第37話「街へ」
時刻は完全に夕方。おそらくレオナルドさんはもう街に行ってしまっているだろう。すぐにでも向かいたいところだが、まずはやらなきゃいけないことがある。
「すぅ……ふー……」
俺はその部屋の前に立つと、大きく一度、深呼吸をした。
まずはとにかく彼女だ。彼女をどうにかしなければ、俺の明日はたぶん、来ない。
二、三度ノックをしてから、俺は中に向かって呼び掛けた。
「ティア? いる? ちょっと話したいことがあるんだけど」
もはや無遠慮に呼び捨てにしてみるが、そのまま少し待っても返事はなかった。
今までならここでもっと待つなり呼び掛けるなりするところだが、あいにくこちらには時間がない。
「ティア、入るよ!」
一応声だけは掛けて、俺は部屋に踏み込んだ。すると、
「……って、あれ?」
勢い込んでそうしてみたものの、部屋はもぬけの殻だった。
さらに前回来た時と同じく、部屋に誰かが居たような熱はない。朝早い、まだ誰も居ない学校の教室のように、そこには寒々とした空気が流れていた。
(と、なると……)
俺は先日と同じように、その扉の前に立った。
ティア以外には開けられない、あの封印された扉だ。
(またトレーニングでもしてるのか?)
中の部屋で彼女は何やら訓練めいたことをしていたが、まさか今日もやっているのだろうか。
しかしこの立て込んでいる時に、落ち着いてそんなことができるとは思えない。家の空気がおかしいことは、ティアにもきっちり伝わっているはず。
と、そう思った、その時。
俺の頭に、電撃が疾走った。
「まさか……っ!?」
俺はノックもせず、封印の扉を乱暴に開けて中へと押し入った。
彼女に気付かれ、あの殺人風が飛んで来る。そんなことは微塵も考えなかった。
そうはならない確信があった。だって、だって彼女は……。
複数ある部屋を全て走破し、危惧していた懸念が現実であると確認すると、俺は愕然と膝に手をついた。
封印の扉の中にも、彼女の姿はなかった。
先日の脅迫状の話を聞いていたのだろうか。しかし仮にあの場に隠れて居たとしても、その詳細までは聞いていないはず。レオナルドさんも、わざわざ彼女に黒竜が街に現れるなんてことを大事な娘に教えたりはしないはずだ。
「街に……行ったのか?」
部屋に戻ってみたが、やはりもぬけの殻だ。
つまりやはり、これの意味するところは──。
「──そんなに血相変えてどうしたんだい」
人は、本当に不意を突かれると声も出ないらしい。
突然背後から声がして、反射的に距離を取るように大きく飛び退く。
心臓をバクバクさせながら後ろを見やれば、開いたドアの影に彼女が居た。
「ネイトさん……」
まずい。彼女はおそらく俺寄りの考えを持ってくれているはずだが、それでもマグナース家の使用人という立場からすると、やはり俺を野放しにするとは考えにくい。
腕を組みつつ壁にもたれかかる彼女が、俺を訝しげに見つめる。
その琥珀色の瞳に射竦められて立ち尽くしていると、彼女は静かに壁から背を離した。
そしてそのままつかつかと歩き、俺の前に立った。
「今、聞き捨てならないことを言ったね。街に行ったとか、何とか」
両手を腰に当て、彼女は俺を睨むように見る。
いつもはセクハラをしつつも、ティアにボロボロにされる俺を優しげな目で見守ってくれていたネイトさん。そんな彼女にこうした目線を向けられるのは、正直心に来るものがある。
偽るのは得策ではない。それはこの目を見れば明らかだが、しかし本当のことを言っても信じてもらえるかわからない。それに、現時点でティアの秘密を全て話してしまうのは、彼女を裏切るようで気が引ける。
何も言えずに、ただ彼女の視線を受け止める。すると、
「ティアが、いないんだ」
そう言うと、彼女の顔が明らかに曇る。
琥珀色の瞳を困惑の色に濡らすと、彼女は沈痛といった面持ちで続けた。
「また部屋にこもってるんだろうと思ってたが、食事を食べた形跡がない。いつも食事だけはちゃんと取るんだよあの子は。なのに……」
彼女がこんなに沈んだ表情を見せるのは初めてだ。やはり彼女にとっても、ティアは大事な存在なのだろう。
