第37話 竜の魔女

 冬は一層その寒さを厳しくしている。


 それは新たな年が来る時節の到来を意味していた。


 その頃になれば、多くの者達が戦の終わりが何であるのか知れ渡っていた。


 私が帝都に侵攻を掛け、奪う事で帝国を遷都させる意図を持っている事を。

 

「陛下、それを全将兵に説明して頂きたいのです」

「せねばとは思っていたが……」

「まさか、大将。言えば、後戻りが出来ないとか考えてないよな?」

「そう言う訳でも無いが……」


 元ベルシス軍団の古参兵を取りまとめる者達が私の前に立ち、求めている事。


 それは、作戦目的を将兵を前に説明すると言ういつもやっていた事柄だ。


 どういう意図で行う戦いかを全将兵に知らしめ、士気の高揚を図る。


 それに、終わりが何処なのかはっきりしていれば、そこに向かって邁進できると言う物だ。


 本来はもっと早い時期に行うべき事柄を、私は行わずにいた。


 外交やらの忙しさにかまけて。


 実の所、それを宣言してしまえば帝国との決戦が避けられない事に怖気づいた、訳ではない。


 そんな物は魔王と交渉しに出かけた時から覚悟している。


 問題は、私欲で戦う私に兵士が付いて来るのかと言う不安だ。



 私が保持する兵数も大所帯になった。


 通常時の飯や給金、それに兵舎と言うか、兵が住まう場所の確保も毎日の仕事の内だ。


 流石にレヌ川付近に居住地を建設するのはまずい、そこに居住地を作るのは戦が一段落ついてからだ、とか。


 戦が一段落ついたら兵数をここまで削減し、退役した者が開墾できる土地の選定だとか、進めている。


 私の支持基盤と言うと少し違うかもしれないが、今ここに居る兵士達がいなければ、私は王足り得ない。


 為政者になってしまった以上は、自分に出来る最善手を打ち、彼等に報いると頑張っているのだが。


 いかんせん、人は頑張る姿よりも結果を求める物だから。


 今の状態で兵士達は先の希望を見出しているのか、私の方針に間違いは無いのか不安が付き纏う。


 大体、為政者の仕事なんて慣れないし。


 そんな中にぶち上げる帝都攻略である。


 不安を感じない筈もない。


 ただ……もうだいぶ知れ渡っている。


 ここらで正式に発表しないと、流石に諸々問題が生じる。


 つまらない疑念が生まれても良くない。


 だからこそ、政務に忙しくしている私の前にゼスとブルーナが。


 ベルシス軍団の騎兵隊長と歩兵隊長がわざわざやって来たのだ。


「分かった。確かに悩んでいても仕方ない、方針は定めたのだ、腹を括って皆に伝えるか」

「どうせ、敵にも知れ渡っているでしょうし」

「だよねぇ……」


 方々に広まっている以上は、帝国軍にも私の目標はいい加減伝わっているだろう。


 いつまでもうだうだと悩んでいても仕方ない。


 そう言う訳で、二日後には全軍に最終目標が帝都の陥落である事を伝えた。


 空気がやはり引き締まった様に感じる。



 そんな事をしていたら、いつの間にか年の瀬だ。


 三柱神の一柱、連環の黒太子ブラック プリンス オブ ザ リングが世界を紡ぐ糸車を一周させると同時に年が明けて新年が来るとされている。


 流石にこの時期は帝国軍も目立った動きはない。


 と言うか、未だに軍の編成の動きも無いとか如何なっているんだ?


 粛清の嵐と言う訳でも無さそうだが……気は抜けないな。


 そんな事を考えながらバルコニーで椅子に座って外を眺めていた。


「ベルちゃん、難しい顔しているね」

「……そりゃ、まぁ……」

「折角アーちゃんがお菓子作ったのに食べないの?」

「いや、そのな……随分と仲良くなっておりますね、お二方」


 さて、悩みの種の一つと言うか、家庭内の悩みと言うか……まだ家族になり切れていないと言うのか。


 ともかく、今私がコーデリアの言う難しい顔をしているのは、帝国の動向についてではない。


 第二夫人たるアーリーがガームルのお菓子を作り、それをコーデリアがぱくついているからだ。


「喧嘩しているよりは良いでしょ? それにベルちゃんが言ったんだよ? 剣と盾って。剣も楯も喧嘩しないよね?」

「それで感情を押し殺したりしてなきゃ良いんだがね」

「心配には及ばない、俺もコーデリア第一夫人も」

「コーちゃん! 或いはコーちゃん夫人」

「何だそりゃ?」

「良いじゃん」


 相変わらずコーデリアは無茶苦茶な呼び方をさせる。


 一つ嘆息しながら大きさも形も不揃いな菓子を手に取り、食べる。

 

