第11話 戦後処理と越境する者達

 胃痛と言う物をご存じだろうか。


 胃がキリキリと痛み、穴が開くんじゃないかと言うあの嫌な感じを。


 胃痛を知らない者は幸いである、何故ならあの圧し潰されそうになるストレスを知らないからだ。


 ……別に消化器系が弱い訳でも無い私が、胃痛を感じるのには幾つかのパターンがある。


 一つは補給路の構築が上手く行かない時。


 食事が一回滞れば、敗北と反乱のリスクが高まるのだから当然の話だ。


 戦場なんて食う以外に楽しみないんだから、飯が滞れば兵士が反乱を起こしたくなるのも当然と言えば当然だ。


 だから、私は補給には全力を挙げてきた。


 おかげで補給路の構築には自信があるし、商人とも繋がりを持っている。


 次に修羅場の遭遇。


 戦場での本当の修羅場は吐き気がする程だし、男女間の修羅場は別の意味で胃が痛くなる。


 基本的に当事者になる事が無かったので、余計にそう感じていた。


 最後に、自分が指揮した軍団の戦死者の家族に会う時だ。


 自責の念に圧し潰されそうになる。


 それに比べれば、戦場の前線に居る方がまだ幾分マシに感じる。


 特に、息を引き取った兵士の家族が、妻と幼い子供と言う時点で私は異様に居た堪れなくなる。


 今、目の前の状況が正にそれで、本当に胃が痛い……。


「泣かないで、ママ! 僕が大きくなったらパパを奪った悪い奴らをやっつけてやるんだ!」


 母親を気遣い、涙ながらにそう叫ぶ幼い男の子の肩に手を掛けて、私は言う。


「君はママを守ってあげなさい。お兄ちゃんなんだろう?」


 そう言葉を掛けると、赤子を抱えた戦死した兵士の妻が頭を下げてくる。


 止めてくれ、本当に、胃に、穴が開くから……。


 表面ではそんな素振りを見せず、軽く会釈して兵士の家を出た。


 くそ、マジで胃が痛い。


「若、これで最後です。計五百二十三名の戦死者家族への面談は終わりました」

「謝っても謝り切れない。私は彼等の犠牲の上に地位を保っているのだからな。とは言え……酷い偽善だな、彼等は言いたい事も碌に言えないだろうに」

「犠牲の上に胡坐をかいている輩よりはマシでしょう」


 リチャードは更にやらない善よりやる偽善だと言い切った。


 そこに異存はないが、自分が当事者だと割り切れないものが残るのは当然だ。


 ああ、胃が痛いと嘆息を零すと、何やら伯母の邸宅へと早馬が駆けて行くのが見えた。


「まさか、帝国の第二陣が?」

「分かりかねますな、ヴェリエ様の元に急ぎましょう」


 リチャードの言葉に頷けば、急ぎ伯母の元へと向かった。



「疲れは無いのですか、ベルシス? あなたも回復してからまだ二週間。戦死者家族を見舞うのも大事でしょうが……」

「伯母上、我らは彼等の助けなくば生きていけないのです。疲れたなどと言っておれませんよ。それより何の報告ですか?」

「隣接する帝国領より迫る者達がいるとの事です」


 開口一番い体調を心配されたが、今はそれどころではない。


 何やらロガ領と隣接する帝国領地より越境して来る者があるのだと言うのだが、帝国軍とは思えないそうだ。


「ロガ家の旗を?」

「それとカナギシュの旗を。心当たりは?」

「一年ほど前に彼等が越境しようとしていたのを食い止めはしましたが……カナギシュ族の族長がファマル・カナギシュが約を違えるとは思えません。ただ、カナギシュ族の内部で政変があれば……」

