第42話 演説
右翼に取り付いていた帝国軍は撤収を始めたが、リウシス殿と戦っている帝国軍は退却命令を拒んだようで、執拗に攻めている。
敵の指揮官らしき存在がほぼ孤立している状況を手をこまねいて見ている訳もない、か。
その数は二百前後の小集団、それがリウシスらを取り囲んで攻め立てていた。
小集団とはいえ、それは軍隊という規模で考えればだ。
二百人の集団は数が少ないこちらには脅威だ。
「ここで殺せ! 逃すな!」
この集団を指揮しているらしい兵士の声が響く。
兵は潰走した、が、それは戦力外になったわけじゃない。
指揮官が健在ならば逃げた兵士をまとめて再び脅威になることを知っているのだろう。
「シグリッド殿、指示を飛ばす兵士を強襲する」
「心得た」
私たちはリウシス殿の背後へ向かって走っていたが、大きく迂回して小集団の背後に回り後方から二百の集団に突っ込むことにした。
そして、指示を出す兵士を倒し、集団に一撃を加える。
よくよく考えれば、注意が別に向いているとは言え二百人の集団に、たった二騎で突っ込むとか正気の沙汰ではない。
そのうちの一騎はあまり役に立たないしな。
だが、先ほどの騎兵の突撃を間近で見ていた所為か、色々と麻痺したまま私とシグリッド殿は二百の集団の後方を突いた。
「て、敵襲!!」
「敵騎兵の大部隊が迫っているぞ!」
背後から襲われ、悲鳴のように敵襲を告げる兵士の声に乗じて私も声を張り上げた。
騎兵の大部隊は未だに帝国騎兵を無力化するのに忙しいから来るはずないんだが。
勝利を確信し戦功を前に猛っていた心に冷や水をぶっかける役割は果たせただろう。
「敵は少すっ!」
少数だと声を張り上げようとした兵士がシグリッド殿に切り捨てられた。
まあ、どう言ったところで混乱が生じ始めれば押さえ込むのは無理だ。
それに、僅か二騎の奇襲とは言えそのうち一人は勇者様だからな。
紫色のオーラを纏った刃が、迫る敵を逃げる敵を選別せず、間近にいる全て切り裂く。
アルスター会戦の時も思ったけれど、頼もしいなぁ、本当に。
私はシグリッド殿に追随するだけで敵集団の内部に食い込んでいけるのだ。
そして、突如の後方からの敵襲に対抗しようと指揮する兵士が声を張り上げたところで、リウシス殿やその周辺が反撃を強める。
……勝利が間近であったのに、一転して挟撃された兵士の心境はどうなるか。
これが局地的な反撃であるにせよ、その矢面に進んで立ちたい訳はない。
誰も勝ち戦で死にたくないものだ。
勝利とは、生きている者にのみ、実利的な栄誉が注がれるのだから。
名ばかりの栄誉など貰って嬉しい兵士もいないだろうさ。
それは、この場でリウシス殿を攻めていた連中にも適用される真理だ。
どういうことかと言えば、この小集団も瓦解が始まったということだ。
指揮する兵士をシグリッド殿が一刀で切り伏せれば、もはや瓦解を阻むものはない。
こうして、リウシス殿と合流できた頃には、右翼に取り付いていた帝国軍は完全に撤退していた。
……あれはどう言う事なんだろうな……、そんな疑問は半日後には氷解する。
潰走した中央の兵士や、右翼左翼の兵士を取りまとめている最中に齎された情報によって。
※ ※ ※ ※
私はその時、再集結して築いた陣の天幕で我が方の損害は全体の七パーセントほどの七千人だと言う試算に目を通していた。
左翼の精鋭たちが七百前後、三百が騎兵、残りは概ね中央の陣の兵士たちが死んだり、戦えなくなった。
負傷者はさらに多かったが、戦える連中は戦力として数えている。
壊滅的ではない、立て直しは効く……が、中々の損害だ。
「間に合ったか」
響く声の主はメルディス。
別の所要、帝都に対する情報かく乱の任に付いていた筈のメルディスが、私のいる天幕にやってくると開口一番にそう言った。
「あの帝国の動きはメルディスが?」
私が驚きながら問いかけると、メルディスは胸をそらして言い切った。
「応ともよ! 儂のみならずリウシス殿のところのカティアにも力を借りてな」
「盗賊娘の?」
最近姿を見ないと思っていたが、メルディスの所で働いていたのか?
「勝利を投げ出させるとは、どんな流言を?」
意気消沈して、なおかつ疲労困憊しているリウシス殿は今は休んでこの場にはいない。
問いかけたのは試算を手にしてやってきていたシグリッド殿だった。
「ロスカーンが確固たる信念をもっておれば、成す術はない。だが、人は早々変われない。生来持ち合わせておる猜疑心や嫉妬心を刺激すれば……」
「……つまりは、いつもの?」
「まあ、そうじゃ。カルーザス将軍が相対するだけで攻めあぐねているベルシス・ロガはやはり凡将。今までは運が良かっただけで、化けの皮が剥がれた。後は誰が戦っても結果は同じ……とな、太鼓持ちの名ばかりの将軍の虚栄心を突っつきまくったのだ」
さんざんな物言いだな、おい。
しかし、太鼓持ちの名ばかりの将軍となるとコンハーラ辺りか?
