第14話 懸念

 八万の帝国軍を退けて二ヶ月。


 メルディス合流から一カ月半の月日が流れた。


 その間に私は忙しく動き回っていた、無くした左目について思い悩む暇も無いほどに。


 ロガで最も栄える都市ルダイは、一時期流通が止まりかけたが、八万の軍勢を退けた事で再び商人の往来が回復した。


 それ所か、ロガ領の武名が轟いたおかげか、流通は以前に増して活発になっていた。


 ルダイは、近隣諸国の商人や仕事を求める傭兵達で溢れ返っており、守備隊の隊長であるアントンは治安維持に奔走している。


 ラガルはギザイアをぎゃふんと言わしめるべく、流通する諸国の服飾をつぶさに観察している様だ。


 伯母ヴェリエは諸国の商人の中から有益な者を選び、便宜を払う代わりに、必要な物資を安く手に入れたりしている。


 政務的な事は一切私に任せて。


 どうやら、経済方面に専念したようだ。


 さて、叔父一家のゴタゴタはと言うと……。


「ウォラン、私はカムン領の領主と会わねばならない。すまないが先ほど言ったルートの巡回を頼む」

「心得た、ロガ将軍」

「……ユーゼフ叔父はどうかね?」

「義父か? そうだな、孫の前ではただの好々爺だ」


 と言った具合に、何だかんだと上手く行きだしている。


 失った家族が戻って来たのだから、これで少しは生気を取り戻してくれると良いのだが。


「義母は将軍には気を許していたそうだな、アネスタが言っていたが」

「まだ年端も行かない少年だったからだろう」

「ロガの家に馴染めぬ義母に花を贈ったとか」

「……道端に咲いていた花な」

「ナジの花、花言葉は家族。義母は押し花にして取っておいたそうだぞ」


 随分と詳しいな、大分昔の話なのに。


 そう言いたげにウォランを見やると、厳つい顔を綻ばせて笑っていた。


「その話をどうやら初めて聞かされた義父は目と閉じて絞り出すように告げた。ベルシスは私などが敵う相手ではなかったか、と」

「意図して何かした訳じゃないんだが……。子供特有の親族ならば仲良くしようみたいな感覚だったからな」

「その感覚こそが、アネスタも義弟も、あのラガルとか言う従兄弟にも嬉しかったのだろう」


 頭を掻いていると、ウォランは豪快に笑いながら頼んだルートの巡回に向かった。


 ……カナギシュの騎兵であれば、あの軍団に動きがあればいち早く知らせてくれるはずだ。



 三将軍の進軍は、一体どの程度の規模になるのか、いつ進軍して来るのかとやきもきする日々が続いているが、私が今一番懸念しているのはアーリー将軍の存在だ。


 誰の意図かは分からないが、鳴り物入りで八大将軍になり、功績を上げんとロガの地に進んだが、六分の一の兵数であるロガ軍に敗北した。


 その内心の焦りは如何ほどだろうか?


 八大将軍に抜擢されたのが、誰の意図かは不明だし、当人の希望かどうかも不明だが、それでも、その地位に押し上げられた以上は、ある種の期待があった筈だ。


 それが最初の仕事でつまづいたとなれば?


