第16話 取り込み

 アーリー将軍を捕縛した事により、完全に指揮系統を無くしたカムン領の八万の軍に投降を呼びかけた。


 投降するならば危害は加えない、ロガの旗の下で戦うならば、厚く遇すると。


 どう転ぶか分からない以上は何はともあれ、利で釣るしかない。


 この場合は身の安全と食い物の提供、そして、寛容さが肝心だ。


 我らに付くと言うのであれば無論だが、帝国に忠誠を誓う者にも手出しせず、戻る事を許すのだと手短に皆に伝えてある。


 そう意見を告げた時には反論はなかったが、皆が意外そうな顔をしたのが気になった。


 が、私はすぐにそんな事は如何でも良いと、傷に臥せたコーデリア殿の元へと向かった。


 だが、その日もまだ彼女に顔を合わせる事が出来なかった。



 投降の呼びかけは程なくして効力を発揮する。


 将なく、飯もなく、大儀すら無い戦いである。


 千人からなる大隊長や、十の大隊を束ねて指揮する連隊長達から、投降を受諾する旨が届く。


 無論、中には大隊を率いて帝都に戻った者達もいるが、概ねは私の軍門に降った。


 降った兵はロガ領に移動させたため、アーリー将軍のロガ領侵攻から3ヶ月目には、カムン領に駐屯する帝国兵は居なくなっていた。


 降ったとは言え、それは飢えからであり私に忠誠を誓った訳でも無い彼等の大半は帝都に戻ることを希望し、ロガ領に留まり私を将とする事に決めたのは全体の四分の一に当たる二万弱のみ。


 これでも十分に多いのだ。元々帝国軍の将軍であり、一般的な観点から見れば然程間違った事をしてきた訳でも無い私の在り方は、ここでも一役買った訳だ。


 これが親友カルーザスであれば、四万から六万は残ったに違いないが……そうなると糧食を得るのが厳しくなったから、まずはこれで良しとする。


 さて、帝都に戻ることを希望した者まで降らせたことで、カムンからロガに兵たちを移動させカムンの領主セガイ殿との約を果たした私は、早急に帝都に彼等を送り届ける必要がある。


