第47話 陣中の日常

 軍議の翌日に、軍師サンドラは陣を離れた。


 二日ほど馬を走らせ周囲を見て回り、いくつか地形を見定めて来たようだった。


 結局、誘い出しの最終地点は古い街道であるガナの街道が選ばれた。


 ガナの街道の難所である山間の隘路あいろが最終地点とも。


 アルスター平原より帝都に近く、それでいてロガ領に逃げこむと錯覚させるのに十分な方角にある旧道。


 山間を蛇行するこの街道は今ではあまり使われることがないが、少数の旅人が急ぐ場合などに使われている。


 ここを兵数が減ったと思わせながら、ロガ軍が逃げるのだ。


 山々に兵を伏せながら。


 ロスカーンが上手く釣れると良いのだが……。


※  ※  ※  ※


「しかし、それほどの才覚がありながら、なぜ今まで何処にも仕官せずに?」


 ロスカーンが釣れるか否かを、逃げずとも怪しまれないように偽装を繰り返しながら待っている間、私は自身の天幕でサンドラと話をしていた。


 世間話の一環だ。


「何処に付くかをのんびりと選ぶ時間が私にはありますから」


 サンドラは微かに双眸を細めて答える。


「とはいえ、存分に私の才を振るうには相応の勢力が良い。そうなるとまずは帝国が候補に挙がりますが……以前ならともかく、今の帝国には魅力を感じません」

「……」


 帝国でそれでは、よく私の所に仕官する気になったな、と言うのが正直なところだ。


 流石に口には出さなかったが、何やら察したのか口元に笑みを浮かべてサンドラは言葉を紡ぐ。


「とはいえ、個人的に気になる将は幾人かおりました。帝国八大将軍においては、カルーザス将軍とロガ王、それに数年前に亡くなられたコンラッド将軍などの戦運びを調べますと、大変興味深い」


 懐かしい名を聞く。


 コンラッド将軍、子はなく家系は途絶えてしまったが、その戦運びは私の理想だった。


 父を早くに亡くした私にとっては、帝国の戦史とコンラッド将軍が将帥としての師であった。


 精強で士気の高い軍勢を維持しながらも、決して力押しを望まない姿勢は、幼き日々の妄想と共に私に多大な影響を与えている。


 まあ、私の場合はより外交的解決を好んだのだが……。


「その二人と比べられると、さすがに私は見劣りしよう」

「そうでしょうか? こと兵站に関してはロガ王に及ぶ者はいないかと」

「陛下は兵士を飢えさせませんから」


 第三者の声が響く。


 天幕に足を踏み入れていたのは、『輝ける大君主シャイニング・グレート・モナーク』の高司祭アンジェリカ殿だった。


「これは司祭殿……首尾は?」

「帝都内における我が神殿の影響力は低下しておりますね。最高司祭様もあのような教えが広まるとは……と渋い顔をしております」

「あの教えは新興宗教と言えないのが性質の悪いところ……」


 サンドラの言葉に私は眉根を寄せた。


「なんだ、帝都ではそんな物が流行っているのか?」

「ええ。三柱神の影響力が低下し続けているそうです。代わりに『病める大神ザ・シック・ゴッド』を崇める教義が」

「『病める大神ザ・シック・ゴッド』!? 神々に討ち滅ぼされた創造神が何故?」


 病める大神ザ・シック・ゴッド


 創造神話に必ず名前の出る神であり、完璧な世界を作ろうと創世を行い、この世界に生まれた生命に勝手に失望し、全てを滅ぼそうとしたために神々に打倒された古き創造神。


 生むだけ生み出しておいて、勝手に失望して無に帰そうとするとか、身勝手にもほどがある。


 結局、他の神々も私と同じ考えだったので打倒されたのだろうが、なんでそんな神の信仰が……。


「ロスカーンの治世と度重なる戦争に民衆は疲れ、その間隙を埋めるように甘美な死を歌い物語のように語って見せる異形の神官が現れたとか」

「世が乱れればそのような輩も出てきてしまうものか」


 私の言葉にアンジェリカ殿も眉を顰めながら頷きを返した。


 それから、戦いが終われば収まりましょうと付け加えてから、サンドラを見やる。


「ロガ王にお仕えすると決めたのは、兵站能力が高いから?」


 と、不意に話を戻した。


「そういう訳でもないのですが。何と言いましょう、一番話を聞いてくれそうでしたので。ゴルゼイ先生も評価されてましたし、戦史を調べればわかりますが、ロガ王はよほど人死にがお嫌いなようで、粘り強く交渉を行う様子など記されております。そこが決め手かもしれません、使い捨てだけはされないと言いますか……」


