第41話 潰走からの……

 両軍が対陣してしばしの時間が過ぎる。


 カルーザスは包囲殲滅を狙っているはずだが、軽々とは動かない。


 有利な地形、馬防柵などの対策もしっかりした陣から無理な攻勢には打って出なかった。


 帝国にとってすれば戦が長期化して不利になるのは私であると知っているからだろう。


 だからと言って、さすがに私もこの状況下で攻撃するのは憚られる。


 仕方なく、撤退の指示を出す


 が、無論、これは偽装の撤退だ。


 カルーザスが見抜いた所で他の兵士たちは功名心や戦を終わらせたい一心で進軍を懇願する。


 否とばかり伝えては士気に関わって来るし、一部が突出してやられてしまえば、その分私が有利になる。


 もしこれがカルーザスの子飼いの兵士ばかりであれば乗って来なかったかもしれない。


 だが、尋常ではない騎兵の数を考えるまでもなく、集められた兵士はカルーザスの子飼いの兵よりも圧倒的に多い。


 動かない指揮官を惰弱とそしる、かまでは分からないが、不満をため込むのは容易に想像できる。


 兵が増えたら増えたで苦労が伴うことは、私も十分に経験している。


 自分がやられて嫌なことは、相手にもやってやろうという精神は平時は碌なもんじゃないが、戦時には重要だ。


 兵糧を積んだ荷馬車を数台、敵からよく見えるように横切らせて背後へと移動させれば、カルーザスも動かざる得なくなった。


 こうして、ようやく戦いが始まる。


※        ※        ※        ※


 帝国軍の数多の騎兵が土煙を上げながら迫って来る。


 その圧というか、迫力というか、凄まじいほどだ。


 それがこちらに向かって一直線に来るのだから……ああ、いやだ。


 だが、もはや胃が痛いとか言っている暇はない。


「手筈通りにいくぞ! お前たちと私の勇気がここで試される!」


 わが方に迫る騎兵を見据えながら、私の目の前で陣取る八千の精鋭、重装歩兵に声をかけると、彼らは口々に雄たけびを上げた。


 迫る騎兵の恐怖に飲まれないように。


 その視線の先では二万の騎兵が降り注ぐ矢を物ともせずに突っ走って来る。


 怒号のように馬蹄が大地を揺らす。


 死ぬかな、死ぬかもしれないな……だが、ただで死んでなるものか!


 自分を奮い立たせ、歩兵指揮のブルーナに頼むと告げると、彼は槍を構えろと大きな声で指揮を始める。


 迫る騎兵は迫る死だ。


 ああ、もう、やだな、畜生!


 自分が震えているのが分かるが、まっすぐに敵の騎馬隊を見据える。


 カルーザスが前線にいるならば、醜態は見せられないしな。


 そう腹を括ったところで騎馬と歩兵がぶつかり合った。


※       ※       ※       ※


 酷い有様だ。


 転げ落ちる騎手、踏みつぶされる歩兵。


 血と泥と怒号と死がこの場所を支配している。


 精鋭たる重装歩兵はこれで何度目の突撃を食い止めただろうか、まだ二度くらいか? それとも数えきれないほど?


 時間の感覚がよくわからなくなっている。


 まだか……まだなのか?


 気ばかりが焦る中、敵前を横断してくるはずの六千騎の騎兵を心待ちにする。


 歩兵がまた倒れた。


 退かずに勇敢に戦い。


 これが正しかったのか?


 これで良かったのか?


 分からないままに時間と命が失われていく。


 私は、いても立ってもいられずに軍旗を持つ旗手から軍旗を奪うように受け取り、大きく振るいながら兵士を鼓舞する。


 当然目立つから、敵騎兵もこちらに狙いを定める。


 早まったと思わぬでもなかった私の目に、ようやく待ち望んだ存在が映った。


 騎兵六千騎による横っ面からの一撃。


 慌てふためくような二万の騎兵だが、まだこんな物じゃない。


 これから、この騎兵たちを無力化するのだ。


 二万という騎兵が威力を発揮するために必要な空間を殺すのだ。


 つまりは、耐えしのいだ歩兵とやってきた騎兵を用いて帝国騎兵を囲う柵を作る。


 一度横合いから殴られて足が止まった騎兵相手ならば出来ないことではない。


「囲め!!」


 ブルーナが歩兵を指揮する。


 足が止まった帝国騎兵を取り囲むようにと。


 帝国騎兵は体勢を立て直そうとする動きを見せるが、一撃加え離れていくこちらの騎兵の群れから矢が飛び込んできて、再度慌てふためいた。


 カナギシュ騎兵が矢を射かける速度は速い。


 騎兵が矢を放つ事は帝国では常識ではないので、思わぬ攻撃で一層慌てたようだ。


 これは、いけるんじゃないか?