しかしそんな表情もほとんど一瞬で、彼女はひそめていた眉をきっ、と上げると、俺に強く光る瞳を向けた。
「その中にもティアはいないんだろう? でもあんたは、その行き先に何か心当たりがあるようじゃないか」
「いえ、その……」
「答えな。あの子は街に行ったのかい? なぜよりによって、今街に行く必要がある」
女性にしては背の高い彼女にそうして詰め寄られると、かなりの威圧感がある。
下からにらみあげるような視線を受け止めきれず、足が自然と後ずさってしまう。
「ええっと……それはちょっと複雑な事情があって明かせないと言いますか……」
そのあまりの圧に俺が一歩引くと、彼女がそれを追うように一歩前へと出る。それを繰り返しているうちに、俺はそのまま壁に追い込まれてしまった。
「何だいその、複雑な事情って」
「いやそのぉ、それはティアに了解を取らないと話しづらいことでして。そもそもあくまで全部俺の予想で確信してるって訳でもないですし……」
「そんなことは構わないよ。言ってみな」
そう言われても、俺としては彼女の立場を明確にしないと話しづらい。彼女がレオナルドさんの命令に逆らえないとなると、俺がせっかく抜け出した意味がなくなってしまう。
「あの……って言うか、俺脱獄してるんですけど、それは別にいいんです?」
と、そう聞いてみると、
「そんなことはどうでもいい! さっさと言いな! 揉まれたいのかい!!」
「いやどこを!? てか揉まないで!?」
余程焦れていたのか、彼女は壁に思い切り手を付いて俺に迫った。
こんな高齢のご婦人に、ここまで綺麗な壁ドンされたことあるやついる? いねえよなあ!
──などと、そんなどうでもいい心中ツッコミをしている場合ではない。脱獄に関しては全然問題ないようだが、この勢いだとマジで揉まれる。尻ぐらいならまだしも、他のやばいところにまで被害が及ぶ可能性すらある。
しかし、そうは言ってもやはり、
「……すみません。俺からは言えないです」
俺はティアのプロデューサー、導師(仮)なのだ。例えセクハラを受けようが、本人に殺されそうになろうが、彼女の利益が最優先だ。
今回俺には“何者かになる”というミッションがある。それを考えれば、彼女のことを最優先にするのが俺の利益にもなるはずなのだ。だから彼女を差し置いて、今ここでネイトさんに全てを話すことはやはりできない。
ただ、彼女が街に行った理由が俺の想像通りなら、俺がその事情を話すまでもない。
「……俺からは言えないですけど、今ティアに会いに行けば、全部わかると思います」
彼女はおそらく、黒竜と戦いに行ったのだ。広間での俺達の話を聞かれていたのかもしれない。もしくはフージンにスパイでもさせていたか。
何にせよ、今街に行けばかなりの高確率で彼女と黒竜の戦いを間近で見ることになるはずだ。黒竜と戦いながら正体を隠し続けるのは難しいだろうし、おそらく、彼女の秘密はそこで全てが明らかになるだろう。
俺としてはティアの秘密を守るために動くべきなのだろうが、これ以上彼女を一人で黒竜と戦わせる訳にはいかない。
この流れを作ってしまった俺が言えることじゃないかもしれない。でもここからはもう、総力をもってあたるべきだ。
と、そう思っての俺のその言葉ではあったが、事情を知らなければただのごまかしとも取れる。
正直、彼女を動かすには至らないだろう。そう思っていたのだが、彼女は俺の目を覗き込むように顔を近づけると、
「全部、とはまた含みのある言い方だね。だがまあ、いいだろう」
「えっ? ……いいんですかそんなんで」
やけにあっさり解放されたので、つい不安になって聞いてしまった。
俺のそれに、彼女はふんと鼻を鳴らしつつも、優しい声音で答えてくれた。
「行けばわかるんだろう? それに、あんたがこんな土壇場で嘘を吐くような悪い人間じゃないのはわかってるつもりさ」
「ネ、ネイトさん……」
やだこの人、男前過ぎる。正直年が離れ過ぎてなかったら惚れてたかもしれん。ここは普通もっと問い質す場面だろう。
この屋敷の人、基本いい人達なんだよなあ……と、ついつい涙目一歩手前のうるうる目で彼女を見てしまったが、俺はふとそこで思い出した。
