第20話 アルスター平原の会戦 顛末

 すぐ間近で、石弾ストーンバレットが着地して、砂埃を巻き上げ大地を抉った。


 その脇を駆け抜けると、直ぐに火矢ヒートアローがすぐ傍を過っていく。


 背後で悲鳴が上がり、落馬した金属鎧の音が聞こえる。


 そして、山なりに放たれた矢が降り注ぐ。


 借りていた盾を斜め上向きに向けて、頭を庇いながら馬を疾駆させる。


 駆けろ、駆けろ、駆けろ!


 もう第三陣までは僅かなのに、そこまでの距離がもどかしいほど長く感じる。


 と、矢に注意を払っていたら真っすぐ私目掛けて飛んでくる石弾ストーンバレットに遅れて気付いた。


 死んだ!


 そう思った刹那、横から割って入って来た紫色のオーラを纏った刃が魔素マナの産物である石弾ストーンバレットを切り裂いた。


 斜めに切り裂かれた石弾ストーンバレットが、左右に分かれて大地を抉った。


「――た、助かった……」

「露払いなれば」


 石弾ストーンバレットを切り裂いたのは、並走するシグリッド殿であった。


 隻腕の戦乙女の本領発揮と言う所だ。


 ……本当に、助かった……ありがとう、シグリッド殿。


「将軍、間も無くです」


 その言葉を掛けられるまでもない、漸く長いようで短い敵陣への突撃も終わる。


 帝国軍の第三陣が間近に迫っているのだ。


 第三陣の歩兵は槍を構えているのが見て取れるが、一方的に遠方射撃の的になるよりは遥かにマシだ。


 それに陣の真正面から馬鹿正直に突っ込む訳じゃない、機動力を生かして側面からぶち当たる。


 この段になれば彼等の背後に居る弓兵や魔道兵は、攻撃を一旦停止せざる得ない。


 歩兵の陣形こそが騎兵に対して最も有効なのだから、友軍の誤射でそれを崩す訳には行かない。


 だが、私が今率いている騎兵は帝国仕込みの騎兵ばかりじゃない。


 走りながらも矢を放てるカナギシュ騎兵もここに居るのだ。


「放て!」


 ウォランの号令で次々に矢が射かけられた。


 通常の弓兵に比べても射程は短い短弓だが、騎馬民族であるカナギシュ族が使う事でその短さをカバーできる。


 それに、帝国の弓兵に比べてその連射性能は二倍近い。


 間近に迫りつつある敵歩兵陣の一角に集中して数百の矢が放たれると、槍を構えた彼等は慌てふためいた。


 そこに、騎馬が群れを成してぶつかった。



 私自身も懸命に剣を振るって、槍を弾き、兵士を切りつけたが、並走している人物が人物なので程なく武器を振るう必要が無くなった。


 紫色の軌跡が通れば、槍は断たれ、兵士は無造作に逃げ惑うのみ。


 勇者と呼ばれる者の力は、間近で見ればとんでもないものだ。


 まさに、一騎当千、万夫不当。


 確かに一軍を一人で迎え撃つなどと言う無茶は出来ないが、ここぞと言う所に向かわせれば比類なき戦働きをする。


「凄まじいな……」


 思わず感嘆の声が上げるのは当然だと思う。


 シグリッド殿は私の言葉が聞こえたか、此方を向いてにやりと不敵に笑って見せた。


 彼女が今ほどの強さかどうかは分からないが、四年前のカナトスとの戦いに参戦していたのならば……無理に軍を動かせば勝てはすれども被害は大きかったな。


 そんな事を思う余裕が私にできるくらいに、彼女は働いた。


 そして、四年前の戦いを思い出すと、ある種の違和感を覚える。


 ロスカーンは、嫌味こそ言ったが、私を罷免ひめんしようとはしなかったな、と。


 あのロスカーンが悠長な事だと思うのと同時に、あの男、最初の二年間は今にして思えば比較的まともだったなと言う事を思い出す。


 どちらにせよ、馬の合う男ではないが……何だろう、この違和感は。


 蓄積した怒りで何かを見落としているのか?


「ベルシス将軍、お覚悟を!」


 っと、物思いに耽る場合ではない! 横合いから伸びてきた剣の一撃を、真っ直ぐに胸元を狙った突きを、私は無造作に剣で払い除けた。


「これは……正にカルーザス将軍の言う通り、腕を上げたと言う事ですか」

「セスティー・カイネス将軍か……私の方こそ、貴殿は随分と思い切りが良くなったと思うのだが?」


 これが優柔不断と評していたセスティー将軍か?