 敵を腹の内に抱えて戦争など出来る訳もない。


 糧食を宛がい、とっとと送り出す。手酷い出費だが殺したり殺されるよりはマシだ。


 生きて帰れる彼等は、何とも複雑そうな表情を浮かべていたが、家族に会える喜びに勝る物はないらしく、素直にロガ領を離れて行った。



 ロガ軍の総兵数は先程加えた二万弱を合わせてざっと数えて三万五千、その内騎兵はカナギシュの軽騎兵二千、帝国騎兵三千となる。


 歩兵が一番多く一万八千人を数え、続いて弓兵は九千人を、魔道兵はこの規模では驚くべき事に三千を数えた。


 七百の魔道兵で五千の魔道兵が放つ攻勢魔術をかなり防いだことが、要因であった様だ。


 これには、『輝ける大君主シャイニング・グレート・モナーク』の神官、アンジェリカ殿とリウシス殿の連れの一人、大魔術師のフレア殿の功績が大きい。


 あの二人が防性魔術を駆使していなければ、被害はあんな物では済まなかっただろう。


 この様に、懸念であった八万の軍勢は居なくなったどころか、兵士の数も増えて、ある種ホッとした。


 後は、アーリー将軍らの処遇を如何するかだが、私はまだ判断が下せずにいた。



 アーリー将軍の側近である曲刀使いの老人にはリチャードが尋問を行っている。


 凄腕の魔術師にはやはり凄腕のフレア殿に話をしてもらうように頼んである。


 アーリー将軍自体には、シグリッド殿やリウシス殿に話をしてもらっているが……ここが一番心を開いていない様だ。


 そんな状況では、何も判断は下せないと言うのは無論だが……コーデリア殿を傷つけた相手に、私が正常な判断を下せるのかと言う疑問が、私の中で渦巻いていた。


 だから、私の為に傷付いてしまった勇者殿の顔が無性に見たかった。


 どこか上の空で指示を飛ばし、執務を終えた私は、今日も……コーデリア殿が臥せている部屋へと通う。


 嫌われたならば、それはそれで良いのだが、何ら反応が無いのは……正直に言うと怖い。


 扉をノックするといつもの通りアンジェリカ殿が顔を見せて、少し呆れた様に笑った。


「将軍、コーディは大丈夫ですから、ご自身の執務に戻ってください」

「そうは言うが、まだ、意識が戻ってから話をしていない。自身の口で礼を述べたいのだ」


 傷を負って数日、手当てを受けて意識も戻ったとは聞かされたが、未だに面会できていないのが不安に拍車をかけていた。


「――コーディ―自身が今は会いたくないと」

「会いたくない訳じゃないよ!」


 扉の向こうからコーデリア殿の声が聞こえた、聞こえてきた言葉に少しホッとする。


「ああ、そうですね、今のはわたくしの言い方が悪かったです。――将軍」

「う、うん」

「守った相手がそんなにすまなそうな顔をして、謝りに来るのがコーディーには辛いのです」

「いや、しかし、私の判断ミスで」

「そう言う自省は心の中でやってください」


 ぴしゃりと言われた。


 確かにそうかも知れない、私が確りしていなくてはいけないのだとは、頭では分かるのだが……感情が言う事を聞いてくれない。


「そ、そうだな。確かにそうだ。……しかし、何と言えば会わせて貰えるんだ?」

「そこを聞いちゃいますか?……そうですねぇ……好きだ! とか、愛してる! とか、黙って俺に付いて来い! とか」

「アンジェリカっ! 何言ってんの!」


 また、コーデリア殿の声が聞こえた。


「……あまり怒らせても行けないですね、傷に障る。……正直な所、傷を負った事でコーディーは少しネガティブになっています。魔王城に赴いた際にも傷は負っていますが、それらもまとめて嫌悪の対象になってしまったと言いますか……」