 穀物を荒く挽いた粉の中に砂漠に生える木の実を乾燥させたものを中に混ぜ込んで焼いたと言うガームルの菓子は美味かった。


 最近使いっぱなしの頭に栄養が行き渡る感じがした。


「うん、美味いな」

「そ、そうか、ベルシス王にそう言って頂けるとは光栄の極みだ」

「いや、一々片膝つかなくて良いから……」

「アタシも何か作ろうかな」


 対抗している訳では無いんだろうが、コーデリアがそんな事を言う。


 空気がギスギスしている訳じゃないけれど、ないけれど……なんか胃が痛くなってきそうだ。 


 そして、この二人の伴侶と共にいると疲れるんだよなぁ……。


 全く気の休まる場所が無くなった感じがする。


 浮気する男は阿呆だと思っていたが、こんな状況から逃げ出そうとしての行いだったのかも知れないな……。


 ただ、ここで逃げては誰も幸福にならない。


 それに私は浮気をする程の甲斐性とやらも無い。


「リチャード! 折角の美味い菓子だ。テスの茶があっただろう、持ってきてくれ!」

「心得ました、ご当主様」


 私は少し離れた所で控えていたリチャードに声を掛け、二人の伴侶を見やる。


 リチャードがこの場から去る時に、微かに羽根の音が聞こえたが、鳥でも飛んでいたのだろう。


「美味い茶を飲みながら美味い菓子でも食って、腹を割って話すのも悪い事じゃない」

「……確かにそうじゃ。腹を割って話さねばなるまいな」


 そこに全くの第三者の声が響く。


 喋り方はメルディスに近いが、その声音の響きはより不穏。


「エルーハ」


 私がその名を告げると同時に、コーデリアもアーリーも身構えていた。


 流石に戦場でないので剣は帯びていなかったが……。


「暗殺か?」

「腹を割って話す、そう言ったはずじゃが? 古龍が戻るまでの短い時間だがな」 

「リチャードがあんたを見たら、真っ先に斬りかかるだろうな」

「あの爺は頑固でいけない」


 相変わらずゴテゴテとしたドレスの様な服装のエルーハだが、その力は絶大だ。


 竜人と言う連中は基本的に個の能力が高く、概ね使い手だ。


 私を殺す気で来たのならば、当の昔に何らかの手段を講じている筈だ。


 故に、私は二人の伴侶に落ち着くように声を掛けて、エルーハを見据える。


「あの時、私達にロガ領の事を教えたのは、他国に逃げ出させないためか?」

「帝国内に留めて置けば、如何とでもなると踏んだのだがな。ふん、カルーザスの読みの方が正確であった。化けたものだな、ベルシス将軍」

「帝国が亡ぶは大げさだ」

「奴は皇帝に言いおったわ。竜が大海に放たれれば、その広さに相応しき働きをするとな」


 それでは、ロスカーンが警戒する一方じゃないか。


「現に帝都攻略まで考えているそうではないか、ベルシス将軍」

「ロスカーンが相手ではそこまでせねばなるまい。言いたくはないが、カルーザスが帝位について和平に応じてくれれば私はそれで良いのだがね」

「それよ」

「無理だ。カルーザスが応じるはずがない」

「……」


 エルーハはそんな密約を得るために来たのか?

 

 カルーザスが裏切る筈が無い事を知っているだろうに。


「皇帝は再びカルーザスを、我が愛し子を遠ざける。最早勘弁ならん」

「愛は盲目か? カルーザスはロスカーンが死ねと命じれば死ぬ。奴の性分は知っている筈だ」

「何故、あんな男の為にカルーザスが!」

「あんな男でも殉じるのがカルーザスだ。星の巡り合わせか、ロスカーンがカルーザスを軍人として推してしまったのだ。今の地位は全てロスカーンのおかげと奴は本気で考えている。だから……殉じるのだ」


 もし、万が一、ロスカーンが市民を殺せとカルーザスに命じたらどうなるか?


 きっと、奴は殺してしまうだろう。


 それが己の名を汚す行いと知っていながら。


「ベルシス、貴様でも無理か……」

「アンタで無理な物を私がどうにかできる筈がないだろう! しっかりしろよ、竜の魔女! ……私が出来る事は奴と戦場で決着を付ける事だけだ」


 越えられるとは思えない。


 それでも越えなくてはいけない壁。


「――邪魔をしたな」

「次は戦場か?」

「或いは暗殺現場か」

「カルーザスの奇襲を生き延びた私だ、早々殺せると思わぬ事だ」

「……ははっ、本当に化けおって。古龍の教育は見事花を咲かせたか」


 いつも超然ちょうぜんとしていて、竜の魔女とまで呼ばれた女が肩を落として悄然しょうぜんと告げる。


 そして、来た時と同じようにバルコニーから唐突に飛び去って行った。


「……竜のお姉さん、苦しそうだったね」


 コーデリアがぽつりと呟く。


 確かに辛そうではあったが、これすらこちらを油断させる罠かも知れないと身構えているのだから、我ながら碌な物じゃない。

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