「弱ったロガ領に牙を剥きかねないと? しかし、そうするとロガ家の旗を立てているのはどう言う心算なのか……」


 伯母とリチャードと三人で頭を悩ませていると、アントンと叔父のユーゼフが息を切らせてやって来た。


「迫っているのはカナギシュ族だと言うのは本当か!」

「その様です、叔父上……? その、どうされましたか?」


 再会して以降、心が折れたままの叔父がやって来て早々声を掛けてきた。


 訝しく思って問いかけると、アントンが代わりに応えてくれた。


「姉貴が逃げる様に嫁いだ男ってのがカナギシュ族の男だったのさ。ここでまさか、姉貴が意趣返しに来るとは……」

「アネスタは言っては何だが、伯母上に似てカラッとした性格だっただろう? 今更、意趣返しで来るかねぇ」

「わしの命を欲するようであれば、くれてやってくれ」


 何だか叔父は思いつめたような表情でそんな事まで言った。


「一戦交える為に来たのか、話し合いに来たのか、やって来ている彼等とまずは話し合ってみましょう」


 そりゃ話し合いの通じない相手もいるが、カナギシュ族ならば一応の対話には応じるはずだ。


 もしカナギシュ族が味方になってくれるならば、騎兵戦力の拡充が図れるし。


 彼等は西方の騎馬民族なのだから。



 ロガ領内に深くは進軍せず、カナギシュの騎馬隊は歩みを止めた。


 まるで話し合いに出て来いとでも言いたげに。


 その意図を何となく察した私は、叔父とアントンを説得し、騎馬隊が待つ話し合いの場に出向いた。


 連れは、当人達の希望でマークイとドラン、それにアンジェリカ殿と言う勇者一行達となった。


「ロガ将軍が敵負傷者を捕虜と共に帰らせて頂いたおかげで、漸く休めそうです」


 アンジェリカ殿が馬車の中で伸びをしながら言う。


 黒い髪に背の高めのこの神官は、コーデリア殿の姉のような人物で、最近は何だか仲良くさせて貰っている。


 きっと、コーデリア殿の呼び名の変化に伴った物だろう。


「美談と言って良いのか、恐るべきと称するべきか、迷いますねぇ」


 青い双眸を細めながらアンジェリカ殿が口にすると、詩人のマークイも口を挟んできた。


「ロガ将軍を歌にするときは非常に困るんだよ。慈悲深く、辛辣だからね。一方を歌えば単なる太鼓持ちみたいだし、一方を歌えば、歌い手が凝り固まった視点しかない様に聞こえる」

「そうは言うがね、捕虜が増えれば食料の備蓄が減る。それなら傷病兵のエスコートで帰して、手当てを進軍してきた方に負担してもらおうと言うのは、当然の考えでは?」

「将軍はあれじゃな。おっかなびっくり進む癖に時に豪胆。『赤き鎧の貴婦人レディー・イン・レッドアーマー』も加護を与えるかお悩みになるじゃろうて」


 こんな軽口を叩けるくらいには、彼等との仲は悪くない。


 この二週間で大分打ち解けた感はある。


 ちなみに、捕らえた捕虜も傷病兵も送り返してある。


 元は同じ陣営の兵士だと言う感傷もあるが、傷病兵の手当てに力を割いて貰おうと言う魂胆も含んでいる。


 怪我人の手当てと言うのは、結構労力を割かれる。


 アーリー将軍が早急に軍を立て直そうにも、立て直し辛くしておくのは兵法の基本だ。


「しかし、コーデリア殿も一緒に来るのかと思ったんだがな」

「コーディは自分の気持ちを確かめているのでしょう。将軍は、お気づきですか?」

「――おぼろげには」


 コーちゃんと呼べと言ってきたあの娘からの好意を感じてはいる。


 それが男女間の物か、親愛なのか分からんけれど。


 こんな状況下だからと、誤魔化す事も考えたがそれは何だか不誠実に思えた。


 そんな心境を素直に吐露すると、アンジェリカ殿は頷き笑った。


「やはり、ロガ将軍――いえ、ここはベルシス将軍と呼ばせて頂きます。ベルシス将軍はその方面でも誠実な方ですね、安心しました」

「あの娘っ子はアホじゃからな。自分の気持ちを上手く伝えられん。だが、将軍ならばうまく引き出せるじゃろう」

「だからと言って回りがとやかく言うのも野暮だけどね。ただ、将軍がどう考えているのか知っておきたかったのさ。勇者コーデリアの保護者一同としては」


 三者が三様に言葉を口にする。


 一年は共に戦い抜いた仲間が、それも年下の娘が訳の分からん男に引っかかっては大変と言う事だろう。


 過保護な事だとは思うが、私はそんな関係が何となく嬉しかった。


 本当の友誼で結ばれている様に感じたのだ。


「コーデリア殿は慕われているな、羨ましい限りだ」


 私が隻眼を細めさせながら、笑うと同時に、馬車が止まった。


 さて、ここからは交渉ごとの始まりかと嘆息して表に出ると、私の姿を見た騎馬達が一斉に並び、鐙から足を外し、各々が武器を横に寝かせた。


 騎馬民族の騎兵たちが見せる最上位の敬意の表し方だ。


 右目を丸くしていると、一騎、騎兵たちの中から出てくる。


 多くの騎兵は軽装の騎兵だが、進み出てきた騎兵は帝国の剣を携えていた。


 その剣こそ、カナギシュ族の族長に私が和平の印として送った剣であり、それを携えるその髭面には見覚えがある。


「久しぶりだな、ロガ将軍。いや、ロガの王ベルシス。中々の勇戦ぶりと聞いた。流石は我がカナギシュの侵攻を止めた男……。いつぞやの借りを返しに来た」

「ファマル殿? これは一体……」

「このファマル・カナギシュ、受けた恩は忘れぬよ。それにロガの地への援軍は息子の嫁のたっての希望でな」


 息子の嫁?


 かくりと首を傾ぐと二騎の騎兵が進み出てきた。


「ファマルの息子、ウォランだ、従兄殿。栄えある貴殿の従兄である事を誇りに思う」

「はぁい、ベルシスあにぃ、久しぶり。ほら、ウオルも挨拶しなさい、伯父さんよ」

「お、お初にお目にかかります、伯父上!」


 一人は厳つい男であるが、誠実そうな顔つきの三十前後の男だ。


 そして、もう二人……年齢こそ重ねているが十二年前にロガ家を飛び出したアネスタとウォランとアネスタ双方の面影を宿す十歳前後の少年がそれぞれ私に挨拶をした。


「ベルシス将軍、敵であった者達に慕われているあなたにはコーディも敵いませんよ」


 その様子を見て、アンジェリカ殿が可笑しげに笑いながら告げた。

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