 コーデリア殿を慮ってか、囁くような声音に変えてアンジェリカ殿は話を続けた。


「何故?」

「将軍、貴方の所為ですよ。傷を負った事で醜いと嫌われたらと言う乙女心です」


 乙女心は分からない。私の為に傷を負った者を私が遠ざける訳も無いのに。


「……では、コーデリア殿に伝えて置いてくれ。どれだけ傷を負おうと君は美しい、と」

「――それは……当人に言ってあげると良いと思いますよ。ただ、今は別の意味で傷に障るので、数日後にでも。――ああ、将軍」


 アンジェリカ殿はまた少しだけ呆れたように笑ってから、そう付け加えた。


 そして、去ろうとする私を彼女は再び呼び止めた。


「何だろうか?」

「コーちゃん、です」

「え? あ、はい」 


 まさか、ここでも呼び方を矯正されるとは思わなかった。


 この呼び方にどれだけの想いが籠っているのだ? コーデリア殿について調べなくてはいけないんじゃないかと言う気にすらなる。


 そんな事を考えながらも、居室に戻る足取りは、先程までより大分軽くなっていた。


 コーデリア殿の声が聞こえたからだろうか? 喋れなくなっている訳じゃないと知れただけでも良かった。


 そう考えながら、居室の扉を開けようとした私を呼び留める声があった。


「ちょっと良いか、将軍」

「ああ、リウシス殿か。アーリー将軍の件か?」

「ああ。やっこさんは将軍が尋問した方が良いと思うぜ」

「何故だ?」

「彼女は、アンタに神を見ている」


 ちょっと、何を言っているのか分からないです。


 余程、間抜け面を晒していたのか、リウシス殿は太った腹を揺らしながら笑って。


「アンタは、コーデリアの一件であまり良い感情を持ってなさそうだが、向こうは神性視している節がある。将として個人の情を押し殺して口説いてみてはどうだ?」

「私にそれが出来るとでも?」

「まあ、無理だろうな。それでも、一度しっかり話し合ってみろ、恨み言を言うのでも良い」


 そう告げてリウシス殿は食堂の方へと向かっていく。


 また食うのか? やはり食わないとあれだけ激しく動けないのか? 等と思いながらも、彼の忠言を頭の中で吟味していた。



 で、結局、アーリー将軍の尋問を行う事にした。


 尋問と言っても、警邏けいらが犯罪者に行うそれじゃないから密室に二人だけと言う訳では無いし、怒鳴ったり、暴力を振るったりはしない。


 一定階級以上の尋問と言えば、ある意味交渉の延長線上でしかない。


「お疲れの所、失礼する」

「……ロガ……将軍か」


 アーリー将軍が小さな声で応えた。


 なるほど、コーデリア殿が言っていた通り、白い髪の褐色の肌の美しい女性だ。


 シグリッド殿と同じくらいの年齢であろうか。


 伏せ目がちの様子から、あまり自身を持っているタイプでも無さそうだ。


「殺すのか?」

「私は其処まで馬鹿では無いし、非道でもない心算だ」


 どうも彼女は鎧を纏わないと非常にネガティブな人格を有している様だ。


 鎧を纏う事で戦場の将軍になれるのだろうか? しかし、そう考えれば渡河作戦の際に兜が割られただけで撤退した事に対して辻褄は合う。


 抵抗することだってまだ出来た筈だからだ。


「あの娘は、命がけで貴方を守ろうとした。自身に致命の刃が迫る最中でも、平然と身を翻して貴方の傍に行った」

「コーデリア殿の事か」


 頷くアーリー将軍、何を思ってか長いまつ毛が震えている。


「何を思う?」

「俺には、出来ない」


 俺? アーリー将軍は自身を俺と呼ぶのか? しかし、男勝りな印象など欠片も無い彼女には余り似合っても居ない。


「コーデリア殿のみが可能かもしれん。その彼女に何を思った」

「……羨望だ」

「何?」

「それと、嫉妬」


 ……あれ、この人やばい人かな。


 そっと互いの証言を書き記していた筆記官に視線を投げかけると、彼は肩を竦めていた。


「俺は、ただ王の血が流れているだけだ、他には何もない……。なのに、ナゼムもラネアタも命を懸ける……。俺には貴方のような美しさは無いのに!」


 ああ、そっちか。良かった、心を病んでる系かと思ってしまった。


 まあ、当人にしてみれば何で他人が自分に命を懸けるのか分からないと言う重たい状況だが。


「そこに思い悩まぬ者に命を懸けるバカも居るまい。大いに悩めば宜しい。――ふむ、味方に引き込もうかと思ったが、貴殿はあれだな、旅にでも出たまえ」


 私の口から、本当に何の考えも無しにそんな言葉が放たれていた。


 筆記官が吃驚しているのが垣間見えたが、今は無視しよう。


「旅?」

「貴殿の罪は、派兵を命じたロスカーンの罪。だからと言って、無罪放免と言うのは虫が良すぎる。ロガ領よりの退去を命じる。貴殿の為に命を懸けた側近共々、退去せよ。帝国軍に戻るなり、この大陸を旅するなり好きにせよ」


 そう告げて私は立ち上がった。


 そして、部屋から出る間際に付け加えた。


「私と貴殿の運命が交差する時に、今度はくつわを並べて戦えることを望むがね」


 それだけ告げて、筆記官を伴って私は部屋を出た。



 私の命令は程なくして伝わり、アーリー将軍と側近たちはロガ領より退去する事になった。


 籠の中の小鳥を集める趣味はない、そう皆に豪語したのだが…………よくよく考えると矢張り勿体ない事をしたような気もする。


 ともあれ、得た兵士が馴染む様に調練しなくては。


 そう決心して程なくして、帝国軍三将軍が軍を進めたと言う報告が飛び込んできた。


 ……思った以上に早かったのは、今回の帝国軍総兵数が十万以下だったからだ。


 最初の侵攻とさほど変わりない数とはいえ、流石にまた渡河させる作戦を行う訳には行かない。


 同じ手を繰り返せば必ず負けるのが兵法だ。


 会戦に打って出るしかないか……。


 第一陣と第二陣を指揮するテンウ将軍とパルド将軍の不仲は有名だ、そこを突けば会戦でも勝てる……筈だ。


 果たして、この判断が正しかったのか否かは、まだ分からない。

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