第10話 レヌ川の攻防 伝聞

 矢傷が元で熱にうなされた私は、久しぶりに妄想世界の夢を見た。


 妄想世界ではくたびれた中年の労役者であった私は、体調を崩して療養を余儀なくされていた。


 詳しい仕事については覚えていないが、何かの責任者であった時に。


 それが体調を崩して療養中。申し訳なさを感じながらも、労役からの解放感を感じていた私はある日、愕然とした。


 最近起きた事件について庶民に知らせる日報に、ある事件が載っていたからだ。


 共に労役をこなしていた後輩の死。


 あまりの労役の辛さに彼は自殺したのだ。


 彼には妻子が在った筈だ。


 自分の子供の成長こそが生きる糧だと言っていた彼が、自殺してまで逃げ出した仕事こそ、私が本来行うべき仕事だった。


 私はその事実に思いいたりショックを受けて療養の場を抜け出し、当てもなく裸足でさ迷い歩いた。


 そして……。



 そこで目が覚めた、暫く見なかった夢だ。


 子供の頃はこの夢を見たときは、あまりの生々しさに母に泣きついたものだ。


 頭を撫でられ、そんな酷い環境はここには無いから大丈夫だと言われて漸く落ち着きを取り戻していた。


 まだ若かりし頃に亡くした母の、その手の温もりを思い出すと胸が熱くなる。


 ……ん? いや、実際に熱いし、重みを感じる。


 なんだ?