なるほど、例えば女スパイを使って直接皇帝に言い含めるよりも、よりガードの緩そうなその取り巻きを言い含める方が容易く、虚栄心を刺激されたそいつは自分の為にせっせと働くと。
……一体どうやって言い含めたのかは考えないようにしよう。
その辺の裏はおおよそ分かるから。
「私のことをいつでも倒せる敵という風に周知したおかげで、あの場面でも兵が退いたか」
苦笑を浮かべて告げれば、メルディスは悪びれもせずにそうだと言い切った。
馬鹿にされるのは面白くないが、実利が得られるならば我慢もするさ。
それに、おかげで命拾いをしたのだから。
「貴君の策には感謝している」
「儂自身には!」
「……感謝してます」
そうだろう、そうだろうと胸を張るメルディスだが、まあ、今日は言わせておこう。
帝国軍の撤退の理由を聞いていた所に、諸兵の確認を済ませたアーリーが天幕にやって来る。
「王よ、大部分の兵士の存在を把握した。皆、貴方の下知を待っている」
「……信賞必罰は武門のよって立つ所、か」
そう呟けば、私は天幕を出る。
空には星々が輝き、昼の凄惨な戦が嘘のように瞬いていた。
※ ※ ※ ※
私は、兵士たちの前に姿を現す。
かがり火に照らされた彼らの姿は一様に疲れているようだった。
当然だ。
「我々は三柱神と己の運に感謝せねばならない。レヌ川をめぐる攻防もアルスター会戦も大きな被害を出さずに勝利してきたのだから。思い返せば常に不利な情勢での戦いを覆してきた我々だ」
疲れた兵士たちを慰撫してやらねばならず、まだ終わりではないことも同時に示すために私は彼らに語る。
「魔王の軍勢やカナトスをはじめとして諸国の協力も取り付け、彼らは未だに味方のままだ。運命は帝国のために働いたかもしれないが、我々は常に運命が道を誤らぬように手を差し伸べ、わが方へと引き寄せてきた」
語るも空気は大きく変わらない。
当然だ、この程度の言葉で彼らが奮起するはずもない、戦いの前ならばともかく、派手に負けたばかりなのだ。
「今回の不運の責任は……私に帰すだろうか? 考えてもらいたい、この戦いの中ですら私はカルーザスの策を見破り、騎兵の運用を封じ込めたばかりか最後の最後まで前線に立ち、今回の不運を払拭しようと試みた。また、ここに至るまでにも貴君らの気力を損なわぬように臨戦態勢を解かず、さりとて負担をかけすぎぬように配慮もしてきた。戦に勝ち、援軍を揃えたのも、貴君らとともロスカーンの治世を拒んだためである」
責任転嫁と後世で言われるだろうか?
後世の歴史家なんて視点を気にしているならば、こんな事は言わないんだろうな。
だが、はっきり言えばそんな視点は知った事か!
私は今を生きるのに忙しい!
ここで兵士が気概を取り戻さないとこの身の破滅どころか、一族郎党……いや、目の前の兵士たちとて破滅なのだ。
戦う気概を取り戻させなくてはならない。
その為にはどんな詭弁だって用いるし、どんな手段だって使ってやる!
「今回の不運の大元は貴君らの混乱、誤解、突発的な出来事に対する対応の誤りだ。しかし、これとて貴君らが今一度立ち上がり力を合わせれば挽回可能な出来事に過ぎない。……なるほど、我々は敗れたが壊滅した訳ではない。生きている! 生きてここにいる!」
私の言葉は賭けだ。
ここ一年で随分と危ない賭けばかりしてきた気がするが、こいつもとびっきりの賭けだ。
ここで兵士が激怒すれば我が身の破滅、奮起しなくても我が身の破滅……。
私はそうさせるに足る存在だったかが如実に試される。
「ならば、今の現状を覆そう! この先も生きていくために! その為には、戦線の維持を放棄してしまった者たちも再び戦う気概を取り戻さねばならない」
私が演説を終えると、兵士たちは皆黙ったままだった。
だが、中央の陣に属していた兵士たちが声を上げる。
「王よ! ベルシスよ! 我らは敗戦の先鞭となった! 指揮官を置いて逃げた! どうか罰を!」
熱意、悔しさ、恥ずかしさが奔流のように流れ出た。
来た!
これだ!
この自発的な高揚がなければ、私は終わっていただろう。
だが、彼らは発したのだ、ある者は自身に怒り、ある者は悔しさに涙を流して叫んだ。
「否」
だが、私は喜びをかみ殺して務めて冷静にその要求を突っぱねる。
彼らは律を叩きこまれた元帝国軍人が多い。
指揮官を置いて逃げたという不名誉が、彼らを苛む。
「ならば! 今すぐ敵の所に戻してくれ!」
「できない」
「王よ! 指揮官を捨て逃げた我らは!」
「今は堪えよ。その心が真であるならば、すぐに名誉を挽回する場は来る」
中央の陣に属していた兵士たちも、それ以外の右翼や左翼に属していた兵士たちの目に力強さが戻った。
「汚名を返上し、名誉を挽回する日は近い。今の帝国は勝利の活用法を知らぬ。次に我らは勝ち、存分に勝ちというものを活用してやろうではないか!」
そう勇ましいことを口にしながら、兵士たちが気概を取り戻してくれたことに、私は心底安堵していた。
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