第8話 レヌ川の攻防 始まり
我々は迫るゾス帝国軍八万に対抗する為、レヌ川を用いた作戦を決行することにした。
川を上流で堰止め、渡河中に放水し分断する作戦。
分断後には司令部に勇者殿一行をぶつけると言う古典的な作戦だ。
相手の将軍の名前に心当たりがないので不安はあったが、やるしかないのだ。
幸いと言うか、当然と言うか、歩兵を含む軍団の移動は馬車を飛ばすよりははるかに遅い。
急いで策を講じれば、一応工作は可能だろう。
その筈だったのだが。
川を堰き止める事は出来たし、アーリー将軍とやらの行軍は想定ルートを大きく外れていない。
ただ、想定より遥かにその速度が遅かったのだ。
「如何する、ベルシス
「流石に遅すぎる。放流するしかないな」
アントンの報告に苦々しく答えた。
意図しない決壊など起こせば、領民に被害が出かねない。
アーリー将軍の軍は、通常の行軍スピードで進んでいたが、途中で急に速度を落とした。
水を貯めるのには、事前に速度を想定して工事を始めるのだが、それが完全に裏目に出た形だ。
と言うよりは、水攻めには事前の準備が必要なのを見抜かれた形か。
「手足の如く動かせる軍ならば、進軍速度は早める事が出来るが、任されたばかりの軍では出来ない。普通はそれでも急ごうとするものだが、敢えて遅く移動か。アーリー将軍とやらは中々にできるな」
その戦術のセンスは、少なく見積もって私以上だろう。
カルーザスに勝るとは思えないが、セスティー将軍と同じくらいかそれ以上はありそうだ。
セスティー将軍も、あれで肝が据わればかなりの物なんだが、彼女は優柔不断な所があるからなぁ。
そんな元同僚の評価は脇に置いて、新たに対策を講じなければならない。
無論、アーリー将軍がスピードを落としたらしいと把握した時からレヌ川より外での防衛線の構築を考えたが、兵の少ないこちらに都合の良い場所など早々ある筈もない。
「ロガ領に引きずり込んで戦うよりないでしょう」
伯母ヴェリエは覚悟を決めた様だが、領民は早々覚悟を決める訳がない。
引きずり込んで戦う、言うは易しだが行うのは被害が大きい。
普通、誰もが戦に巻き込まれたくはないと思っている。
ただ、自分達の権利や財産を守るのに武器を手に取るだろうが、それらが侵されないと分かれば戦う事は無いだろう。
「領民を巻き込みかねない戦いは危険ですよ、伯母上。彼等にとって見れば、いきなり戦争に巻き込まれた形。領地に引きずり込んで戦っては支持を失います」
「とは言え、こっちは兵の数が少ないんだぜ、ベルシス兄。伯母さんお言うとおりにするしかないんじゃないか?」
まあ、そうしたいのは良く分かる。
現状で出来るだけ安全に、兵を損なわずに戦うにはそれしかないからだ。
私だって出来るならばそうしたい。
でも、それをやると、泥沼にはまる。
ロガ領が戦場になるばかりか、追い込まれると誰が敵で味方かと疑心暗鬼が蔓延り、確実に人心が荒廃するだろう。
生まれ故郷とその地に住む人々がそんな事になるのは見たくない。
『戦果が少ない安全な作戦と、戦果が多い危険な作戦があるが、時には後者を選ぶ必要がある。良いか、ロガ。最大戦果を求める者にしか到達しえない栄光と言うのは確かに存在するのだ』
先帝の言葉が頭の中に甦る。
今が後者を選ぶ時か。
そうだな、負ければ終わり、それだけだ。
一族の興亡に兵だけではなく領民まで巻き込んだ泥沼に突入する事も無い。
それに、もし勝てれば……ま、戦にもしは禁物だが。
勝てれば外交も軍事も上手く回りだす事は確実だ。
六倍を超える敵を退けたと言う事実は、諸国や傭兵、それに帝国軍に与える衝撃は大きい。
この一戦で独立の目が見えるかもしれない。
ロスカーンは怒るだろうが、取り巻きは臆病だ。
臆病者は追い込むと怖い者もいるが、彼等は違う。
勝負自体を避けるのだ。
あいつらの心の中には、いかに安全に、他者を見下しながら私腹を肥やせるかしか興味がない。
進軍の意思をこちらが見せず、頭の一つも下げればきっと独立を認めざる得ない。
これが私一人の命の問題なら頭など下げたりはしないが、戦争を回避できるならば幾らでも下げてやる。
まあ、それも戦に勝てたらの話だ。
「当初の予定通り、レヌ川で迎え撃つ。民を巻き込めば、背後から刺されかねないし、何より、ロガの地が荒廃する」
「――非常に不利な一戦に全てを賭ける、と」
「伯母上とて覚悟も無く、皇帝に弓引いたわけではないでしょう?」
「……確かにそうですね。敗れるにしても、一矢報いてやりましょう」
元から覚悟は決めていたであろう叔母はすんなりと私の賭けに乗った。
ロガ領では、伯母がトップだ。
トップが賭けに乗ったのならば、残りも賭けに乗らざる得ない。
説得する相手はこの場合、伯母だけで良かった。
ただ、叔父ユーゼフの行動が読めない。
腑抜けたとは言え、臆病が高じた策略家である叔父がどう出るか。
「アントン、叔父上はどうした?」
「親父か? 心配するのは分かるけどよ、気にしなくて良いぜ。今日もお袋の墓に向かったから」
「叔母上の?」
「姉貴に逃げられてから、通うようになったのさ。今更だがよ」
アントンの言葉に潜む呆れや怒り、そして少しだけの哀れみから叔父とその家族の関係は必ずしも良いとは言えないのが垣間見えた。
その彼が大丈夫だと言う。
「何故言い切れるんだ?」
「ベルシス兄にすりゃ、追い出した張本人みたいなもんだから、警戒するのは分かる。でも、なんつーかな。昔あった、あのギラつく様な感情は確実に親父の中で死んだ」
「今のユーゼフの望みは、カタリナの墓前で死ぬ事くらいです。捨て置いて問題ないでしょう」
伯母もそんな事を言った。ちなみにカタリナとは叔父の奥さんであった女性の名だ。
アネスタやアントンの母上と言う訳だが、……幸が薄そうな人と言うイメージしかない。
親族の集まりでも窓際の人だったから、子供ながらに気を使った覚えがある。
しかし、政略結婚だと聞いていたが、その相手に叔父が其処まで愛情を寄せていた事が意外だった。
夫婦なんてのは傍から見ただけじゃ良く分からないものだな。
……それはそれとして、叔父は大丈夫なんだろうな?
才はある人なので心を入れ替えてくれれば、優秀な人材になるのに。
これで自殺なんてされ日には寝覚めが悪い。
……まあ、私も叔父の心配をしている余裕はないんだがな!
「叔父上には立ち直って頂かなくては。だが、それはこの一戦が終わった後か」
「親父の心配まですんのかよ、ベルシス兄は懐が深いねぇ。三勇者が付いて来るわけだ」
「偶々だよ」
私がそう述べると、伯母と従兄は口をそろえて、そんな偶々は無いと言い切った。
結局、敵はロガ領で最も栄える都市ルダイを最短で襲撃するルートで進軍してきた。
予測できていた事だし、私もあの兵力数があればそうしただろう。
レヌ川を挟んで陣を構えた私は、姿を見せた八万の兵には気圧されなかったが……騎馬に紛れて蠢く複数の巨体には、流石にビビった。
その獣は、馬の数倍の大きさで四つ足で重々しく動き、その身体は鱗に覆われているのか陽光を浴びて輝いていた。
爪や牙は鋭そうで、見るからに凶悪である。
それの上に数名の兵士が乗り、槍や弓を携えている。
何、あれ?
「ありゃなんだ?!」
「砂大陸の滅びた国ガールムが誇った戦獣である
私が思わず叫ぶと傍に控えていたリチャードがそう教えてくれた。
「ガールムなんて滅んで既に十数年だろう? なぜ今になって……と言うか何で帝国軍に! それよりも文献に書かれた絵で見るより凶悪だぞ!」
「分かりかねますな。ですが、これでアーリー将軍とやらのルーツは知れたのでは?」
……ガールムなんて交渉する前に滅んでたからよく知らんぞ、と言えども、砂大陸の戦獣か。
もしや砂大陸の戦法を使うのか?
「
砂大陸では水辺をオアシスと言うのだったか、その辺に生息するにはデカすぎるもんな、あれ。
私は一度深呼吸をして、自身の怯えを吹き飛ばすために大きく声を張り上げた。
「諸君、川向うの敵は同国人だ! 諸君の中にも友人が川向うの陣にいるかと危惧する者もいるだろう! だから、言おう! かかっているのは精々私とその一族の命運である! 友と戦えぬと言うならば! 家族が恋しいと言うのならば! 皇帝に大義有りと信じるのならば、早急に陣より去るが良い!」
「「否! 否! 否! 皇帝に大儀なし! 家族を守る為には友がありとて戦わねばならぬ! ロガ将軍、下知を!!!」」
「ならば今一度、川向うの敵に知らしめてやろう! 皇帝に大儀なし!」
「「「皇帝に大儀なし!」」」
兵士が張り上げるその大音声を聞き、私は頷いて指示を出した。
「勇敢なる我が兵よ! 臆するな! 川向うの地は既に氾濫の後! ……水を含んだ大量の泥で馬の機動力も生かせんし、あのデカブツの足とて止まる! デカいだけ狙いやすい的だと思え!」
これで怯んでくれると良いけど、ダメだろうなぁ。
ああ、戦いなんてしたくねぇなぁ。
だけど、戦わないと守れないんだよな、自身の命も、家族も、名誉も。
だから私は、胃が痛むのを感じながら命令を下した。
「攻撃開始!!」
こうしてレヌ川を挟んだ攻防が始まる。
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