 サンドラは淀みなく答えるが、途中で羽扇子で自身を扇ぎだした。


「なるほど……ロガ王については充分に分析できていたから、奥方様方との会話を先行させたのですね」


 アンジェリカ殿が得心したように告げたのは、私も抱いた疑問についてだった。


 なるほど、なるほど、排斥されないために王の妻も見定めておこうという事だったのか。


 やはり頭の回る奴は違うなぁ。


「せっかくの才を振るう前に潰されるのは嫌なのですよ。しかしながら、奥方様方はその様な些末な事を問題にする方々ではないと確信したために、仕官いたしました。まあ、その際に少し過激な発言は致しましたが」


 サンドラはアンジェリカ殿を見やりながらにこりと笑った……なんか、目が笑ってないように見えるのは気のせいかな。


 それに、いったい何を言ったんだか……。


「……サンドラさん。ロガ王は兵の心や民の心は良く分るお方。戦場の機微も、相応に。ですが、はっきり口にしないと分からないことも多い御人。それは肝に銘じて置くと良いかと」

「ご忠告痛み入ります」


 アンジェリカ殿もにこりと笑ってそんな忠告めいたことを口にし、サンドラは悠然と会釈した。


 ……んん?


 なぁに、この不穏そうな空気?


 これから大仕事あるから、仲良くやってもらいたいんだけど。


 そんな事を考えている合間に、アンジェリカ殿は一礼して天幕の外へと向かった。


「……第一夫人の姉代わりと聞いておりましたが、中々の人物ですね、彼女は」

「そうだな、最近圧が増した気がする……」

「それは気圧されているのでは?」


 そう告げてサンドラは笑いながら一礼して天幕の外へと向かう。


「そろそろ報せが届きましょう。打合せ通りに行動されますことを」


 そんな言葉を言い置いて。


 誰も居なくなった天幕で、一人座して報告を待つ。


 果たして上手く行くのか、行かないのか。


 駄目なら駄目で早急に次の手を打たねばならないし、上手く行くならば打合せ通り行わなければならない。


 この待っている時間と言うのが胃に来るんだよなぁ……。


 相変わらずキリキリ痛み出しそうな胃の辺りをさすりながら小さく息を吐き出すと、天幕の入り口が開き、誰かが入ってきた。


 報告かと身を固くするが、見慣れた金髪と緑の双眸に力が抜けた。


「大丈夫、ベルちゃん。お腹痛くしてない?」


 胃が痛いなんて話はそんなにしていないつもりだったんだが、彼女は察したのかそんな事を言う。


 驚きに目を丸くしながら、私はちょっとと言うとそうだと思ったと革袋を差し出してきた。


「ドランが作った薬草茶だよ。少し苦いけど胃の辺りを落ち着かせるんだって」

「それはありがたい」


 そう言って革袋を受け取ると、ふいに気付く。


「コーちゃん、その傷……?」

「ああ、頬の? ……傷に見える? こうすると格好良いかなって思ったんだけど」


 頬に走る一筋の裂傷。


 古傷のようにも見えるが、コーデリアの頬に傷はなかった。


 そんな化粧があるのかと受け取った薬草茶を飲む。


 途端……!


「ぐっ…………苦っ!」

「だから、苦いって言ったじゃん」


 笑いながら滑るような動作で傍らに来たコーデリアは少し屈んで、座っている私の肩を抱きしめた。


「ありがとう、ベルちゃん……」

「え? ん、急にどうしたの?」


 思わぬ行動と言葉に少し狼狽しながらコーデリアを見やって、不意に気が遠くなった。


 気づけば私は一人天幕の中で椅子に座していた。


 革袋も持たず、サンドラが去った時と同じような格好で。


 夢か?


 首を傾いだところで兵士が駆け込んできた。


「ロガ王! ロスカーンが前線に!」


 待ちに待った報告に私は即座に頭を切り替えて。


「それでは、機を計り撤退する! 総員に準備せよと伝えろ!」


 そう指示を出していた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る