 茶色の波打つ髪をそのままに、馬上から強い意志の力を宿した青い瞳で私を見据えている。


 今までの彼女ならば、これほど陣に食い込まれたと認識すれば慌てふためいていたであろうに、今の彼女は逆に私と自身の差を考え、我が方の勢いを殺す手段を実行した。


 左側から仕掛けたと言う事は、私の狭まった視覚を利用した攻撃であると同時に、シグリッド殿を避けての事。


 だが、その攻撃は不発。


 言葉を交わしたのは一瞬で、直ぐに互いにその場を離れた。


 騎兵の突撃を単騎で押し返そうなどと言う馬鹿な奴は、帝国の将軍には……いない筈だ。


 ……テンウ将軍はちょっと分からないけれど……。


 あの男の武は、常識はずれな所があるからなぁ。


 それを言ったら勇者一行もそうなんだが……。



 ともあれ、第三陣に一撃を与えた、セスティー将軍が私の傍まで来ていたと言う事は第三陣の司令部まで到達したことを意味する。


 ならば、機動力を生かしたままこのまま去るのが吉だ。


 本来ならば分断した敵を機動力を生かして迂回し、包囲殲滅を目指すが今は違う。


 あくまでこの突撃は助攻だからだ。


 それだからこそ、カナギシュ騎兵が無防備となった魔道兵や弓兵に矢を射かけ、混乱させる間に逃げ出さねばならない。


 逃げねばならないが、司令部を強襲できたことで混乱が生じているだろう第三陣にさらに揺さぶりを掛けなくては。


勝鬨かちどきを上げよ!」

「ロガ軍の勝利だ!」


 私が声を張り上げると、ベルシス軍団のゼスが真っ先に声を張り上げた。


 古くからの部下は本当に心得ていて、頼りになるなぁ……。


 後は、その意を酌んだ者達が一斉に勝利の凱歌をあげる。


 そうなれば、後に続く騎兵連中も勝利の声を上げるのは当然の流れだった。


 勿論、叫びにも似た凱歌を上げながらも戦闘は続いているが、数千の騎兵が凱歌を上げればどうなるか。


 同じ陣に所属していても、右翼と左翼では何が起きているのか分かりようがない。


 第三陣の右翼側面に雪崩れ込んだ我々が、撃退されたのか、それとも司令部が潰されたのか。


 迷っている最中に聞こえたのは、敵が勝利を喧伝する声。


 反発する気力がある者は良いが、そうでなければ混乱が生じる。


 混乱、言い換えれば恐怖が齎す物は恐ろしい。


 数倍の数を揃えた筈の敵が烏合の衆に変わるのを、戦史でも現実でも私は知っている。


 今のセスティー将軍ならばもしかしたら纏め直せるかもしれないが、その頃には我々は離脱している。


「さあ、残敵にかまうな! 皆の援護に戻るぞ!」


 馬鹿正直に撤退するなどとは言わない、当然の事だ。


 揺さぶって、揺さぶって、揺さぶり通さねば。


 こうして、離脱していく我々に第三陣は碌な追撃も出来なかった。


 敵陣から脱して、主戦場に取って返す間だけでも、生きて居ることを実感する。


 季節の所為もあるが、全身にかく汗は冷や汗も混じていた。


 生き残れた……っ!


 そう思えば、漸く風を受けて涼しいと感じるのだが、そんな感慨に耽る間もなく、騎兵の群れは帝国軍の第一陣の後方へと回り込む。


 第三陣の騎兵はカナトス軍に足止めされており、自在に動けず。


 第一陣、第二陣とも接敵した状態。


 コーデリア軍団にベルシス軍団の歩兵や弓兵らが合流した為、第一陣相手に拮抗状態になっていた。


 そこに騎兵の急襲が背後から、である。


 これが致命の一撃となったのは言うまでもない。


 第一陣の兵士が、いかに帝国の正規軍とは言え、敗走を始めだす。


 そうなれば誰も止める手立てがない。


「おのれ! ベルシス! 覚えていろ!!」


 混戦の中、そんなバカでかい声が聞こえた気がするが……聞かなかった事にしよう。


 つーか、相変わらずだな、テンウ将軍は。


 そして、こうなればパルド将軍の動きは自明だ。


 これ以上の戦闘は無益であると撤退を始めるに違いない。


 奴は常に冷静な男だから、益の無い戦いは好まない。


 それに、此方には危険を冒して追撃する余力は、きっとないと踏んでいる筈だ。


 それは正しい。だが、はい、そうですかと認める筈がないじゃないか。


「退けば見逃す! 引かぬならば覚悟を決めよ!」


 さて、私の声が届いたのか否か。


 パルド将軍自身は気にも留めないだろうが、兵士はこう言うのを結構気にする。


 然程間を置かずに出された撤退命令を、第二陣の兵士が、そしてこちらの兵士がどう聞いたかな?


 ――それは私にも分からない。


 分らないけれど、有利になりそうなことは積み重ねておかなくては。



 敵が撤退していく。あの精強な帝国正規軍が。


 ――。


 ――――。


 ああ、生き残った……。


 生き残ったぞ! と叫びたかったが、自省した。



 当然だ、我が方の死者がどれ程いるのか、把握できていないのだから。


 生き残った以上は、死者に対しても責任が付き纏う。


 まあ、仕方ない。それが生きる者の義務だろうから。

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