第9話 レヌ川の攻防の顛末

 戦争の始まれば、後は終わるだけだ。勝つにせよ、負けるにせよ。


 私にとってレヌ川の攻防はまだ被害の少ない戦いであった事をベッドの上で聞かされた戦いである。


 私は戦場で矢傷を受けて、三日三晩高熱にうなされていたからだ。


 傷を負いながらも、最後まで立って、軍旗を掲げていた事で士気は下がる事無く、三勇者率いる八百の精鋭が渡河中のアーリー軍の側面を突き、司令部を強襲。


 U字に歪曲した川のおかげで、一気に渡河できる軍の数が制限されて居た事と、大兵力故にか小細工を弄さなかったアーリー将軍のおかげで如何にかなった。


 もしアーリー将軍が兵力を分散して渡河を試みたならば、油による火攻めを用いるしかなく、大いなるレヌ川の後処理が大変なことになる所だった。


 結局、我が方の死者は五百人を数える一方で、帝国軍の死者は九百人を超えた様だ。


 負傷者となればその数倍に膨れ上がり、捕虜も同様だった。


 謎めいた新任の将軍、ロスカーンの所業、そして見知らぬ大型獣との共闘が帝国軍の士気の低下を招いていた。


 それが勝敗を分けたと言えるが、まずは順を追って戦争の流れを話そう。



 帝国軍はロガ軍が舞い構えるU字の渡河場所以外を探すべく、行動を開始するが、生憎とレヌ川は貯めていた水を放流した後であった為、他の地点は流れが速く渡河する事が難しい状況であった。


 勿論、橋は焼き払ってある。


 次に工兵を送り込み橋を掛けようと試みたが、そんな工作可能地点は此方だって熟知している。


 少数の兵で矢を射かけたり、攻勢魔術を用いて工兵を追い払う。


 数日も待てば水の流れは落ち着いたのだろうが、アーリー将軍は行軍に時間を掛け過ぎている。


 あの皇帝がせっついているのが目に見えていたし、帝都に赴いているメルディスに魔道伝達でアーリー将軍は臆病であるとの言説を流布させる様に指示しておいた。


 彼女は、影魔のメルディス、魔王軍の情報部門のトップであったから、その辺の小細工は得意中の得意。


 大兵力で少数相手に待つ事を選択するには、アーリー将軍には不利な状況を作り出していた。


 誰の推挙かは知らないが、新任であり、兵の信望もまだ薄い状態で消極的な行為を繰り返せば、士気は下がる一方だからだ。


 結局、罠であろうと知りながらもアーリー将軍はU字に歪曲し、流れが緩やかになったこの地点を渡らざる得ない。


 もし私の指揮する兵力が後三倍あれば……相手側の半数近くあれば、これで勝てたかも知れない。


 だが、有利に事を運べているとは言え、兵数と言う絶対戦力で負けているので、私は更に小細工を弄した。


 それが、渡河中の帝国軍の背後側面に強襲を掛ける別動隊の存在だ。


 相手より少ない兵を更に分けたのだ。突貫力に優れた連中を選び、勇者一行に率いて貰った。


 彼等に細かな戦術を伝授しても意味はない。ただひたすらに、一点を狙わせた。それが敵司令部である。


 これでやるべき事はやった……筈だ。後は戦って結果を得るのみ。

 

 