「でも、もう夕方ですよ。レオナルドさんはもう街に向かいましたよね? 今から行って間に合いますかね……」
ここから街までは竜車を使って一時間程度。そんなに遠くはないが、今はその一時間が命取りとなる。
それをわかっているのかいないのか、彼女は何やら窓のほうへ目を向けた。
かと思うと、なぜか肩や腰の具合を確かめるようにコキコキ鳴らしてから、
「んじゃあ、さっさと行くかね」
「んうぇ?」
突然俺の首根っこを掴み、そのまま彼女は俺を引っ張って走り出したのである。
「ぐええ!?」
「変な声を出すんじゃない。舌噛むよ」
「な、何!? 何すか!?」
信じられない力だ。まるで犬猫でも運んでるかのように涼しい顔で、彼女は俺を掴んだまま部屋の窓に向かって走る。
そして、俺が壊してからまだ完全に直っていなかった窓を容易く蹴り破り、そのまま外へと飛び出た。
「うわあああああああああ!!」
ここ二階なんですけどおおおお!? なんて抗議をする間もなく地面が迫る。が、落下寸前にぐるりと回転するような感覚がして、気づいたら俺は、柔らかい芝生の上にすとんと座らされていた。
そうして俺が頭にクエスチョンマークを付けながらきょろきょろしていると、そこで当然のように無事のネイトさんが、なぜか自分の口に手を当てて突然口笛を吹いた。
甲高い鳥の声のようなそれが突然大音量で耳を刺し、思わず耳を塞いだ。
なぜ急に口笛? と思いながらも様子を見ていると、ネイトさんの視線の先、屋敷の外周に設置されている鉄柵の外に、小さな砂煙が見えた。
その砂煙はどんどんと大きくなり、やがて、一つの影が姿を現す。
大きい。人間じゃない。そう思ったら、影は三メートルはゆうにある鉄柵を軽々と飛び越え、俺達の前にその堂々たる姿を晒した。
「こ、こいつは……?」
鳥のような、トカゲのような、不思議な風貌の生物だった。
首が太くて、頭はトカゲ。形としては小型の恐竜といった感じだ。しかし胴体には羽のような部分があり、その顔にはくちばしのようなものも見受けられる。筋肉が盛り上がっている太い足の先には大きな鉤爪があり、もしそれを向けられたらとつい考えてしまい、背筋を冷たいものが走った。
と、その恐怖に思わず座り込んだまま後ずさってしまうと、背中がネイトさんの足にコツンと当たる。
とっさにささっと彼女の後ろに隠れると、彼女は苦笑しつつもそいつのことを教えてくれた。
「鳥竜、ってやつさ。こいつもマンダと同じく人を運ぶことができる。しかしこいつはどちらかと言うと速さが売りだ。人に慣らすまでが大変だが、慣れれば可愛いもんさ」
そう言うと、彼女はその鳥竜に手で合図のようなものを出してから歩き始めた。
「さ、こっちだ。あんたもさっさと立ちな。ぐずぐずしてる暇はないよ」
足早に進むネイトさんに追従する鳥竜が、ギロリと俺に一瞥をくれた……ような気がして、俺は慌てて立ち上がって彼女の後を追った。
「さて、ちょっと久しぶりだが……まあ何とかなるだろう」
彼女は屋敷に併設されている納屋に入ると、奥から何やら大きなものを担いで戻って来た。
それを鳥竜の前にまで持って来たところを見て、俺はようやくそれが鞍と手綱であることを理解した。
彼女はそれを慣れた手付きで鳥竜にかぶせると、あぶみに足を掛けて颯爽とその体にまたがった。そして、
「うおわあ!?」
一瞬で爆発的なスピードに加速した鳥竜が俺に迫る。その鞍の上からネイトさんが俺の腕をぐいと取り、そのまま無理やり彼女の後ろに座らされた。
「さあ行くよ!」
彼女がそう声を上げると、それに呼応したようにさらに鳥竜が速さを増す。門扉を駆け抜け、あっという間に街道へと出る。速い。これならもしかしたら間に合うかもしれない。
ぶるぶると頭を振り、俺はそこで自分に今一度気合いを入れ直した。
(頼む、無事でいてくれ……)
ティアは強いが、完全無欠などではない。あの子をこれ以上孤立無援で黒竜と対峙させる訳にはいかない。絶対に。
そう思いつつ、俺はどんどんと強まる風を顔に受けながら、前にあった引き締まった腰に強く、強くしがみついたのだった。
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