第32話 三将軍撤退と仮初の平和

 リウシス殿の策は正攻法と言えば正攻法であった。


 が、一方で情報と兵の挙動、そして人間の心理を突いた策と言えた。


 古来より、兵を包囲する際は一を欠く事が重要とされてきた。


 何故ならば、逃げ場があれば兵は其処に殺到するが、逃げ場がなければ死を覚悟して、命を捨てて戦うからだ。


 死力を尽くしてこそ、生き残れる芽も出てくる。


 だからこそ、包囲は一を欠くのだ。


 或いは黄金の橋と言う呼び名でも構わないが、それを実行しようと言うのである。


 問題は敵の数がほぼ同数である事だが、これは帝国軍の陣中で育まれている疑心暗鬼を用いて解決することを提案してきたのだ。


 その話を聞いた時は、人の事を散々悪辣だとか言っていたその口が、それを成せと告げるのかと少し呆れた。


 コーデリアなどは露骨に顔を顰めていたが、メルディスは乗り気だった。


 まあ、彼女の腕も借りなければならず、力の見せどころであるとでも思ったのだろう。


 何を成すか? これも簡単だ。


 ずっとメルディスが帝国軍陣中に流言をばら撒き、離間策を行っているが、その矛先を不意に変えると言う者だ。


 例えばある地方の者達が、私に与しようとしている。


 或いはどこそこの軍団に居た者が私と与しようとしている。


 幾つもの流言を同時に流し、この意見以外のは敵がかく乱のために流した策だと言うのである。


 どれが真実でどれが嘘か? 傍から見ればすべてが嘘なのだが、当事者となってしまえば全く分からない。


 数カ月の長きに渡って、帝国中枢と軍団との間にくさびを打ち込むべく動いてきた。


 その総仕上げとして、疑心暗鬼の総進撃と言う訳だ。


 そこに突如我が方の軍が包囲を開始したらどうなるか?


 しかも、完全な包囲殲滅戦を敢行しようとしている、となれば?


 兵数にそこまでの差が無いのにそんな事をあのロガ将軍が行うとは、やはり噂は本当では? と思わせ、戦わずに包囲が終わっていない箇所に兵士が殺到するように仕向ける。


 この策の肝は私自身の消極性と言うか、慎重さすら流言の種にしている所だろう。


 事実、私が自分で考えて軍を動かすなら、敢えて包囲作戦なんて行わない。


 と言うより、冬季に作戦行動に打って出たか分からない。


 それが動くとあれば、かなりの勝算を持っているに違いないと考えてくれると良いんだが……。


 ともあれ、このまま近場に居られても動きを疎外されて面倒であるため、三将軍にはお帰り頂こうと作戦を実行する事に決めた。



 結論から言えば、目論見は上手く行った。


 帝都方面への道をあけて、反帝国軍は包囲しじっくりと包囲網を狭めていくと、当初は持ち堪えようと言う動きもあった帝国軍だったが、水が低きに流れる様に兵士達が逃げを打ち、陣としては瓦解した。


 追撃を加えれば大戦果となっただろうが、不用意な攻撃は控えさせた結果、大部分の兵士達は帝都へと逃げ戻っていった。


 正直、彼等が道中で略奪などしないと思いたいが、それを保証する何某かはない。


 三将軍の統制が其処まで崩れていない事を願うが、その一方でギザイア

を慌てさせるには、多少の略奪があった方が良いとまで考えたのは事実だ。


 無論、誰にも告げたりはしないが、流石にこれは自分本位過ぎる。


 この先、私自身の思うような展開になったとしても、今度は勝利を積み重ねすぎて頭がオカシくなる可能性も考慮する必要があるのかと思うと眩暈を禁じ得ない。


 王になると言う事は、自国の領土を守る為には悪鬼にもならねばならないと言う事かとげんなりする想いだ。


 しかし、事態は私の想いとは裏腹に進む物で、帝都に戻る間に略奪等は起きなかったが、糧食の提供や戦費に充てられる税の徴収に所領は倦み疲れていた。


 そうなると、事の発端であるロガ領に対して激しい怒りを抱く者達も現れるが、皇帝の政治に対しての怒りの方がより顕著に表れた。


 本来ならば、この辺りで手打ちとして、和平の交渉でも始めたいところだが、それは問題の先送りでしかない。


 いや、問題の先送りも時間稼ぎが必要であればするべきだが、今の私には悪手でしかない。


 大帝国であるゾス帝国に期間を与えると言う事は、一時でも軍事的優位となった今の立ち位置の放棄にしかならない。


 それに皇帝の方により民の怒りが向く状況下、一時とは言え帝国の大兵力を押し返した私の名が、十分に恐れられている内に次の手を打つのが上策と言うものだ。


 そう思うのだが……。


「和平の提案?」

「そうじゃ。相手がそれを飲むならば、此方の準備を進める時間が得られ、飲まぬならば、非は相手にあると諸国にはっきりと示せる」

「ゾス帝国に時間を与えれば、勝てる物も勝てなくなるぞ」

「そこの見極めが難しいが、機が来たら一気に攻め込むのだ。その機を読み間違えるとこちらが滅びかねんがな」


 三将軍の撤退して数日と経たずに、メルディスが和平を提案すべしと告げて来た。

 

 一時の時間は欲しいのは当然だ。


 ロガ領と帝国を結ぶ要所に作っている要塞は未だ建設中だし、兵の休養も十分とは言い難い。


 だが、交戦しない時間があれば有利なのは帝国ではあるまいか?


 広大な領地と生産能力が生み出す資金を馬鹿にする者は居ないだろう。


 その帝国に敢えて時間を与えようとでもするような策、私でなくとも悩み所ではないだろうか。



 だが、結局私は和平の提案をする事にした。


 さて、帝国がどういう動きをするのか、その内情はどの程度なのかを和平提案の結果を見て測ろうと考えた訳だ。


 この時間稼ぎ以上の価値のない平和を欲するか否かで、その力が衰えているのかを知れると言う物だ。


 私が和平の使者を送ると、帝国は喜び勇んで和平に応じた。


 その為私は、帝国が想像以上に苦しんでいる事を知れたわけである。

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