おれんちの冷蔵庫にすんでるやつの……

 目覚めたら彼女がおれの部屋にいた。学生向けマンションの狭いワンルームの部屋にだ。


 笑顔を向けてくる彼女を見て、そういえば寝ぼけ眼のまま部屋に入れたことを思い出す。


 なんで押しかけてきたのかはわからない。おれはといえば朝まで友人と宅飲みをして帰ってきて、それからずっと寝入りっぱなしだった。


 むくんだまぶたを無理矢理押し上げて、おれは彼女を見る。彼女はおれを見てなにが楽しいんだか笑顔だ。


 そして彼女はおれの万年床の布団の隣にある小さいローテーブルに、肉と野菜を炒めたっぽいものを置いた。


 あっ、こいつおれんちの冷蔵庫を勝手に開けやがったなっ。


 にこにこ誇らしげな彼女を前に、寝起きで機嫌の悪かったおれは一度に沸騰した。


 そこからは思い出したくもない。ケンカがおっぱじまって、悪口の応酬。彼女はおれの顔を二三発ひっぱたいてぷりぷりと帰って行った。


 おいおい、ひっぱたくにしても普通は一発なんじゃないのかよ。


 そうは思うが言うべき彼女はもういない。


 残ったのは肉と野菜を炒めただけの遅い朝食。


 親からそれなりのしつけを受けて生きてきたおれは、怒りにまかせてその料理を捨てるなんてことはできなかった。


 料理に罪はない。未だムカムカとする胸をいったん置いて、おれは手早くその料理を胃におさめた。


 そして食べ終わったあとで気づいた。


 おれの家の冷蔵庫には肉なんて置いていなかったことに。


 彼女が買ってきたのか? いや、彼女は冷蔵庫にあるものでありあわせを作ったとたしかに言った。じゃあ、おれの冷蔵庫から肉を取り出したことになる。


 ありえない状況に気づいたおれは、今度は一度に肝を冷やした。



 話は変わるが、おれんちの冷蔵庫には住民がいる。


 入居したときから備えつけの小さな冷蔵庫。そこを開けるとごくまれに体を縮こめた人間が見えるのだ。冷蔵庫の中できゅうくつそうに膝を抱え込んでいる人間が……。


 そいつを最初に見たときは本気で叫びそうになった。しかし夜も深い時間であったので、どうにかこうにか悲鳴は胃の中に押し込んだ。


「見た目の割に怖がり」などと評される程度にはそのテの話がダメなおれは、その日は友人の家に駆け込んだ。


 泡を食ったおれから話を聞いた友人は「それはおもしろい」と言っていっしょにおれの部屋へ戻ってくれた。


 けれども、冷蔵庫を開けてもそこにはなにもいなかった。


 それから二三日友人の部屋に滞在したあと、おれはいさぎよく自分の部屋に戻った。


 そしてしばらくしてからまた「あいつ」は現れて、おれはひどくおどろく。――そういうことを繰り返しているうちに、おれは多少なりとも慣れを感じるようになった。


 冷蔵庫の中に「あいつ」が現れるのは完全なランダムらしいので、深夜に遭遇するとやっぱりおどろく。でも「ああ、またこいつか」と思う程度には慣れた。人間という生き物はよくできている。



 そして彼女の肉と野菜を炒めた料理を食べたおれは、ふとイヤな想像をしてしまう。


 生肉なんて買って置いていない冷蔵庫。なのに出てきた肉と野菜炒め。彼女はありあわせのもので作ったと言う――。


 ……おれは意を決して小さな備えつけの冷蔵庫の扉を開けた。


「あいつ」はいなかった。


 一ヶ月経っても、二ヶ月経っても、「あいつ」はあれきり現れなかった。



 おれはといえばその後不幸になったとか、呪われたとか、死にかけたとかいうことは、一切ない。


 恐ろしいほどになにもない。


 あのあと立腹したままの彼女に無理矢理肉の出所を聞き出したものの、答えはあの日と変わらず。たしかに、冷蔵庫の中にあったものだという。


 おれはなんの肉を食べたんだ?


 食べてもまったくもってなにも起こりはしないのだが……なんかイヤだ。


 ……という話を酔っ払った勢いで霊感持ちを自称する知人に話したところ、「問題ないでしょう」と言われた。……でもなんかイヤだ。


 ちなみに自称霊感持ちにも冷蔵庫にいる「あいつ」の正体はわからないらしかった。そんなやつの「問題ない」では安心できないが、現実にはなにも起こらないので、自称霊感持ちが言っていることは正しいのかもしれない。


 まあいくらアレコレと考えたとしても、すでに食べてしまったものはどうにもならない。そう、開き直るしかなかいのが現実だった。


 ……と、思っていた矢先。


「ぎえ」


 おれはなんらかの哺乳類の鳴き声のような音を出して、体を硬直させた。


 冷蔵庫を開けたら「あいつ」がいたのだ。かつてのように、きゅうくつそうに膝を抱えて冷蔵庫の中におさまっている……。


 久しぶりに会ったので、おれはおどろきに体を硬直させたまま、じろじろと「あいつ」を見ることになる。


 あっ、脇腹の肉が四角く切り取られているっ。


 そんなおれの視線に気づいたのか、「あいつ」は一度だけこちらを見た。見た……が、結局なにか言葉を口にすることなく瞬きの間に煙のように消えていた。


 ……やっぱり、おれが食ったのは……。



 以来、おれは生肉を買わないようにしている。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る