 その思いの通りに重装歩兵の包囲に、一撃加えた騎兵が馬首を翻して包囲に加わりだせば、カルーザスの策はほぼ潰えた。


 その筈だ。


 なのに、何故これほどに嫌な予感が消えないのか。


 包囲はなり帝国騎兵は碌な抵抗もできないままに倒れていく。


 少なくない数の騎兵が逃げているが、ばらばらに逃げているので脅威にはなりにくい。


 騎兵はまとまってい運用しないと意味がないのだから。


 だと言うのに、何故だと私は周囲を見渡し、騎手を失ったがまだ逃げていない馬を見つけ、そいつに飛び乗った。


 馬は多少暴れたが、すぐに言うことを聞いてくれた。


 馬に乗った分高くなった視界で全軍を見渡し、慄然とした。


 中央の陣が突破されかかっている。


「あそこを突破されては!」


 中央が潰走すれば、次は右翼が。


 川に沿って布陣している右翼が包囲される。


「あとは任せた! 私は中央に向かう!」


 ブルーナに声をかければ、私はそのまま馬を走らせて中央の陣へと向かった。


※      ※      ※      ※


 迂闊だった。


 リウシス殿は有能な男だが、将としての経験は浅い。


 当たり前だ、将軍の真似事をやらされたのは去年からだぞ!


 私が巻き込み、私が押し付けた仕事を彼は全うしてきた。


 だから、甘えてしまった。


「そうじゃないだろう!」


 仕事を頼むのならば彼にもしっかり補佐をつけるべきだったのだ。


 リウシス殿の如才ない仕事ぶりにすっかり油断していた自分をどやしつけながら馬を走らせる。


 相手はカルーザス、並みの将でも持ちこたえるのは難しい。


 ましてや、勝っている時というのは兵士も言うことを聞くが、負けだすと勝手に逃げ出すこともある。


 リウシス殿は接戦を繰り広げたことはあるが、負けが込み始めた戦は初めてだろう。


 そうなれば兵士はどうするか? 生き残るために逃げを打つやつも出てくるし、その動きは連鎖する。


 ましてや精鋭という精神的支柱のいない場合は特に。


 寄せ集めなのはカルーザスだけじゃない、私の方だって寄せ集めじゃないか。


 それを忘れていたのか? それとも勝ちに目がくらんで見えていなかったのか?


 ともあれ、リウシス殿やその仲間たちをこんな所で殺させるわけにはいかないし、右翼を、コーデリアとアーリーをやらせる訳にもいかない!


 気ばかりが焦る私の背後から声がかかる。


「ロガ王!」

「シグリッド殿!」

「露払いは致しましょう!」


 背後を見れば白銀の髪を揺らしたシグリッド殿が見えた。


 私が一人中央に向かったことを察知して追ってきてくれたのだろう。


 正直頼もしく、少しほっとした。


「中央の陣は手遅れでは?」

「リウシス殿は一人奮迅しているならば回収せねば」

「リウシスはそう言う所がありますからね。頼られると嬉しくなる性分のようですし」

「普段の振舞いからは想像つかんが」


 軽口を叩きながら冷静さを取り戻す。


 この戦は負けだ。


 だが、この負けをどの程度に抑え込めるのかで私のこの先も決まる。


 中央の兵は潰走だ。


 中央を突破した敵軍は右翼の背後に回ろうとしたが、不意に撤収を始めた。


 なんだ?


 なぜここで撤収する?


 完全なる勝利を目前になぜ?


 混乱しながらも、数名のみで戦い続けていたリウシス殿の一団を見つけた私はそこまで駆け寄った。


 負けはしたが、天に見捨てられたわけではなさそうだ。


 ならば、この先どう挽回してやるか……。

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