 未だ、軍の立て直しが上手く行っていない状況で、撤退するでもなくロガの地を伺うカムン領の一角に軍を置き続けている事で、凡その見当はつく。


 戻るに戻れない状況なのだろう。


 アーリー将軍やその取り巻きの能力は高く侮れないが、主に戦うのは配下の兵士達だ。


 如何に優秀な将であっても部下が言う事を聞かなければ、その優秀さは発揮できない。


 新任で、兵士達とのコミュニケーションをとる時間も無く出陣し、敗北となれば、その求心力は低下する。


 特に傷病兵を捕虜と共に帰陣させた事でその対処に労力が削られている状況だ、その心中はどれ程荒れてるのか。


 極めつけは……。


「若、カムンの領主セガイ様がご到着されました」

「分かった」


 駐屯している土地の領主に疎まれ始めた事だ。


 どうも、帝都の方は三将軍の進軍準備に労力が割かれている様で、アーリー軍団への補給が疎かになり始めているらしい。


 ただ戦いに敗れただけではなく、六倍差の兵力で負けたとなれば、外交にも響く大きな事件だ。


 そいつを取り戻すには、次の戦は勝たねばならない。


 その為の三将軍の招集であり、進軍なのだ。


 このバタバタの原因である負けた連中の飯など後回し、と考えているのか不明だが、補給が滞っているのは事実の様だ。


 それに敗軍の将を迎え入れられる程には、ロスカーンの怒りが収まっていないとも見受けられる。


 戦費を増強すべく税を引き上げようとして諌められたと言う話が飛び込んでくるくらいには、ゾス帝国は慌てていた。


 そんな訳で、アーリー将軍は帝都には戻れず、補給も疎かにされがちでは、兵士の心は一層離れる。


 そこで、カムン領に補給の負担を強いた訳だ。


 それがもう約一カ月も続く。


「私は将軍の様に皇帝に背く意思はないが、アーリー軍団に補給が届く可能性が日に日に低くなっている。このままでは領民に重税を課さねばならない。そうなると」

「セガイ殿に領民の恨みが募りましょうな。アーリー将軍の求心力が低下すれば、狼藉ろうぜきを働く兵士が出ないとも限らない」

「それなのだ。……先の戦いで一切援護もしなかった私が、将軍にこんな事を言うのは筋違いとは思うが、皇帝陛下に幾ら補給改善の使者を差し向けても、会ってももらえぬ。だと言うのに、我が領土に駐屯する黒い鎧の将軍は、私が仕事をしているのか疑うような事まで口にする。そんな状況だ、我が命の不安もあるが、万が一、あの新任の将軍がカムンの略奪を命じたら……」


 平和を謳歌してきたであろう老いた貴族の焦燥も酷い物だった。


 もしこれが、以前より八大将軍であった誰かしかであれば、ここまで恐怖心を抱かなかっただろうに。


 人前では鎧も脱がぬ、素性も良く分からない新任の将軍が相手では、警戒するなと言う方が無理だ。


「……良いでしょう。様はカムン領より兵士達が移動すれば良いのでしょう?」

「そ、それはそうだが……」

「アーリー将軍は私にとっても懸念材料。その懸念を取り除けば、カムンに駐屯する兵士も戻らざる得ないでしょう」

「ま、まさか、暗殺」

「まさか。少数で打って出て貰った所を逆に討ち取る心算ですよ」


 まあ、一部嘘だけど。


 ともかく、泣きついてきたこの老貴族に本音をぶちまける訳にもいかない。


「少数で、仕掛けるだろうか?」

「私は今度、カムン領の傍に一部の兵士を連れて練兵に赴く。将の育成に努めなくてはならんのでね」

「……」

「起死回生を狙う何者かがいるのならば、絶好の機会ではないかな。セガイ殿にとっては、どちらに転んでも問題は解決だし、良い事尽くめでは?」


 私が策に失敗して討ち取られても、アーリー将軍が策に嵌ってくれても、この老貴族の悩みは解決する。


 まずは利を与え、次に理を告げる番。


「そ、それでは、将軍に何の……」

「懸念材料を一つ消せるのは大きい。それに、八万弱の兵はやはり脅威だ」


 それならば、焦ったアーリー将軍を釣り出してみようかと笑って見せた。


 セガイと言う老貴族のやる事は一つ、私が練兵を行うと言う日時をアーリー将軍に伝えるだけだ。


 内心どう考えているのか不明だが、老貴族はその案を飲んだ。


 まあ、どちらに転んでもこの貴族に損はないのだ、飲み込むだろうさ。

 


「ベルちゃん! また、レオっちのと所行ってたでしょ! 臭うよ!」

「しょうがないじゃないか、今更殺す訳には行かないし、私が生かせと言った以上、世話をしなくては……」


 コーデリア殿に剣の稽古をつけてもらいに行くと、私服姿の彼女が唐突に告げやり、笑う。


 レオっちとはあの鱗の生えた砂大陸産の戦獣、獅子鰐レオゲーターの一匹だ。


 足を怪我していただけで、泥に嵌って動けなくなって居た所を、思わず助けてしまった。


 当初は殺すべきではと言う声も多かったが、何だか哀れに思えた私が今更殺せるかと反対。


 じゃあ、将軍が世話をよろしくと言う話になってしまった。


 だから、餌をやったり、糞尿の始末をしたりと、忙しい仕事の合間を縫って世話をしていた。


 世話をした甲斐があってか、多少は懐いてくれた。


 が、コーデリア殿が傍に行くと身を伏せて物凄く大人しくなるので、私が本当に懐かれているのか分からない。。


 最も、コーデリア殿の姉代わりであるアンジェリカ殿曰く、その様子は死を覚悟した魔物と同じ様子らしいが……。


「まあ、良いや! アーちゃん将軍と撃ち合うかもだから、確り備えないとね! じゃあ、打ち込み行くよ!」

「え、ちょっと、まだ心の準……がっ!!」


 コーデリア殿より無造作に振るわれた訓練用の剣は、しかし、凄まじい一撃だった。


 何とか受け止めた筈なのに、私の訓練用の剣は吹き飛び、空中で回転している。


 う、腕がもげるかと思った……!


「へぇ、やるじゃん! 今度はもう少し本気で行くよ!」

「いや、もっと手を抜いて! ってか、私剣が無いよ!」


 漸く地面に落ちた訓練用の剣を見て、コーデリア殿はそうかと言って笑った。


 その笑顔は年相応の二十に満たない娘のそれであったが、その後の訓練は、まさしく地獄だった。


 う、腕とか足とかが痛い……。

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