消える乗客
「消える乗客」って怪談、知っていますか?
タクシーに乗せた客が、いつの間にか消えている。それで今まで座っていた席はぐっしょりと濡れていた……とか。ちょうど霊園の前で客が消えた……とか。そういう怪談です。
現代を舞台とした怪談の中でもよく知られた話ですから、みなさんもご存じでしょう。
当時中学生だった私は、なにかの本でそれを知ったわけです。それで、ちょうど親戚の集まりのときに昔タクシー運転手をしていたというおじさんに水を向けました。
すでにかなり酔っ払った様子だったおじさんは、「ああ、うち(の会社)にもあったよ」とこともなげに言ったのです。
私は内心ちょっと興奮しました。なにせ私はその手の怪談とは無縁に生きてきたものですから。怪談好きの方であれば聞き飽きているだろう「消える乗客」の話も、実際に人の口から聞くと、ちょっと感動すら覚えました。
けれどもべろべろに酔っ払ったおじさんが話してくれた怪談は、私が知っている「消える乗客」とはちょっと違っていたのです。
タクシーに乗せた陰気な女性客が、気がつけば消えている……。そこまでは私が知っている怪談と同じでした。
けれどもおじさんが働いていたタクシー会社では「客が消えると(その客を乗せていた運転手が)発狂する」という話があったそうです。
因果はわかりません。ただ、実際におじさんの同僚がふたりほどそのような感じで、いなくなってしまったとのことでした。
おじさんの話ではこうです。
業務終わりに営業所に帰ってきた同僚が真っ青な顔をしている。で、当然どうしたのかと話を聞くわけです。すると「客が消えた」と。
おじさんはあまりにも「ベタ」な話だったのではじめ、本気にはしなかったそうです。
ところが同僚の顔色があまりにも悪い。こりゃ本当に遭遇したかと思ったら、同僚が妙なことを言い出したのです。
「カタカナの『ス』の下の部分って、三股にわかれていなかったか?」
おじさんは同僚がなにを言っているのか最初はわからず、なんどかやり取りをしてようやく彼の言いたいことを理解したそうです。
とはいえ、理解したのは言わんとしていることだけで、相変わらず言っていることの意味はわかりませんでした。
おじさんは「『ス』は『ス』のままだ。変わったことなどない」と言ったところ、同僚の顔色はますます悪くなって、今にも後ろに倒れてしまうんじゃないかと思ったそうです。
それからその同僚はちょっとずつおかしくなっていったそうです。
「盲腸の手術を受けたはずがないのに、手術で切ったあとがある」と言い出したり、「娘の年齢がおかしい」と言い出したり。
けれども真剣に「医者に診てもらえ」と勧められることが増えるにつれて、同僚は無口になって行ったそうです。おじさんは「病院には行ってないんじゃないか」とは言っていました。
それである日、会社のタクシーごといなくなってしまったそうです。
タクシー自体は一週間ほど経ってから隣県で見つかったそうですが、その同僚は今でもどこにいったのかわからないそうです。生きているのかすでにお亡くなりになられているのかも。
そんな事件の記憶も薄れ始めたころに、タクシーの運転手に転職したばかりの男が「客が消えた」と言ったそうです。
その男は前述の同僚の話を知らないので、単に「本当にタクシーの乗客が消えることってあるのだなあ」といった、冷静な調子でおじさんたちに話してくれたそうです。
おじさんたちはその男が心配になりました。しかし以前の同僚の話をしても男が信じてくれるかわかりませんでしたし、結局乗客が消えたことと元同僚の失踪との因果関係がわからなかったので、彼にはその話はしなかったそうです。
男も、元同僚のように怯えていた様子はなかったそうです。ただ「初めて幽霊に遭った」とむしろ興奮している様子だったとか。
けれども数日経って、その男が首をかしげながらおじさんに聞いたそうです。
「濁点の『てんてんてん』って、三つじゃありませんでした?」
おじさんはその話を聞いてゾッとしたそうです。あまりにも元同僚の話と似ていましたから。
おじさんは急にその男が危険だと思って、元同僚の話をしたそうです。しかし男は不気味そうな顔をするばかりで、元同僚の話を信じているかは怪しいものでした。担がれていると思ったのかもしれません。
けれどもその日を境に男も徐々におかしくなって行きました。
しまいには「俺ってこんな顔だったかなあ?」などと言い出したので、かなり真剣に病院を勧めたそうですが、男は不快そうな顔をするだけで、結局病院には行かなかったのではないかとおじさんは言っていました。
それでもうみなさんもおわかりだと思いますが、その男はある日突然いなくなってしまったそうです。会社のタクシーごと。
今度は東北のとある県でタクシーが見つかったそうです。ちなみにおじさんが勤めていたタクシー会社(小さい会社です)は関西にあります。
そして男は今でも見つかっておらず、こちらもまた生死すら不明だそうです。
それからその会社ではだれからともなく「乗客が消えると発狂する」と噂されるようになったわけです。
おじさんはそれがきっかけ、ということではありませんが、色々と理由あって今では大型トラックの運転手をしているそうです。さすがにふたりも同じような感じで狂って行ったのを見ては、気味が悪くて仕方がなかったと言っていました。
おじさんは「消える乗客」の噂が理由ではないと言いましたが、私はそれは嘘ではないかなと思いました。なんとなくですが。
以上で私が聞いた「消える乗客」の怪談はおしまいです。
単に「消える乗客」の類型のひとつだと言ってしまえばそれまでですが。なぜ「乗客が消えると発狂する」のか、オカルト的解釈で構いませんので、わかる方は教えていただけると幸いです。好きなばかりで浅学な私には、さっぱりわかりませんので……。
ではでは。
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