ぎると同時に、夜でも目立つ
それが攻撃開始の合図だ。
四方八方よりまず矢が射掛けられ、矢の雨が降り注いだ後には
「べ、ベルシス! ベルシスっ!!」
ロスカーンの絶叫が聞こえる。
終わりだ、ゾス帝国皇帝。
そう胸中でつぶやいた瞬間に、背筋に怖気が走る。
「ベルシス、覚悟!」
聞き知った声が怒号飛び交う戦場で何故かよく聞こえた。
声の方を見れば、数名の練度の高い騎兵の一団が人馬を蹴散らして真っすぐ私の方へと向かってくる。
カルーザス率いる深緑重騎兵隊。
先頭は無論カルーザスだ。
カルーザスは
追随してくる騎兵たちも同様に私にのみ殺意を向けている。
私と言う要を倒せば、この戦いが終わるのだと言わんばかりに。
カルーザスはこれが罠だと読み切っていた。
だが、皇帝はカルーザスの言う事を聞かず進軍し続けた。
そんな中で考えたのが、戦乱の最中に私を討ち取ると言う策とも言えない策だったのだろう。
皇帝の前に私自身が躍り出なければ成立しない策だ。
まあ、そんな所しか残っていないだろうとは思っていた。
だから、私はロスカーンの前に態々姿を見せるような真似をしたのだ。
そうすることで、私を討ち取ろうとするカルーザスと直接雌雄を決するために。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます