第17話 会戦へ向けて

「何か、否定すべき事をしなかった気がする」


 リチャードと共に、諸外国へ私自身の立場と状況、それに目的を記した公文書を再チェックしている時、不意にそんな言葉を告げた。


「何事ですかな、若?」

「いや、アーリー将軍に尋問を行った際の事だが……何か否定しなくてはいけない言葉をしなかった様な」


 何か非常に違和感を感じる言葉を言われた気がするのだが……。


 まあ、良いか。


「将は得難い、それなのにあっさりと手放しましたな」

「ガームル王の遺児いじであろう? 私では彼女らを御せないよ。無力化できただけで御の字さ」

「それでは、コーデリア様の働きも無駄になってしまいますな」

「嫌な事言うなよ……」


 リチャードの言わんとする所は分かっている。


 だが、御せない者を手元に置いておくのは危険だし、厚遇して置く訳には行かない。


 それでは、兵士達が納得しないのは明白だ。


 だからと言って殺してしまえば先がない、故に罪の大元はロスカーンにあるとして、ロガ領よりの退去命令を出したのだ。


 再び帝国に戻るのか、何処かに旅立つのかは分からないが……。


「だが……コーデリア殿には謝らねばならんな」

「おや、呼び方が違うような?」

「リチャード、お前もか……」

「いえいえそう言う訳ではありませんよ。ただ、彼女ほど若にお似合いの女性もありますまい。裏表がないのが素晴らしい」

「……」


 そう言えばリチャードは私の縁談を纏めたがっていたな。


 確かにいい加減、妻を娶らねばならん歳ではあるんだが……ロスカーンに疎まれている私を政略結婚の相手に選ぶ貴族は居なかった。


 それ以前には少しは話は合ったようだが、もともと目立たない立ち位置だった為か、そんな話が来てもいつの間にかうやむやになっていた。


 だから、リチャードにとってコーデリア殿は願っても居ない幸運の女神と言う訳だ。


 だが、私は抵抗がある。


 彼女の好意は男女間のそれとも限らないし、何より、私の為に働いてくれた者に対して、その様な感覚で接するのは不誠実に思える。


 と、言いながらも、確かに彼女に惹かれている自分と言うのも知覚はしている。


 こいつは果たして兵を指揮する立場に相応しい感情なのかどうか。


「取り敢えず、この文書、送ってしまった後だが問題はないよな?」

「話題を変えましたな……そうですな、当方の正当性を過不足なく伝えられております。ただ、もう少し強気に出ても良かったのでは?」

「これ位で良い。独立が叶えば諸外国とは色々と付き合っていかねばならんのだから、一時の武威ぶい居丈高いたけだかに接する物ではない」

「若らしいと言えばそれまでですが、今少し欲深であっても罰は当たりますまい」

「援軍の要請の件か? 援軍を出させる程の利を提示できないからな、こんなお願いしかできないが、しないよりマシだろう」


 どれだけ正しかろうと、他国にとっての利が無ければ彼等は動かない。


 分っているだろうと肩を竦めて見せると、竜頭人身の老人は双眸を細めて頷いた。



 増えた兵士の大半は帝国軍の兵士である。


 つまり、ロガ領の兵士と同じ戦闘教義を持ち、同じ戦法に慣れ親しんでいる。


 だから、兵の合流にはそれほどの混乱はなかった。


 弓兵や魔道兵、それに歩兵の一部には魔族が混じっているのだが、彼等は先のレヌ川の攻防で、帝国軍のおおよその戦い方を学んだ。


 帝国軍と共に戦った経験が無いのはカナギシュ騎兵たちだが、彼等は敵として帝国軍を熟知している、故に歩調を合わせる事もさほど難しくはなかった。


 問題は兵数の絶対数が足らない事だ。


 ある程度の金を出せば、傭兵は付くだろう。


 だが、傭兵が大多数を占める軍隊と言うのは、ある種の賭けにならざる得ない。


 何処まで彼等が命令を聞くのか、何処まで戦うかが未知数だからだ。


 負け戦でも最後まで戦い抜く者もいるし、勝ち戦でも被害が出ると逃げ出す者もいる。


 故に外交を重ねて援軍を要請するのが無難なので、一ヶ月は前に先の公文書を送ってある。


 しかし、きっと動くまい。諸外国にまで利を与えられる何かを私は持っていないからだ。


 精々がロガ領の流通経路の安全性の確保と、商隊に対する一部税収の緩和程度しか確約できない。


 これで誰かが動いてくれると良いのだが、期待はできないな。



 ちなみに、カナギシュ族が動いたのは和平合意に及んで族長ファマルの顔を立てた事だ。


 カナギシュ族内部には色々と事情があり、下手を打てば内乱の可能性があったし、今も少なからずある。


 そこで、交渉を重ねていたファマルに相談されて、私が譲歩する形を取った事で停戦に至ったのだ。


 ファマルが腰に佩いていた剣は私からの贈り物だ。


 あれは、ロガ将軍がカナギシュ族の武威に畏れと敬意を表して送ったことになっている。


 そう言った配慮に彼は今回の派兵で応えた訳だ。


 確かに幾つかそんな配慮をした国はあるが、残念ながら全部が全部ファマルの様に義理堅い訳じゃない。


 一国か二国、援軍要請に応えてくれたら御の字と言う訳だ。


 それに、既に帝国軍の三将軍は帝都を出立したと言う。


 馬車で四日の道のり、通常の軍の侵攻であればあと十日か。


 アーリー将軍の様にゆっくり動いてくれると良いのだが、アレは如何やら大型獣と兵士の連携の訓練も途中で行った所為らしい。


 そんな事を行う間もなく出陣を命じられたアーリー将軍も大変だなと今では思える。



 すでに我々は軍を率いてアルスター平原に陣を展開した。


 たかが正規軍三万五千、傭兵一万五千の計五万で二倍弱の敵に会戦を挑むのは愚かな話だが、レヌ川を防衛には今回は使えない。


 雨季が近い中で川を堰き止めたり、渡河の防衛を行っていたらそれこそ大損害を被る可能性もある。


 何せ一日で戦いが終わるとは限らないからだ。


 それに同じ手を使えば必ず負けるのが兵法の常道だ。


 敵が同じ策に常に引っ掛かってくれる訳はないのだから。


 故の会戦、一当たりして駄目ならば撤退し、兵を纏めて防衛戦と言う二段構えの方が幾分安心できる。


 まあ、安心なんて求めて戦えば、負けるのが必定なのだが、ロガの都市ルダイを巻き込んだ戦いをあまりしたくはない。


 都市部を巻き込んだ戦いは、基本的に兵士以外の血が流れるからだ。


 だから、このアルスター平原の戦いで出来れば勝ちを、そうでなくとも痛み分けに持ち込みたい所だ。


 ゾス帝国の正規兵相手に、二分の一の兵力でそれを求めるとは、正気とも思えないが。


 それでも、望みはある。


 三勇者は傭兵にも非凡な才能を見せた事だ。


 シグリッド殿はカナトスの騎士であった為か、機動戦力の運用を得意とした。


 リウシス殿は陣形を巧みに操る才能を見せた。


 そして、コーデリア殿が率いると兵の士気が一向に下がらないのだ。


 一見すると地味な才能かも知れないが、どれも一流の将帥が持つ能力と言える。


 シグリッド殿の場合は、言わずとも理解できるだろうが、リウシス殿のそれはかなりの物だ。


 兵の統率と的確な指示がなくば陣形の運用は難しい。


 それを彼はこの短い期間で物にしたのである。


 ある種のカリスマが垣間見えた。


 そして、その種のカリスマはコーデリア殿も兼ね備えていたのである。


 士気が下がらない兵士等と言う物は、私は見た事が無い。


 訓練であろうとも、通常は士気と言う物は下がって行くものだ。


 そして、私はそれが当然だと思い、運用してきたのだが……。


 私の凡才ぶりをまざまざと見せつけられた気持ちになるが、そんな彼等が味方である事がこの上なく嬉しい。


 この戦いでは、彼等こそが希望である。


 私と言う存在が、例えこの戦の中で消えたとしても……三勇者と兵士達が健在であれば、ロガの地は守りぬけるだろう。


 そう思えばこそ、私はアルスター平原に陣を構えたのだ。



 そして、会戦の日を迎える。


 コーデリア軍団には参謀としてメルディスが付いた。


 シグリッド殿の補佐に私の教育係であるリチャードが、リウシス殿にはカナギシュ騎兵を預けた。


 傭兵が混ざる事でどうしても混成軍の側面は強くなるが、これはどうしようもない。


 数こそが何よりも大事だ、三倍の敵より二倍の敵の方がまだマシなのだ。


 結局、援軍は何処からも来なかったから、この兵数で戦うより他はない。


 元より甘い幻想は抱いていない、最早やるしかないのである。


「各軍団に伝えよ、攻撃開始と」


 私がそう伝えると同時に、開戦前の最後の魔道伝達が各軍団に放たれた。


 さあ、賽は投げられた。


 この戦いの行く末が、私達の未来を決める……。


 ああ、胃が痛い……。

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