 日が昇り始めると同時に、戦争が始まる。


 渡河する兵士を援護するべく対岸の魔道兵が攻性魔術を放ってくる。


 八万の軍勢であれば魔道兵の数は少なく見積もって三千から五千位か。


 幾ら勇者殿一行の一人である魔導士殿や神官殿が要るとは言え、こちらの魔道兵七百でどれだけ持ち堪えられるか。


 空中で防性魔術が攻性魔術とせめぎ合う中、兵士同士の戦いが始まる。


 矢が飛び交うも、被害はどうしても川を渡る兵士に集中した。


 それでも、その兵数を生かして徐々に徐々に川を渡る帝国軍。


 最初の一人が川を渡ったのは昼を過ぎた辺りか。


 そこからは激戦だった。


 味方を巻き込まない様に帝国魔道兵の攻撃は止んだが、これは一時の事だ。


 直ぐに川を渡り、本陣に対して攻撃を掛けるであろうし、実際にそうなった。


 徐々に我が軍は押されて行き、帝国軍はロガ領内に雪崩れ込もうとしていた。


 それこそが、別動隊の攻撃のチャンスだ。


 終わりが近づけば、兵士は逸る。戦争なんて終わらせて生きて帰りたいから。


 当然すぎる心の流れだが、そこを統制しないと負けることは多々ある。


 だが、アーリー将軍の命令はもう届かないだろう。


 地形の為に司令部と前線が離れすぎたし、何より私と我が軍旗が近くに見えているのだ。


 本陣だ、こいつを落とせば戦争は終わりどころか、褒章が出るのは明白。


 前線は凄い騒ぎに陥っている。


 帝国の兵士達にしてみれば泥に塗れ、良く分からない大型獣が倒れ込んで仲間を潰し、矢で射られても、前に進んだ先に最高の栄誉と褒章が待っている。


 職業軍人である彼等だ、勝利が自分の手で掴み取れる状況に高揚しない訳がない。


 逆に言うと、私は非常に縮み上がっていた。向けられる膨大な殺意、迫る敵兵、徐々に守る者も少なくなる本陣。


 リチャードが並み居る敵を打ち払い、斬っていく最中、私は震える手で軍旗を握り、恐怖を吹き飛ばすように声を枯らして指示を飛ばしていた。


 逃げたいかと言われりゃにげたいに決まっている。


 だけれども、ここで逃げるならばもっと前に逃げて居なければならなかった。


 以前に逃げればそれは戦争を避ける行為であったが、今逃げだせば、味方を見捨てる行為だ。


 そんな事をすれば、私は言わば皇帝以下の存在に成り下がる。


 それだけはできないのだ。それだけは……。


 それに、将兵を一人でも生きて帰す義務がある。


 戦争なんて禄でもない状況から、一人でも多く……。


 そう思い指示を飛ばす私に飛来したのは、一本の矢であった。


「若っ!」


 リチャードが声を上げる、私は飛来する矢に気付けずに避ける事も出来ずに矢を受けた。


 激し痛みはまるで火傷の様に全身を駆け巡った。


 ここから先は記憶が朧だ。


 覚えているのは凄まじい痛み。体から力が抜けた事。握る軍旗に縋りつきながら膝をついた私は、震える手で矢を抜いた。


 空が真っ赤に染まった気がするが、これは視界が赤く染まっただけかも知れない。


 私は妄想世界の物語を思い出しながら、その物語に出てくる猛将と同じ真似をした……気がする。


 正直覚えていないが、ここからは後にリチャードに聞いた話だ。


 どうも私は、立ち上がって見せ、矢を抜いた際に一緒に引きずり出された左目を喰らって叫んだ、らしい。


「これで我が身は何一つ欠けず! 全て我が内に在り! 将兵よ、恐れるな! ベルシス・ロガはここに在り!!」


 後から聞くと、自分の言動とは言え異様なハイテンションと言うべきか、何と言うべきか……。


 正直、自分でもどうかと思う言動だが、戦場と言う異様な場所ではその行動は役だったようだ。


 常人ならば、そのまま戦死していてもおかしくない場所を射られたばかりか、失った左目を食って何も無くして無いと嘯いて見せたのは、中々のパフォーマンスだ。


 後から冷静に考えればそう思える。


「将軍は無事だぞ! 守れ!」


 友軍の声が響く。


「確かに倒れただろ! 何であれで死なない!」


 敵軍の叫びが木霊する。


「神の加護はロガ将軍にあり!!」

「将軍は不死身だ!!」


 そんな叫びが四方から飛び交った、と言う話だ。


 皆、すがりたい物にすがる。


 この場合は不死身のベルシスと言う訳だが、友軍の縋る対象は敵からすると悪夢に変わる。


 この後の事は、全く覚えていない。


 痛みとか、視界の赤さとかは何とか覚えているんだが……。


 ともあれ、それで前線付近の帝国軍に動揺が走ると同時に、敵司令部で別動隊の強襲が効果を発揮して、混乱した様だ。


 そして、程なくしてアーリー将軍の撤退を伝える伝令が行き交うと、帝国軍の前線は崩壊した。


 ある部隊は投降し、ある部隊は逃げ出した。


 彼等は勝ちを確信しつつあったのに突如負けたのだから混乱した事だろう。


 その混乱は此方には絶好の好機であったが、私も流石に倒れたらしく大攻勢とは行かなかった。


 何とも情けない終わり方をしたものだ。


 だが、後で話を聞くにどうも周囲の受け取り方は違ったようである。

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