 不思議に思い、瞑っていた右目を開くと、いつも見ていた視界より狭まった現実が目に飛び込んでくる。


 それは、ランプに明かりに微かに輝く金色の髪を持つ少女が、私の胸に頭を預けて眠っていると言う夢より夢のような状況だった。


 意味が分からず声が出せないまま、身じろぎをすると少女はゆっくりと目を開けた。


 一瞬、焦点の定まらない翡翠の如き瞳が、私の視線と混じり合うと、喜びを表す様に細められた。


 その口元がにんまりと笑みを浮かべると、それが誰か漸く把握できた。


「コ、コーデリア殿?」

「おはよう! ベルちゃん! あ、まだ夜か」


 遂に将軍すら抜けた。


 そんな如何でも良いような事実を反芻はんすうしていると、コーデリア殿は不意に唇を尖らせて言った。


「アタシの事は、コーちゃんって呼んで」


 ……はい? 何か一人称も少し変わったけれど、何より、何と呼べと申しましたか、この娘。


「コーちゃん?」

「そう! アタシをそう呼ぶ人はもう居なくなったけど、ベルちゃんにはそう呼んで貰いたいの!」


 何で? と声には出さなかったが思わず小首を傾げた私に、コーデリア殿ははにかむように笑いながら言った。


「ベルちゃん、ちょー格好良かったじゃん! 敵の将軍もさ、美しいって言ってたよ!」

「最前線にいたのに私の事が……って、え? 何それ、こわいんだけど」


 どんな状況だよ、それは。


 思わず頭を抱えた私に、コーデリア殿は別動隊に起きた出来事を語ってくれた。


 だから、以下は聞いた話である。



 帝国軍が対岸に上陸した頃合いに別動隊の精鋭八百と三勇者一行は司令部へと突撃を始めていた。


 斜め背後からの攻撃すら、想定はしていたのか帝国軍は一撃で混乱と言う訳には行かなかったが、それでもじりじりと司令部に別動隊は食い込んでいった。


 幾ら想定済みとは言え、やはり意識が前に行っている時に背後から来られるのは対応が鈍るし、少人数であったから離れた帝国軍にはその騒動が伝わりにくい事が幸いした。


 魔道伝達が戦闘中でも使えれば話は違ったが、と言うか戦術そのものが変わるが、極度な精神集中が必要なため平時しか使えない。


 圧倒的数の妨害さえなければ、別動隊は司令部に届き得ると思っていたが、それはその通りだった。


「しれー部にさ、居たんだよ。黒尽くめの鎧を着て、顔も黒い兜で覆った敵の将軍……アーちゃんだっけ」

「コーデリア殿は……あ、はい……コー……ちゃんは、その名前の呼び方をだね」


 一言申そうとして無言の抗議に屈した私は、気恥ずかしさを覚えながら先ほど言われた通りに名前を呼び、一言添えた。


 が、彼女はそれには全く意を介さず、希望通り呼ばれた事にはにかむように笑っていた。


 ……くそ、可愛いじゃないか。


 結局、アーちゃん呼びを訂正する機会を逸した私は、話をそのまま聞いた。



 司令部も一筋縄ではいかなかった様だ。


 アーリー将軍の側近も一流の使い手であり、また、砂大陸で使われていた奇妙な形の湾曲した剣を用いた様だ。


「アタシさ、ドランとマークイの二人相手に打ち合える剣士なんて見た事無かったよ」


 ドランとマークイはコーデリア殿の連れだ。


 詩人剣士のマークイは恋多き男で、中々の美形だ。


 詩を嗜み、剣の腕は超一流、鍵も開ければ、情報収集もお手の物と言う勇者一行に相応しいハイスペック詩人。


 何でも小国カナトスのお姫様こと王妹シーヴィスに惚れ込んでいるそうだ。


 道理で王と王妹を助けた事のある私に対しても好意的な訳だ。


 ドランは神官戦士の老人だが、老人と思って舐めて掛かると痛い目に合う事は必至。


 戦の叫びウォークライで一行の士気を上げ、傷も癒せば、自身も戦槌を振り回すと言うやはりハイスペック老人。


 信仰する神は三柱神の内でも戦神である『赤き鎧の貴婦人レディー・イン・レッドアーマー』であり、その位階はかなり高位らしい。


 その二人と打ち合ったと言うアーリー将軍の側近もただ物ではない……。


 まさか、八大将軍の空位に滅びしガールム王の遺児いじでも連れてきた訳じゃないだろうな?


 そんな事を考えながら私は更に話を聞いた。


「シグリッドさんもリウシスも帝国軍に阻まれて中々到着できなくて、アーちゃん将軍とアタシ一人で戦ってたんだ。そしたらさ、空にベルちゃんが映し出されて――」

「へ? そんな混戦時に魔道投影が行われたと?」

「アーちゃん将軍の仲間に、綺麗な褐色の肌の魔術師が居たんだ。その人がね、将軍の最後を見よって言いながら映したの」


 ――とんでもない話だ。


 多分、目となるべき人間が私の傍にいたからだろうが、まさか私が映し出されていたとは……。


 その魔術自体は帝国軍の魔道兵にもできる者は居るだろうが、戦闘中に行使してのけるその精神性がヤバい。


 普通は無理だ。


「それで、さ。ベルちゃん矢で左目射られたじゃん? その瞬間、ダメかもって思ったんだけど……」


 指揮官の最後を見せると言うのは、士気を挫く上で重要な行為だ。


 やはり、アーリー将軍、或いはその側近達は侮れない。


 事実、剣の腕もすこぶる立つアーリー将軍にコーデリア殿は押し込まれそうになったんだとか。


 だが、事態が急変したのは、私が死ななかったからだ。


 空に投影された私は、事もあろうに射抜かれた目玉を喰らって叫んだ。


「これで我が身は何一つ欠けず! 全て我が内に在り! 将兵よ、恐れるな! ベルシス・ロガはここに在り!!」


 これで別動隊の士気は一気に上がったようだ。――やはり上出来なパフォーマンスだった訳か……痛いし苦しいし、永遠に視界が狭まったけど。


「アレを聞いたらさ、なんか、負けそうになっているのが申し訳なくて、悔しくて……。叫びながら剣を振ったら、アーちゃん将軍は空を……きっとベルちゃんを見ていて反応が遅れたんだ」


 兜の一部を叩き切ったコーデリア殿の一撃は、勢い余って籠手すら切り裂いたそうだ。


 どういう威力の剣技だ、訳が分からん。


「兜が割れて、出てきた顔がね、美人さんだったんだよ! 白い髪に褐色の肌で! でも、当人はそれに気付かなかったのか、小さく言ったんだ。美しいって! アレは絶対ベルちゃんの事だよ!」


 なんか、テンション上がって来たぞ、この娘。


 私が如何に落ち着かせるかを考えていると、扉が開いてコーデリアの姉的存在である『輝ける大君主シャイニング・グレート・モナーク』の神官、アンジェリカ殿が慌てて飛び込んできた。


「コーディ、そんなに騒いではいけませんよ! 将軍はお眠りに……っ! ああ、お目覚めになりましたか!」

「コーデリア殿」

「コーちゃん!」

「……コーちゃんのおかげでしっかり目が覚めたよ」


 何で呼び方にそこまでこだわるかな……。


 私が右目だけの視線をコーデリア殿に向けると、意外そうに目を丸くしていたアンジェリカ殿が嬉しそうに破顔して言った。


「コーディが人に自身をそう呼ばせるとは知りませんでした」


 あ、何か今、重い一言が来たぞ。


「ともあれ、治療者を呼んで来なくてはいけませんね。静かにしているのですよ、コーディ」


 私に一礼してアンジェリカ殿は去っていく。

 

 暫く妙な沈黙が部屋に漂っていたが、程なくしてコーデリア殿が気を取り直したように口を開いた。


 兜を割られ、籠手を失ったアーリー将軍は我に返り撤退を指示した。


 それにより、我が軍の勝利が確実なものになったのだ。


 一通り、話し終えるとコーデリア殿は立ち上がって伸びをした。


 そして、私を意味ありげに見つめながら言うのだった。


「アタシ、思うんだけどね。ベルちゃんが説得したらアーちゃん将軍は味方になると思うんだ」


 唐突なうえにとんでもない事を言うと、笑って見せたが……その、君の視線に少し怖いものを感じたのは気のせいかな、コーちゃん?

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